Top > Writing > 「夢の続き 明日の風」




■SCENE-29:『on the way to YOU』


「う〜ん……。」
 いつぞや友人のトモコと居たカフェにつかさは居た。その時はオープンテラスに腰掛けていた二人だったが、さすがにまだ2012年の3月。外で飲むには肌寒い。つかさが座るのは外がよく眺められる窓際の室内席だ。
「トモコは最近のマイブームだとか言ってたけど……。」
 カチャリ、と手に持っていたカップをソーサーに戻す。
「甘みが強すぎだね。途中でくどくなっちゃう。抹茶ラテなんだから、もうちょっと抹茶の渋みが欲しいかなぁ。」
 その友人に薦められたメニューが少々お気に召さないらしい。期待はずれという面持ちで、一緒に注文したクロワッサンをかじる。
「こんなんだったら惣菜パンにしとけば良かったかなー?甘いのに甘いの重ねちゃった。トモコの味覚もアテんなんないからなー。大体会う度に『これがマイブームなんだ』とか違うモノばっか薦めてくるし。」
 塩気を求めたがる口が愚痴をつぶやく。だが、何よりも愚痴りたいのは……。
「………、遅い!!」
 この間の「しーくれっと☆ばれんたいん計画未遂事件」の一件から、少々疑問は抱いていたものの、せっかく彼らからすればそれからさほどの間もなくデートにこぎつけたというのに、肝心の相手が来ない。
 最近買い換えたスマートフォンで、淳平を呼び出してみるが、出てこない。既に待合せの時刻からは30分は過ぎている。電話をかけるのは二度目だ。
「出てこない……う〜ん……、あっ!」
 ふと窓の外に目をやると、息を切らしながらこちらへ向かってくる淳平の姿があった。そのままの勢いでカフェの扉をくぐってくる。
「はぁっ……はぁっ……、お、遅れてゴメン!」
「……………。」
 美しい顔を怪訝に歪めながら、つかさは向かいに座る淳平を見つめる。ただ遅れてきただけなら不機嫌な顔になれば良いのだが、淳平の髪はボサボサ。呆れが先行しての怪訝な顔つきにならざるを得なかった。
もはや遅刻の理由など淳平の口から語るまでもない。
「いやゴメン、昨日送別会で…あの……バタバタしてたモンだから。」
「……飲み過ぎで寝坊な訳ね。」
「いや、本ッ当…ぜぇ…スミマセン。」
 恐らくは寝坊から飲まず食わずで来たのだろう。一口入れようと淳平がテーブルに乗ったクロワッサンの残りに手をつける。
「取らない!」
 食べようとする。
「食べない!」
 仕方なく戻そうとする。
「戻さない!」
「……どうすりゃいいんだよ。」
「せっかくのデートに女性を30分も待たせるなんて相ッ当減点だぞ。」
「はい……反省しとります。」
「よろしい。」
 謝罪を受け取ると、つかさが腕時計を見ながら続ける。
「さてと……発表会までにはまだもうちょっとだけ時間あるね。」
「そうだな。」
「淳平くんも何か飲み物頼んでくれば?喉渇いてるでしょ?」
「そだな。うっし、ちょっと行ってくる。」
 立ち上がって何やら注文しに行く淳平。
(……別に変わったトコないよね……?)

「ふぅ〜。」
 注文した品を取って再び腰掛ける淳平に、つかさが思わず口にした。
「あっ!それ頼んだの?」
「え?同じのじゃねーの?」
「いや、同じのだけど、あんまりオススメじゃないんだよね。」
「あれ、そうなの?」
「ちょっと甘過ぎ。」
「えー?」
 同じ物が飲みたい、という可愛気のある何気のない発想だったのだが、彼女の口から漏れ出るのは飲む前からの不評。しまった。そう、一つの職業病か、つかさは味にはうるさい。
「……こんなモンじゃねーの?」
「うーん、もうちょっと『抹茶!』って感じ欲しくない?」
「あ、なるほど。イマイチ抹茶が安っぽい。」
「でしょ?」
 さすが鋭い。思わず納得してしまう。尤も、淳平には味覚の審美を磨く興味も余裕もさほどないのだが。
「でも、あたしは嬉しいんだけど、なんで淳平くん急に結構時間取れるよーになったの?」
「……んっんー…、ま、次の仕事までたまたま間が合ってね。」
「へー、珍しい。大体いっつも暇なく小間使いしてるっていつも言ってるのに。」
「小間使いって言うなよ……。」
「えーだって、淳平くんが言ってるんでしょー?助監督なんか何だってやるし、小間使いみたいだって。」
「人に言われたかねーよ。まぁいいじゃんか!こーしてデートに行けてんだから。な!」
「う、うん……。」
 少しばかり釈然としないという面持ちのつかさ。だが、もうカフェを出る時間だった。
「あ、もうそろそろ出なきゃ。もー淳平くんのせいで独りでまったりしてたじゃん。」
「悪かったって。」


