Top > Writing > 「夢の続き 明日の風」




■SCENE-03:『問いかける誰かの夢』


 高校時代の仲間との再会から、1ヶ月。
 東城綾は相変わらず仕事に追われる毎日だった。
 直林賞受賞の反響は大きく、春までは学業との両立があったためとはいえ、以前は月に1本だった執筆連載が、一気に1ヶ月に2本の連載を抱えるようになり、たまに単発での小説掲載の仕事もくる。そんな中でも生真面目な彼女は〆切りを守り徹してきている。裏を返せば〆切りさえ守ればスケジュールもある程度自由が利くという事だが、スケジュールを含めた一切の管理を、さすがに綾独りで出来るものではなかった。そういった面で彼女の仕事を全面的にサポートしているのは担当編集で半分マネージャーのような域まで彼女の世話をしている、静香と呼ばれる女性である。
 綾が2004年に現役女子高生小説家としてデビューを果たした後、密かに彼女のビジュアルが先行して人気を博し、しばらくの期間を置いて彼女が卒業する時にはテレビも取材するほどまでの随分な注目を浴びるようになった。しかし、その中で何を間違えたのか、彼女はとあるグラビア誌の取材まで受けてしまった。彼女の弟が面白おかしく仕事を引き受けたという話もあるが、いずれにせよそれを知った当時、彼女と専属的に仕事をしていた蒼睡社の編集部長が「これはマズい」と、お目付け役のような感じで紹介したのが静香だったという訳である。尚、この一連の事件について東城綾本人は「なんかポーズを取らされるし変な仕事だなとは思ったけど、フタを開けてみたらアレだし、編集の人に滅茶苦茶怒られたし、一番消し去りたい過去」と言っている。彼女の性格からすると随分と物騒な発言かもしれないが、今となっては一つの笑い話だ。
 このように出会いの理由は実は奇妙なものだったが、長い黒髪を後ろにリボンで束ね、常に知的で清楚な雰囲気を漂わせる静香は、同じ女性という事は然る事ながら、綾も安心して色々と任せられる優秀な編集者だった。以来、ずっと彼女を支えて5年目を迎えている。
「だからここは……」
「では静香さん……」
 この日はいつものように午後から綾の自宅の部屋で二人で打ち合わせをしていた。傍らにはコーヒーが2人分。綾は砂糖とミルクを少々多めに、静香はブラック無糖かミルクのみでいつも飲む。といっても話に夢中になり、せっかく綾の母が煎れてくれたにも関わらず決まって微温くなったものを二人して最後に飲み干すことになる。
 担当編集である静香は、小説家としての東城綾を「生真面目で〆切りを守り、優秀で才能溢れる小説家」だと言っているが、強いて言えば彼女は作品の全体像を見渡して進めるのが得意ではないらしい。勿論、作品の大まかなイメージを先に決めているのはどんなアマチュア作家でも必ず共通してやる事だが、どちらかと言われれば綾の小説のスタイルは、全体像を先に明確にさせてゆくよりも、現時点での感覚を大事にし、一歩一歩着実に、丁寧に進める「石橋を叩いて渡るタイプ」だという。彼女はその膨大な読書経験で培われた知識から相応しい言葉を紡ぎ出し、時に静かに、時に激しく、まるで均整の取れた煌びやかな織物のように、多彩に表現してゆく。表現一つに何冊もの辞書やらを引っ張り出す事もある程の拘り様だ。
「んーじゃあ、こういうのはどうですか?」
「うーんそうねぇ。それで行きましょうか、綾さん。」
 静香はいつも年下の綾をさん付けで呼ぶ。勿論、相手は仮にも作家、先生であり、自分はあくまでサポート役であるという事もあるが、女子高時代からこういう癖だったそうで、同級生でもさん付けだったらしい。どうやらこの日の打ち合わせはまとまったようだ。時計の針は午後5時過ぎを指している。
 とそこへ、玄関のチャイムが鳴り響く。宅配便か何かだろう。母が応対してくれているであろうので、綾は気にしなかった。すると、どうやらチャイムを鳴らした誰かの足音が自分の部屋へ近づいてくる。
ガチャ。
「ヤッホー、綾!5年ぶり!!元気してたぁ?!」
「遥ちゃん!!!」
