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■SCENE-02:『追いかけていた明日に 今はただ…』


ここである一人の女性を紹介しましょう。
彼女の名は、西野つかさ。
彼女は他にも紹介している一般人の一人で、全く表舞台には出ていません。
ですが、あの"虹"の軌跡を辿るに当たって、そして彼ら( ・)にとって、大切な女性(ひと)――。



「もう一度俺と………?」
「………あたしをワクワクさせてくれる?」


「さて、と。今日、これからどうするの?」
「そうだなぁ…いっぱい話が聞きたいよ。食事でも行こうか。」
「あれ?随分気前がいいね。そんなお金あるの?」
「……ファミレスな。」
「そんな事だろうと思った。あーあ、折角4年ぶりの再会だっていうのにファミレスなんて…。」
 呆れて笑うつかさに対して少しムッとした表情で淳平が返す。
「しゃーねぇだろう…映画業界に入ったといっても、下っ端も下っ端で、給料なんか微々たるもんだし。」
「大体分かるよ。」
「じゃあ深く突っ込むなよ。」
「気前良く『食事でも行こうか』なんて言ったのはどこの誰なのかなぁ〜?ま、淳平君らしいっていえばらしいけどね。かっこつけてる割にはどこか抜けてるというか。」
「………悪かったな。抜けてて。」
「ううん、安心した。」
「は?」
「昔とあまり変わってないから。変に高級ホテルのレストランとか誘われてたら、むしろ気持ち悪かったかも。」
 苦笑交じりで語るつかさに淳平が思う感想はこうだった。
(褒めてんのかよ、それ…。)


「いらっしゃいませ〜。何名様で?」
「2人です。」
「かしこまりました。ご案内いたしますどうぞ〜。」
 ウェイトレスに案内されて二人は窓際の席に腰を落ち着けた。テーブルの上にメニューを載せて「ご注文がお決まりになりましたらお申し付け下さいませ」と、型通りの台詞を聞いた後、メニューを確認する。
「ど、れ、に、し、よ、う、かなぁ〜?」
 メニューを開いて指をリズム良く指してゆくつかさに対して、
「これで頼むな。」
 と、頭を低くしながら右の指3本を立てる淳平。3。つまりは、一・十・百の位まで、1,000円未満の食事で頼む、という意味だ。
「はいはい。」
 やはり苦笑交じりで返すつかさ。気の利かない男ではあるが、ここで格好つけられないのが彼なのである。まして貧窮している生活を自分が追い込むのも悪い話だ。
「んーじゃあこの『きのこと野菜のおろしハンバーグ』。」
「やっぱり和食が寂しいのか?」
「ん…まぁね。」
「よし、じゃあ俺は…『かきあげうどん』にしよう。」
 淳平は手を挙げてウェイトレスを呼び、メニューを頼んだ。「ご注文を繰り返させて頂きます」と、やはり型通りの台詞を聞いて、メニューを引き下げられて二人とも肘をつく。窓を見ておもむろにつかさが言葉を発する。
「変わったね〜この辺も。」
「1回も戻ってないんだっけ?」
「戻ってないよ。だから懐かしーって言おうと思ったはずなのに、な〜んか別の街にいるみたいで。」
「そっか〜。俺はたま〜には戻ってはいたからさ。戻れなきゃ映画の自主制作もできないし。ま、それでもここ4年間は海外を放浪してた時間の方が長いかな〜。」
 顎に右手を当て、人差し指は下唇に当て、思い出すかのように天井を見上げながら口にして、物思いに耽った。
(4年…か。)
 皆と別れ、つかさと別れ、たった独りで確かなモノを掴まなきゃいけなかった。
 4年前のあの日、自分は本当は弱い人間だ、それを認めたくなかっただけだったんだ。雪が彩る静寂の時が、必死に縋ってきた薄っぺらい虚勢と、錆びついた夢を撃ち抜いたのは誰かと問い詰めてくる…。
 そして思った。

(誇れるモノが欲しい。)