 泉坂からは電車で揺られること約40分。2人は都内某所のショッピング街のビルの一室に居た。
「うひー…!本当すごい人だな……。」
「だから『混む』って言ってたでしょ。」
 正確にはその一室の入り口である。2人の目の前には8割方女性、女性、女性……それもその筈。その入り口には『東京パティスリーフェスティバル』と洒落た字体で書かれたパネルがある。本腹も別腹もすかせてきた女性達と、あとは……。
「ほとんど女の人だな、やっぱ。」
「まぁね。」
「あとは、俺達みたいなのか。大体彼女に連れられてか、喜ばせようとしてって感じだなー。」
「でも、今日は淳平くんが行きたいって言ったんでしょ?珍しく。」
「何だよ、行きたくなかったの?」
「そんなワケじゃないけど、あたしはもう仕事で何回も参加してるし、昨日も準備までは手伝ってたしさ。…ま、淳平くんがケーキに興味持ってくれてるのは普通に嬉しいんだけど……。」
「しかし、予想以上の人だわ、こりゃ……。」
「そう言ってたでしょ。」
 話題が元に戻ってしまう。このまま話していても仕方がない。
 手慣れた手つきの案内からパンフレットをもらうと、2人はひとまず中を開き、目的地の場所を見つけようとする。
「えーっと、パティスリー鶴屋、パティスリー鶴屋、と……。」
「あっ、あったよ!右端!」
「おー、あー…壁の奥かぁ…。でもって、一番スペース広いな。」
 会場に入る前から多くの人だかりで、一番奥へ行かねばならない。しかも広いという事はそれだけそこに留まる集客の可能性が高いという事だ。
「……うっし、人混みにウンザリしてるのも飽きたし、とっとと行こーぜ。」
 ぐいっ。
「えっ……う、うん。」
 ささっと手を出してつかさの手を引く淳平。
 はぐれない様に、見失わない様に。
 何という事のない仕草のつもりの淳平の一方、つかさは少し不思議な感覚だった。
(いつの間に……ナンか、あたしが手を引く事の方が多かった記憶があるから、新鮮だな……。)
 そこに、どこかに感じる、はじまる一抹の不安も。

「ちょっとスミマセン。」
 そう繰り返しながら、辿り着いた先、やはりパティスリー鶴屋のスペースは、女性客で埋め尽くされていた。
「やっぱ混んでんな。」
「仕方ないね。」
 とはいえ、ありがたい事に他のスペース共々、出展者がどの様に調理したりするかなど、遠目にも観察できる様、ブースが若干上げて作られていた。
仕方なく遠目ながら「パティスリー鶴屋」のスペースを見守る。そこにいるにはつかさにとって恩人である日暮龍一だった。
しかし、そこにとりわけ熱視線を送るのはつかさではなく、淳平だった。
 生地のスポンジケーキに鮮やかに生クリームを囲み、鮮やかにいちごを添えてゆく。シンプルなショートケーキ。だからこそその作り方には職人の腕が試される。
 勿論、生地からすべてを作る様にはこの会場は出来てはいない。とはいえ、鮮やかなその職人芸から振る舞われるショートケーキは、その場に居るご婦人・女性客には言うまでもなく好評であった。
 行列をさばき続ける中、ほぼ最後のつかさと淳平がスペースに並ぶと、さすがに夢中だった龍一も二人に気がついた。
「おっ、これはこれはボーズにつかさか。仲良く冷やかしかぁ〜?」
「何言ってるんですか。心配しなくてもお客さんは来るって言ってるのに、できれば来てくれって言ってたの日暮さんでしょ?」
「まぁこう見えて小心者なんでな。ははっ。ボーズもよく来てくれたな。」
「お久しぶりです。」
「おうっ!あ、ほれ。ショートケーキな。」
「頂きます。」
「頂きます。」
「どうだ?」
「今日はややあっさりしてますか。口当たりが程よく優しい感じです。」
「そりゃここに来るお客さんは皆、ウチだけでなく周りのケーキも食べるからな。濃厚すぎるとお腹に溜まってしまう。」
「でも、ある程度は主張しないといけませんよ?」
「ははっ。そこのさじ加減は難しいよな。そこで今回はいちごをいつもと違うモノで使ってみてるよ。」
「あ、やっぱりそうですか?クリームや生地があっさり目な分、いちごの甘みが強いですよね。」
「果実の甘みだからな。クドさに通じる事はない。……お、ボーズどうした?スマンな。仕事モードで放ったらかしにしちまって。」
「あ、いえ…やっぱ、何か二人とも凄いなって思って。俺なんて、普段のと何処が違うのか全然よく判んなくて…あ、勿論、美味しいんですけどね。」
「そりゃ淳平くんよりは普段から食べてきてるからね。」
「まぁ、細やかな違いだよ。」
「でも、そこに作り手の心遣いとかが現れてくるワケですね。」
「お、良い事言ってくれるじゃねーか。さすがクリエイターだな!それどっかで使わせてもらおうかな。」
「ははっ。」