 現れたのは綾の従姉妹で5つ年の離れた東城遥だった。従姉妹とはいえ綾とはよく似た美人であるが、醸し出す雰囲気も中身もおしとやかな彼女とは随分と違って明るくサバサバしている。何しろこの日も5年ぶりだというのに、事前に連絡もなく寄ってしまうくらいルーズだ。だが、そんな彼女も部屋には綾一人と思いきや見知らぬ女性がもう1人居たので、さすがに空気を察したようだ。
「おっと、お客さんか。」
「お邪魔しています。」
 静香は丁寧にお辞儀をする。綾に姉などいないのは知っていたが、一目見ただけで遥が親戚である事くらいは彼女にも容易に察しがつく。
「いやいや、邪魔はアタシの方だったみたいで…綾、この方どなた?」
「あたしの担当の静香さん。」
「お世話になっています。」
「あ、これはこれは。こちらこそうちの従姉妹がお世話になっています。」
 ラフな性格とはいえ、遥も大人の女性だ。すぐに丁寧な応対に切り替える。
「そっか、仕事中だったか。突然おしかけてスマンね。下で叔母さんと話してるよ。」
「あ、いいよ。一区切りついたから。ね?」
 同意を求められて、静香は机の上に広げられたスケジュール帳を少し眺める。
(確かにこの打ち合わせは終了だけど…〆切りは…よし、これならOKね。)
「うん、大丈夫。」
 ニコニコと顔を合わせる二人を見て、遥が何かに気付く。いや、正確にはずっと感じていた事をただ口に発したというところか。
「………なんか二人、結構顔似てないか?」
『え?』
 図らずも声が重なり、「そう…」「…かしら?」と、綾、静香の順で分け台詞が続く。
「いやいや、ほんとよく似てるって。他人にしては。」
 静香も綾と5つ離れているのだが、静香の方は年上の割に瞳が大きく童顔で、見た目には綾と同年齢位にも見え、しかも二人ともお嬢様育ちときているので、奥ゆかしい雰囲気まで似ている。
「でも、綾さん…と遥さんの方が似てらっしゃいますよ。」
「ん、まぁーそりゃ親戚ですしある程度は…………いや、もういい。」
『?』
 二人揃ってニコニコとしている姿を見て、なんだか遥もこの話を続ける気も失せてしまう。どうにもペースがおかしくなるが、元々他愛のない話だ。無理に引っ張る理由もない。
 一方、静香の方は打ち合わせも終わった事だったし、親戚が来たという事も察し、早々と引き上げようと腰を上げながら綾に言う。
「じゃあ私はそろそろ帰りますね。明後日の12時には原稿取りに行くから、よろしくお願いね。」
「はい。お疲れ様です。」
「お疲れ様!それでは私はこれで。」
 音を立てずに丁寧にドアを閉めて静香は綾の部屋を後にする。
「ありゃ〜気ぃ遣わせちゃったかな?」
 何かマズい時、左手で髪をかきあげるのは遥の癖だった。
「別に気にしなくていいよ。いつもよく一緒に食事にも行くし。それより今日はどうしたの?遥ちゃん。」
「ん?別に何も。ちょっと近くに来たから寄っただけ。久々に来たけど結構変わってるね〜泉坂も。」
「そりゃあそうだと思うけど…5年ぶりでしょ?」
「それもそうか。よーし、ちょっと時間早いけど綾も酒が飲める年になったんだし、どっかメシ食いに行こっかー。」
 (え?お酒…?)つい綾は一月前の"失態"を思い出してしまう。が、相手は遥だけだし、無茶な流れになる事もないだろう。せっかく5年ぶりに従姉妹が訪ねてきてくれたのだ。今晩の予定も迷う必要はない。また、丁度うってつけのお店が綾の頭に浮かんでいた。
「じゃあ、お好み焼きでいい?」
「ン。歩き?車?」
「歩き。すぐ近く。」
 会話が実に短く、単語の羅列の域である。二人が遠慮のない関係である事がよく解る。

 家を出て、二人は住宅街を歩く。遥は「どこで飯食うのかなぁ?」と楽しみにしながら綾の一歩後ろをついてゆく。遥はミスキャンパスに選ばれ、一時はモデル事務所からも声がかかっていたほどであり、綾より幾分背が高く、健康的なプロポーションを備えている。
 見慣れた公園にさしかかった時、綾の足が少し止まる。遥も止まった処で横にある公園を見て声をあげる。
「いや〜懐かしいね〜ここまだ残ってたんだ。小さい頃ここで色々遊んだっけ。」
「…そうだね。」
 何気なく遥が声をかけた時の綾の顔は一瞬だが少し曇っていたように見えた。