 4年間、彼は世界中を東奔西走した。
「悩むより動け」。
 手前が何も掴めていないのは、ただ何もしていなかっただけだからだと、身をもって思い知らされたからだ。綾もつかさも、さつきもヒロシも、皆が皆、自分の望む、往くべき未来に向けて一歩一歩進んでいたのだ。だから、遅れている自分は、歩みを止めてしまいたくなる自分を必死に殺して未来を切り拓こうとした。
 自分の弱さを認められるだけの強さを手に入れたのだ。
 そう考えたのは誰の為だろう?来るべき再会を果たすつかさの為?それとも自分自身の為?それは分からない。
 ただ…誰が自分をこうさせたのか。それが、もう求める事も赦されず、求めても手に入らない存在であるのは確かだった。
 しかし、諦めたらお終いといえど、それでも生きていく上で、諦めるべき時期というものが存在する。淳平にとって、この年の上半期に行われた自主制作映画のコンクールはまさに最後のチャンスだった。幸いにもそのコンクールで優勝を果たせた彼は、ようやく夢への足がかりを掴んだ。
 そして、皆とも、綾とも再会し、そして今つかさを前にしている。
 だが、
(俺は何かを誇れるようになっただろうか…。)
 追いかけていた明日の答えは、まだ見つけられないでいた。

 ボーッとしている淳平を見て、つかさが痺れを切らして喋りだした。
「ちょっと!聞いてる?ごはん来たよ。」
「え?あ、ああ、悪い。」
 軽くウェイトレスに会釈をして、目の前に置かれたかきあげうどんを見て彼は少し後悔した。
(安いとはいえ、このまだ暑い中にうどんって間違えたかな。)
「久々に会ったっていうのに、最初に会った時と同じだなぁ、これじゃ。」
 溜め息雑じりで語るのつかさに、「ン?」という顔でうどんを啜る右手を止めた。
「何喋ってても上の空って感じでボーッとする癖。」
「そんなにボーッとしてる?」
「し・す・ぎ!」
 イーッと口を真一文字にするつかさに対して、少しムッとしつつも笑いながら淳平はこう言った。
「色々思い出してたんだよ。4年間色々あったなぁって。」
 (およ?)と目を丸くしてつかさは彼を見つめた。半ばからかっていたつもりだったのだが、少々真面目に物思いに耽っていたのだと分かった。
「確かに、あたしも色々あったな。」
 そんな彼に同調し、何かを思い出しているつかさの顔は、どこか少し晴れないようだった。
「で・も!」
 こう切り替し、続ける。
「他人が喋ってるのにボーッとするのはやめてよね。」
 それは尤もな話だった。一人で喋っていては自分が馬鹿みたいなのは、誰もが思う事である。
「わかってる…よ…。」
 急に彼の反応がドギマギしている。
「…うどん伸びるよ?」
「あ、ああ、そだな。」
「?変な淳平君。」
 と流れ上言ったはいいが、実は本当に感じていたのは「いつも通りの淳平君」のような気もしたつかさだった。
 一方、淳平の方は様子がここへきて少し変だった。ボーッとするなと言われて改めて目にしたつかさに今更の様に見とれていたのだ。
 4年と言う歳月は彼女を少女から女性へ、備え持つ美貌に磨きがかかり、ここ数年の空白の時間があったとはいえ、既に何年も見ているはずなのに、見惚れずにはいられなかった。左手のナイフでハンバーグを切り分ける、何気ないその仕草さえ。
(ン?何だろう、この違和感は…。)
 淳平はその姿を見て少しだけ戸惑った。いや、以前のようにまた単に彼女に気後れしているだけ、自分の悪い癖だ。彼女と同じ目線でなければ。
 見上げれば、彼女は笑っている。そうだ、せっかく再会したというのに変な事を考えてどうする。4年間を思い返すよりも、今はただ笑えばいい。答えは至ってシンプルだ。
「何ニマニマしてんの?ちょっと気持ち悪いよ。」
(…笑うと怒られるのか。)
 でも、それも幸せの一つなんだろうか。不思議なものだ。思い浮かぶのはいつも彼女が怒っている顔。
「大抵俺が怒らせてたんだっけ…。」
「誰を怒らせてたの?」
「え?い、いや…」
「…そういえば独り言も多かったよね。」
「スイマセン…。」
 ダメだこりゃ。全く隙がない。鋭く突っ込む彼女に抗う術はなかった。