 今日のデートプランは最初にこそカフェでやや時間をゆっくり過ごす予定だった(それすら淳平の遅刻があったが)。だが、それでもあまりのんびりしているものではなかった。なんだかんだ言ってたまに会っても普段の激務が引きずって、さして大したイベントもなかったりするものなのだ。
 だからなのか、淳平らは日暮れ龍一のパティシエとしての腕を、その目と口で楽しんだ後は、他はさしてそれ程注視もせず会場を後にした。
 再び電車で移動。二人は別の目的地を目指す。
「やっぱり美味かったなー!日暮さんのケーキ。」
「他のケーキも食べてみたかったけど、なんてゆーか、ごまかしの効かない直球ストレート勝負って感じかな?」
「なぁ、そう思うだろ?」
「……え?う、うん……。」
「まぁ、西野にとっては、それが日常だし、あんまりはしゃぐ事じゃないか。」
「…………………。」
 反応の薄いつかさを見て、淳平は、はたと気づく。
「……あー、ごめん!つい『西野』って言っちゃった。何年経っても最初の呼び方の方が染み付いちゃってさー。」
「え?あ、いや、そんな事じゃないけど……うん、まぁあたしにはよく見ている光景ではあるからね。高校時代の方が見てたけど。」
 しかし、つかさは夢中になると語りが止まらなくなる淳平の癖も忘れ、別段龍一のケーキを見慣れているから気もそぞろなのではなかった。
(なんで急に休日が増えたの……?)
(なんで急に日暮さんのケーキ作りなんか見てみたいと思っていたのだろう?)
 彼のケーキを見たいと言ったのは、この催しでつかさが龍一から呼び込みを求められていたのとは完全に偶然。たまたまの一致だった。
 即ち、淳平の興味は純粋なものである。
 頭にバカが付くほどの映画好きで仕事にもしているというのに、なぜ急にケーキに興味など……?
(………まさか……!)

「なんで急に日暮さんの仕事に興味なんか……?」
「いやぁ…実は事務所クビになってさ…夢は諦めたよ。今は一緒にケーキ作りを学んで、いつか一緒にお店を持たないか…?!」

(………まさか…ね……。)
 というか、嫌過ぎる。
 普通なら恋人同士で同じ将来(ユメ)を見据えようなどというのは嬉しくて当然なのだろうが、そういう二人ではない。
 しかし、突然の休みの増加といい、そもそも不安定で激務な業界に身を置いている淳平だ。その様な自体になったとしても、実は別段不思議な事ではない。

「さっ…着いたぜ?」
「え?…あ、もう?」
 頭の中の妙な思考が、つかさを狂わせる。
 元々そこまで長くはないとはいえ、目的地の最寄り駅に到着した事も気付かなかった。