「あーっ、さては弟にイジめられてた頃の事思い出してたなぁ?ブランコで二人乗りしては正がスピード出して漕ぎまくって『恐い恐い』ってよく泣いてたっけ。」
「いや、そんなんじゃ…もう、いいでしょ!早く行こ!混んじゃうじゃない!」
「もう、止まったのは綾でしょ!」
 きびすを返して綾は公園を横に前に進む。
 勿論遥に言われて思い出していた記憶ではあるが、この時、綾の胸に去来していたものはそういうものではなかった。
 思い出さずにはいられない。中学校の時に抜け出していった日の事、いつも会う仲間と妹のような可愛い知人と遊んだ日の事、そして――。
 (今が秋で…よかったな……。)

 綾が辿り着いた先はごく一般的な一軒のお好み焼き屋だった。看板には『おこのみ(まさ)』という文字。
「へ〜こんな店できたんだ。」
 どうやら遥の方は知らないらしい。だが、綾がガラガラと引き戸を開けて後に続くと彼女は驚く事になる。
「こんばんはー。」
「ハイ、いらっしゃーい!お?」
「!?」
「席空いてる?正次さん。」
「空いてるよ〜っつーか綾ちゃん、今開けたばっかだぞ。後ろに居るのは…?もしかして、遥か?」
「ゲッ………セクハラ野郎の正次のオッサン!」
 無礼にも人差し指を向けて前に乗り出し、怪訝な顔つきで店主を見つめる遥。だが、それ相応の理由が遥にはあった。
「セクハラ野郎って人聞きが悪いなぁ。」
「13の女子中学生捕まえてお尻触ってセクハラじゃなきゃなんだってのよ!」
 ちなみに、綾の"被害暦"は15でストップだった。(尤も、彼女はそれがセクハラだとも思っていなかったが。)
「お〜お〜、相変わらず鼻っ柱が強ぇなぁ。ガキの頃はこっち来ては迷子になって泣きじゃくってて、おいちゃんが綾ちゃん家に送ってやったのにヨォ。」
 店主の正次は言いながら鉄板に火を付け調理の準備を進める。一方、綾は(そんな事があったんだ)と、密かにプッと噴き出し、口元を右手の拳で隠していた。だが、昔の恥を晒されて遥はそれにも気付かず、更に感情を露にした。
「なっ…!何言い出すのよそんな昔の事、綾の前で!」
「おやぁ?可愛い従姉妹にはバラされたくない秘密だったのかぁ?おいちゃんこりゃ失敬失敬!」
「それが失敬っていう態度…」と言いかけたところで、正次はニヤニヤしながら遥の後方を指差す。が、遥が振り返った時、既に綾はわざとらしくコホン、と咳払いをしながら、ポーカーフェイスを作っていた。やり場のない怒りを抱えながらも正次の言葉が続く。
「まぁとりあえずそこ座りや。怒ってたら美人が台無しだぞ。」
「………(なんか悔しい)。」
 散々あしらわれた挙句、"美人"と立てられながら場を収められる。アメとムチというところか、遥よりも正次の方が一歩も二歩も上手だった。
「そろそろできたかな?」
「ン。いいんじゃない?」
 鉄板の上にはジュージューと食欲をそそる匂いと共に、2枚のお好み焼きが音を立て、かつお節はまるで生き物のようにゆらゆらと舞っている。
「遥ちゃん、ソース取って。」
「ン。甘いのと辛いのあるけどどっち?」
「甘いの。」
「相変わらずアンタ辛いモン苦手なの?」
「うーん。」
 どれ、と遥はマジックで「辛」と書かれたアルミ製のフタを開け、小指でソースすくって舐めてみる。
「こんなの辛い内に入んないわよ。ちょっと味見してごらん。」
「うん。」
「どう?」
「うん。これなら食べられる。」
 本当はそれでも少し辛いと思ったくらいなのだが、綾は推されるままに「辛」の方を、丁度円形のお好み焼きの1/4だけ付ける事にした。ハフハフ、と息をかけて冷ましながら一切れを口に運ぼうとすると、またもや遥が注文を付けてくる。
「箸使うの?」
「え?普通はそうじゃない?」
「いやいや、コテのまま食べるのが通ってモンでしょー。」
 と言いながら遥は言葉の通りコテで一口サイズで切り、そのまま口に運んだ。コテを引き抜く際には歯を立て、ソースと絡んだかつお節を味わう。これぞ遥の言う"通"であった。が、綾には大して興味のそそられる事ではなかったようだ。
「もう、食事くらい自由にさせてよぉ…。」
「ン?あはは、わむいあるい………ン!」