「ありがとうございました。またご利用くださいませ。」
 やはり型通りの挨拶で見送る店員を後に、二人は店を出た。
 気付けば陽は西の方向へ傾き、少しだけ冷たさを感じる風がそよぐ。
 9月も後半、夏はもう終わりだった。
「まぁまぁ美味しかったな。」
「ファミレスで不味いモノなんて来ないよ。」
「飛びっきり美味しい思いもファミレスじゃないな。」
 見慣れた並木道を歩き続けながら、会話を続ける。
「でも、デザートくらい頼んでもよかったかなぁ。」
「え〜?今更そんな事言うのぉ〜?」
 笑いながら不満を述べるつかさに対して、淳平はすかさず騙し討つかのようにこう言った。
「…西野に。」
 その言葉を聞いて、一瞬つかさの瞳が見開き、足は歩みを止めた。
 しかし、それに気づく事なく淳平は2、3歩前を進みながら、続けた。
「やっぱフランスに留学するほどだからなぁ〜、高校の時でも凄かったけど、俺、西野の料理の腕は本当尊敬してるんだぜー?今また作ったらどんな風になってんのか楽しみでさ〜。…どした?」
 ついてこないつかさにようやく気付き、彼は振り向いた。
 西陽があまりに眩しくて、それを受けるつかさの表情は見え辛かった。逆に、つかさの方もまた、逆光が作り出す陰に黒く染められ、淳平の表情は見えなかった。
「う、ううん!なんでもない。」
「そう?でもなぁ、俺本当楽しみにしてるんだぜ〜まぁ今日は食べらんないけどさ。いつか食わしてくれよな。」
「……うん。今日も本当は忙しかったはずなのにゴメンね、無理に付き合わせて。昼も夜もない大変な生活なんでしょ?」
 少し憂いを帯びた表情で微笑みながら返すつかさに、淳平は思わず戸惑いながら答えた。
「い、いや、帰ってきたの昨日の今日だろ?やっぱり俺も会いたかったからさ。忙しいのなんて気にするなよ。それより…俺の方こそゴメン。帰ってきたのに今後もあまり会えなさそうでさ。」
「うん…いいよ、別に。ようやく淳平君がつかみ出した夢なんだもん。それに向かって歩いて行ってるならあたしも嬉しいの。それにまたいつでも会えるんだから!」
「そっか、そうだよな。もう、いつでも会えるんだよな。」
「そうだよ。」


 泉坂駅。すっかり陽は落ち、通勤客の帰りのラッシュの時間帯となっていた。
「じゃあ俺、帰るな。…そういや西野は今、実家?」
「うん。帰ってきたばっかりだし。」
「そっか、そりゃそうだよな。今度会える時、メールか何かで連絡しとくから。」
「うん、ありがとう。」
「じゃあ、またな。」
「あっ…ちょっと!」
「ん?」
「なんでもない…ごめんなさい。もうちょっと顔見てたくって。好きだから。」
 それを聞いて、ボッと淳平の顔が赤くなる。ブサイクではないにしろ、決して自分でもハンサムとは思わない顔を見ていたいと言われる。今更ながら、目の前につかさが居る事、そして彼女がそう言ってくる状況に不思議さを感じていた。
 と、そう考えていると間もなく、彼女の声が彼を引き戻す。
「あはは、キリがないから、行って行って。じゃーね!」
 手を振り返しつつ、東京方面へのホームへ向か階段を登りながら、淳平はこう笑いながらふと思った。
(どっちなんだか…マッタク、相変わらずどこか掴めないヤツだよな。)
「…そういえば、西野はどうしてこの時期に帰ってきたんだろう?…ン?」
 取り出した携帯電話を見ると、メールが入っていた。
「誰だろ…?」

「from:南戸唯
sub:近々帰ってくるから
本文:よろしくー!」

「それだけかい、オイ…。ウワッいけね!もうこんな時間かよ!」
 口をヘの字に伸ばして届いたメールに呆れた後、時計を見て彼は慌てて仕事場に戻る為にホームへと急いだ。
 淳平はこの日、昨夜の仕事が明朝までズレ込み、朝方に仮眠を2時間程取っただけだった。そして今夜も撮影が待っている。言うまでもないが、彼はこの時メガホンも取れなければ役者ともロクに話す事はできない、下積みの雑用だ。まさにハードスケジュール。それでも彼はこの充実した環境に満足をしていた。
 一方、別れたつかさは駅を少し離れたターミナルの、東京行きのホームが見える位置から、どこか憂いの滲む顔をして眺めていた。
「『好きだから…』か。好きなんだったら……。」
 数分前の自分の言葉を繰り返し、瞳を閉じると、つかさもターミナルのバス停からバスに乗り込み、泉坂方面へと帰っていった。
 二人が出会って7年目の夏の終わりの事だった。



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