“桜海臨海公園駅”――

「おー。この辺も変わったモンだなぁ。」
「そうだね。」
「に…、つかさはここに来るの日本に帰ってから初めて?」
「ううん、一回だけ。トモコ達と。」
「ああ、トモコちゃんか。」
「……なんかその呼び方気持ち悪いね。」
「いや、そう言われても俺、下の名前しか聞いてないし。」
「トモコに“ちゃん”付けが合わないのもそうだけど。」
「呼び捨てもできねぇし、“さん”付けもヘンだしさ。」
「……それはもっと合わない。でも……ふーん。淳平くんって、女の子に“ちゃん”付けで呼んだりするんだ。」
「え……?んー…あんまないけど、まぁ相手によりけりなんじゃない?あとは初めて会った時のトシとかさ。」
「あー、もしこのトシで初めて会ったら、まず『真中さん』『西野さん』ではあるよね。」
「知り合ったのは…中学生の終わりだからな。高校生くらいになると、さん付けだったりイロイロだけど。そーいや、外村の妹なんか最初『外村妹』だからな。さすがに今は『美鈴』って呼ばせてもらってっけど。」
「逆に自分の呼ばれ方も人によるよね。あたしはあんまりアダ名とか付けられた記憶ないんだよね。大体『つかさ』だなー。小さい頃はたまに『つーちゃん』って言われてた事もあるんだけど。」
「そういや、俺は色んな呼び方されてっかも?……ってか何で…つかさって俺の音、下の名で呼ぶの?今更だけどさ。」
「………分からない。なんでだろ?」
「……あら。じ、実は大したイミは無いと……。」
「うん、まぁ。口にしてしっくりきただけ。あたしにとってはね。」
「……なーんて下らない事言ってる間に見えてきたな。」

「しかし、遊園地なんて何か本当にいかにもデートらしい所来たね。」
「へーへー…。どうせ俺はこーゆー所あまり連れてきませんよ。」
「ま、たまには良いかもね。……どうしたの?」
 桜海臨海公園内の遊園地に入ると、ふと淳平が歩みを止めた。
「いや、何か懐かしくてさ……。」
「そう?」
「ほら、唯や大草と行った事あるじゃん。」
「……そういや、そんな事もあったっけ。あれ、大変だったよね。観覧車乗ったら緊急停止してさ。」

「乗客のみなさま 大変ご迷惑をおかけしております。ただいま復旧作業に取りかかっております。どうぞ落ち着いてお待ちください。」
「……淳平くん。…ドア…開いてる…。」
「!!!はっはっはっ早く閉めないと!!」


「あれ、今思い出してもゾッとするよな。」
「そだね……。」
 一呼吸置いて、つかさが続ける。
「ま…でも……。」
「?」
「あたしには面白かった良い思い出だよ。」
「!……ま、俺もだ。」
「さてと、最初はどこ行こっか?」

 別にデートの場所として、桜海臨海公園も、その敷地内の遊園地もおかしくはない。
 ただ、どこか高校時代に二人が触れた時に、淳平がもう一度出会おうとしている様に、つかさの目には映っていた。
 彼の意図は読みきれないが、何かあるのだろうという事は確かな様に感じていく。
 バレンタインでもないし、何かしらの記念日でもない日だが……。
(多分、思いっきり楽しんだらイイんだろうな……。)


「これ乗ってみっか。」
「コーヒーカップ?定番だね。」
「うっし!回すぞ回すぞー!」
「おー!」


「ソフトクリーム、美味そうだな。お、抹茶もあるし、食べなおす?」
「じゃあバニラと抹茶にしよっか。」
「そっちのバニラどう?」
「まぁ…ちょっと、どっちも普通?」
「に…つかさに言わせれば美味いって方が少ないだろ……。」
「あはは、つい…。じゃ抹茶の方も食べさせてよ。」

「お、ねー淳平くん。ジェットコースター乗らない?」
「え、本当に?」
「あ、淳平くん、絶叫系苦手な方か……。じゃああたし一人で乗るからちょっと待って、」
「分かったよ。乗る乗る!」


「あー、楽しかった!」
「俺は気持ち悪ィ……。」
「あー…ごめん。淳平くん乗り物弱かったんだっけ。怖いのが苦手なのかと……。」
「……いや、それもあんまり好きじゃないけどな。フツーの車に乗る分にはいいんだけど、長距離とかジェットコースターとかは……。」
「さて、もう結構いい時間だね。だいぶ暗くなってきたし。」
「じゃ、観覧車でも乗って、帰りはご飯でも食べて帰るか。」
「……トラウマの観覧車に。」
「……だな。」
 どうしても一抹の不安が過ぎる。
 一歩間違えば転落事故だった二人にとって、無理からぬ事だった。
(むしろそれで乗れる二人の度胸の方が凄いと言うべきかもしれない。)

「おっ、今ならあんまり並ばなくても乗れそうだな。」
「だね。」
 並んでから程なく回ってきた1台に、二人で乗り込む。
「さて…と。」
「ふうっ…。」
「…………で、大丈夫だろうな?」
 腰掛けて間もなく、淳平は乗降口の締切がしっかりかかっているか確認する。
 どうしても一抹の不安が過ぎる。
 二人には、無理からぬ事だった。
「大丈夫、オッケーオッケー。」
「じゃなきゃ困るよ。」
 向かい合い、苦笑しながらの二人。
 しかし……、
その後の会話が途切れる。甘いというよりは、どこか寂しさが伴う、沈黙。