 「悪い悪い」と言ってるつもりだったが、食べながらなのではっきりした発音にならない。そして既に遥の興味は今にも飲み込まれようとしているお好み焼きの味に向かっていた。
「おお!案外美味いじゃん、オッサン。ふわっとしてじゅわっとして甘くて辛くてすっぱいような、こんなお好み焼き生まれて初めて!!」
「案外って何じゃい。それとオッサン言うのやめぇ、兄ちゃんやろ!」
「40過ぎてりゃオッサンオッサン。頭もちょっとキてるしさ。」
 ケラケラと笑いながら正次をからかう。ところが正次の方は言葉を返さず、しばらくビールを注ぐと、それを席に持ってきた。
「はい、生中2丁ね。こっちは綾ちゃんの。」
「ありがとう、正次さん。」
「いや〜綾ちゃんがビール飲むトシになるなんて、ホント時が経つのは早いモンだねぇ〜。」
 正次がデレデレともシミジミともつかない態度でいると、脇から遥が声を荒げた。
「ちょっと!アタシのビール何なのよ、この泡だらけの!綾と全然違うじゃないの!」
 傍らに置かれた生ビールは、綾のものは泡と液体が3:7の黄金比で注がれていたが、遥の方は9:1でほとんど泡だった。
「おいちゃんの悪口を言うようなヤツにはそれでじゅーぶん。」
「ちゃんと褒めてたじゃん!お客様にこんなの出していいワケ?!注ぎ直せーっ!」
 遥はすっかりご立腹のようだ。
「でもさ、ビールは泡の方が美容にいいんだぜ?白いから美白にもいいらしいぞ。」
「あ、あら?そうなの。じゃあ頂こっかな〜。」
 勿論、大嘘である。

「プハーッ、やっぱ美味しいモン食べてる時が一番幸せねー。」
 一通り食が進んだところで遥は気になっていたことを訊ねた。
「そーいやさー、愚弟(しょうたろう)のヤツは?前来た時はたまたまいなかっただけみたいだけど、なんか今日来たら家にいる気配ないしさ。アタシ、アンタがどんどん有名になってくから、『姉ちゃんに悪い虫が付いたら困る!』とか言って、てっきりボディガードでもやってんのかと思ってたんだけど。」
「それが…高校卒業した後、『姉ちゃんみたいにビッグになるんだ!』って言ってギター持ってどこかへ出たきり…。」
「……………やっぱ愚弟ね。ま、連絡ないって事は元気な証拠でしょ。時にアンタの方はどうなのよ?あんな感じで仕事三昧?」
 呆れたように言い放つ遥。その場にいない愚弟の事より、目の前に居る従姉妹の事を聞く方がよほど話題になるので尋ね返す。一方、綾は思い出してみるが、昨日は?…仕事。一昨日も仕事。一週間前…も仕事。一月前は…?
「あ、一月前に高校時代のクラブの仲間と同窓会してきたよ。お土産もあるんだけど、あっ……。」
 綾はそのお土産を京都に置いてきてしまっていた事を今頃になって思い出した。せっかく買った西陣織のハンカチはさつきの車のトランクに眠っている。
 遥は、「あっ」の一言だけで全てを察知した。
「…忘れたんでしょ?」
「………ゴメン。」
 お互いが忙しい最近でこそ会わなくなったが、幼い頃からよく遊んだ遥にとって綾のこの手のドジにはもう慣れっこだった。学生時代、学校の持ち物を忘れはしないのだが、緊張感を抜くと途端にこの手のミスをする。故に、その学校の友人の間でも知れ渡っているくらいなのだから、家族・親類の間では尚更お馴染みなのである。
「同窓会かぁ〜いいよね、何年経っても何十年経っても変わらずに会える仲間ってさ。」
「これ、その時の写真。後輩が送ってくれたの。」
 遥は、ふーん、と言いながら手渡された写真を眺める。
「アンタの友達、随分可愛いコが多いね。それに比べて男はなんかバカっぽい面子ばかり…月とスッポンって感じ。」
 従姉妹の仲間の顔をズケズケと"品定め"する遥。だが、とある写真の男に目が止まる。
「お、この男のコちょっとかっこいーじゃん。この黒髪の短髪のコ。紹介してよ綾!」
「え?どれ?」
「ホラ、このコ。」
「……………。」
 遥が指差した"かっこいー男のコ"とは、何のことはない。真中淳平である。拳を組んで頬に寄せ、瞳をキラキラさせて聞く遥に、綾は溜め息を一つ入れて答える。
「……………真中君なら遥ちゃん会ったじゃない。それに…好きな人もいるはずだし。」
「え〜?こんなコ会った事あったっけなぁ〜?」
 そういわれて遥は写真を目の前に寄せ、眉をひそませながら尋ねる。