「……………。」
 何も言わず、淳平は夜景に目をやる。
「……………。」
 一方のつかさは外を観る事もなく俯いて考え込む。
 唐突に増えた淳平の休み。
 どういう意図なのか分からないが、突然、日暮龍一のケーキを食べたいと言う。
 ……何の為に?
「淳平くんさ……」
「ん?」
「もしかして、このところ休みで、今日のパティフェスにも行きたいとかって……。」
 一呼吸置いて、つかさが続ける。
「もしかして、映画制作の事務所、クビになったの?」
「……………………へっ?」
「それで、もしかすると、あたしの夢に付き合うみたいな感じで、ケーキ作りを見たいとか……?」
「……………なんで、そんな話になるワケ?」
 切実したつかさの、しかし突拍子もない全く彼女らしくない想像に、素っ頓狂100%といった声で返す淳平。
「だって、休みが増えてるみたいだし、あんなに真剣に日暮さんのケーキ作り見たりとか……してたし。」
「……何言ってんだよ。俺に出来るワケねーだろ!ケーキづくりなんてっ!!」
「じゃあなんで……。」
「それは……!………今から話すよ。全く…結構ヘンな思い込みすんだな。なんでそんな話になるんだよ……。緊張してた俺がバカみてぇ。」
 頭を掻きながら再び東の空を見つめながら、淳平が口にする。
「………俺、しばらくアメリカへ行く事になった。」
「えっ……?」
「次世代のクリエイターを育成ナンたらカンたら…とかいって、よく判んねーんだけど、映画の本場・ハリウッドで学ばせてもらえる機会が貰ったんだ。正確に言うと、…多分、つかさは知んねーと思うけど、映画業界じゃ割と有名な、フィル・ロジャースって監督に師事する事になった。」
「………凄い。」
「まぁどうだかな?巷じゃ実力より、俺が英語喋れるのが大きかったってのも言われてて……。」
 ガシ……ッ!
 つかさが淳平の両手をその両手で掴む。
「凄い事じゃないっ!それって淳平くんの夢が叶う為の大きな一歩じゃないっ!」
 夜の闇に煌めくイルミネーションの光を宿した瞳で見つめてくるつかさを視て、不意に淳平は思い出す。

「作ろうよ!!あたしたちでこれよりもっと面白い作品作りましょう!」

 あの時の――彼女と重ねて見えた。
「なんでそんな大ニュースもっと早く言ってくれないの!」
我が事の様に興奮するつかさに、切なさの浮かぶ顔のまま、淳平は惚けていた。
「……?淳平くん?」
「……ありがとうな。だけど……。」
「?」
「もう一つ、俺は伝えておかなくちゃいけない事がある。」
 その淳平の表情は固く、しかし滲む決意を隠せない。
 もはや、淳平が最近休みが続いている事は渡米にある事は明白だった。
 その準備の為に、スケジュールが空いたという事だ。
恐らく今日の最初に言っていた「送別会」というのも他ならぬ淳平が送られる側だったのだ。
そして…、もうすぐ訪れる渡米の時が来たら……?
「……しばらく会えないって事?」
「それもあるけど、そうじゃない。」
すうっと深呼吸して、目前のつかさを見据えて言った。
「君の為じゃない。」
「……?」
「アメリカへ行って映画を学ぶ事は、君の為じゃない。……俺自身の為というべきかもしれないけど…、アイツの為に…って事に言わせてほしい。少なくとも言える事は……つかさ、君の為じゃない。」
「あ……。」
「それだけは、どうしてもちゃんと言っておきたかったんだ。」
「……………。」
 沈黙という名の回答に耐え切れず、淳平は話をそらす。
「……この遊園地もさ。」
「この夏で閉園しちまうんだって。」
「…そう…なんだ。」
「何かショッピングモールだか、シネコンだかになるらしい。」
「…へぇ。」
「俺達の地元だって、どんどん変わってってる。」
「泉坂駅だって結構変わったもんね。」
「オレん家が住んでいたマンションの辺りもさ、何だか区画整理だかって話が出てるらしい。」
「………変わってくんだね。イロイロ。街も。」
「……あ、ごめん。予定してなかったし、こんな時間だけど、降りたら急いで、ウチが住んでたマンションの裏の公園へ一緒に言ってくれないか。」
「いいよ。」

 言葉少なに頷いてくるつかさの顔は優しかった。
 ただ、再びの電車での移動、二人は特に何も言葉を発さなかった。
 20代も半ばになって、今更誰が児童向けの公園で遊ぶというか。
 今日を最後に、またしばらく淳平とは会えない。その裏にある感情も彼の言葉も何となく理解した。
 全部聞いてみよう。これから辿り着く、あの公園で。

「やっぱ、まだ寒いな。こんな時間だと。」
「今日はまだ暖かい方だよ。」
「そーかぁ?」
「あたし、この公園で思い出す場面は、何故か雪の日なんだ。」
「雪……か…。」

「真中くんを好きだったことも、結局想いは実らなかったことも、全部に感謝できるよ。」

「ありがとう。淳平くんならきっと応援してくれるって信じてた。」


「……………。」
「……………。」
 春はもうすぐなのに、二人の表情は雪の中の様に、しんと硬くなっていた。
「……淳平くんが思い出してたのって、あたしと違うでしょ?」
 意地悪い、小悪魔の様な表情をわざと作って、つかさは聞いてみた。
「………。」
「そのカオは図星かな?」
「……うわっと!!」
 つかさが不意に何かを投げてきた。
 それはその辺りに落ちていた子供用・手のひらサイズのゴムボールだった。
「…返事は?」
見透かされていた事が少し悔しかった気がした。
「そうだよ!」
パシッ!
 多少は加減した淳平のボールはつかさの両手に見事に収まった。
「日暮さんのケーキ見たいって言ったのってさ…。」
 パシッ!
「うん。」
 パシッ!
 会話の度に、言葉とともにボールが投げ返される。
「何ていうか、淳平くん的には、アレでしょ?職人技というか、そーゆーの見て、決意とか新たにしたかったんじゃない?」
 パシッ!
「全く、そのとーりだよっ!」
 パシッ!
「桜海臨海公園行ったのも、ここ来たのもさ…。」
 パシッ!
「……………。」
 パシッ!
「離れる前に、あたしと過ごした場所に行きたかった…みたいな?」
 パシッ!
「そうだよ!」
 パシッ!
「はぁっ…ちょっと息上がっちゃったかな。デスクワーク中心になっちゃったからかな?最近、運動不足だね。」
 近所の子供が忘れていったボールはつかさの手の中のままだ。
「………嬉しかった!」
「……え?」
「日暮さんとかあたしの仕事の一部を見てくれたり、あたしと過ごした場所を今日一日のデートで行くトコにしてくれたりとか嬉しかった!それから……。」
「………?」
「『あたしの為じゃない』って言ってくれて、嬉しかった……!」
 ヒュン!
 つかさの声が大きくなる。同時に、ここ一番全力の投球が来た。
 淳平はそれを掴みきれず、いや、捕ろうとする事もできず、その胸にボールは当たって、落ちて、転がっていった。

 “君の為じゃない”――

それが嬉しい?
「おかしいよね、何だか。そんな言葉、カノジョに言うなんてサイッテーのハズなんだけどさ。うん、サイテー。」
 つかさの語る一般論に、ドキリと胸を掴まれる様な感覚が淳平を襲う。
「でも、実際そーなんだし、ハッキリ言ってくれた方がいいし。それに…それが淳平くんらしいって言うか、…いや、らしいなんてレベルじゃないかな。」
「え?」
「あたしの好きな淳平くんは、そーゆー人だからっ!」
 それが、つかさの答え。
「……ありがとな。」
 こんな複雑な折り合いを重ねた感情と、それに基づく願いを受け止めてくれる人なんて、他にいない。
「君がいてよかった。」
 出発するのに、もう言葉を探す必要はなかった。

 数日後の朝、成田空港に淳平一人の姿があった。
「見送りはいいよ。」
「そう。」
特にそれだけで終わった。
きっと、淳平が一人で旅立つという事に意味があるのだと、つかさは思っていた。

(俺は、まだスタートラインにも立てていない。でも、何かとっかかりを掴める様な気がする……。)

“ちょっとアメリカに行ってくる。
 映画の勉強してくるよ!”

 出発前、スマートフォンをいじる最後の機会で、淳平は一番に伝えるべき相手にメールを送信した。
 言えなかった言葉がある。
 今言いたい言葉も、目の前にして言う訳でもない。
 それでも。
「出発するよ。……東城、君の為に。」
 ひとりだけの、誓い。
 2012年3月18日、二人が出会って10年目の春の出来事だった。



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