「ホラ、お正月に。」
「え〜?お正月ぅ〜??…………………………………ああ、思い出した!そういやあん時アタシ筋トレしてたんだっけ。へぇ〜、そーか、これがあの時のパッとしないコかぁ………。」
 およそ3秒ほど笑顔を硬直させた後、遥は身を乗り出し、叫んだ。
「うそぉー!!詐欺よー!これがあん時の男のコぉ?!アレからコレに!??全ー然違うじゃん!!!!!」
 キーン、と衝撃が耳を突き抜ける。綾はますます呆れた表情で言った。
「遥ちゃん、声デカいよ…。」
「チッ…こんな事ならあん時、胸揉ませてツバつけときゃよかった。」
 その今更の逆光源氏計画を聞いてジーッと蔑むような視線を送る綾に、遥が慌ててフォローする。
「ってのはまぁ冗談としてぇ…へぇ〜あの時のコがねぇ。…ン?あれ?このコ、アンタが好きなんじゃなかったの?」
 実に簡単に遥は、綾の心の引出しの奥に触れてくる。
「え…?あたしの方は……好きだったけど…。でも、中学校の時から付き合ってるコがいるの。」
「ふ〜ん…アタシにゃこのコ、アンタに気があったように見えたけどね〜。」
 (あれ?それって結構サイアクな男のよーな…)と遥は思うが、よく知らない少年の、それも従姉妹の仲間の悪い所をわざわざ糾弾する事もあるまい。むしろ彼女の興味はその相手に向かっていた。
「まぁ人の気なんて変わるモンだしね。で、アンタみたいないい物件フイにしてまでくっついたコってどんなコなの?顔は?顔は?なかなかアンタに敵うコなんていないと思うんだけどなー。」
 (物件って…。)
 もう完全に週刊誌とワイドショーを見る主婦のような状態の遥に、ズケズケと心の奥を踏み込まれている綾もバカらしくなってきた。だが…。
「…そのコ、アイドルみたいに可愛いよ。」
「ほぉ〜、じゃあさ、なんか取り得とかあるの?」
「…料理は上手かったと思う。」
「うっわ、そりゃー強敵だわ。男にとっちゃあポイント高いよ、料理の上手い女は。」
 ズン!
「……。」
「まぁ、そんな履歴書見て選ぶよーなのもどうかと思うけどね。っつーかそもそもこの男のコ、どんなコだっけ?」
「えっと…中学の時から映画監督志望で、今は見習いやってるみたいだけど…。」
「へぇ〜そんな昔から…。賢いの?」
「え?んっん〜…高校の時は正直そんなに…。」
 綾は本当に正直に答えてしまう。ちょっと彼には申し訳ない気持ちもしたのだが。
「あ〜それは却ってマイナスだね。」
 ズンズン!
「………。」
「女の方が頭も才能もあったんじゃ、男はコンプレックス抱いて敬遠しちゃうもん。」
 ズンズンズン!
「……………。」
「まぁ、性格的にはアンタの場合、一歩引いて男を立てるような優しい女房タイプって感じだと思うんだけど…ン?」
「…………………。」
 気付けば、綾は下を向いており、どんよりとした曇り空を纏っている。
「ああっゴメンって綾!本気にしないでよ、もう!ホント解りやすいコねー!ま、もう別にそーゆー機会くらいでしか会わないでしょーし。」
 本当は、それでもよく振った相手なんかと会えるもんだナー、と遥は思っていたのだが、一方で綾も頭にバカが付きかねないほどのお人好しだ、と思うのだった。しかし、当の本人はそんな冷めた遥の見解とはお構いなしに、右手を唇に当て、何かを考えている。

(個人的に会う事ももうないだろうけど…)

 不意に思い出す自分の言葉。
(もう一度…やり直したい……。そう思う事は…今の自分に…許されるのだろうか…?)

「…ゃ、…や、…ちょっと綾!」
「は、はい!」
 ビクッと顔を上げ、耽っていた思慮から引き戻される。遥は肘をついてフゥーと鼻から一息入れてこう答えた。
「『はい』って…。…アンタって、本当わかりやすいコね。なんかそのコのことで悩んでんデショ?」
「……………。」
「アンタの反応見てりゃどれだけそのコと深い縁があるのかくらいアタシですら解るわ。」
 そして、彼女の想いの深さと、喜びも、悲しみも。
 だけど、今の彼女が考えている事が何なのかまでは解らない。
 既にお好み焼きは平らげられ、テレビからバラエティ番組の音声が流れていた。店主の正次は訳アリの様子を察し、煙草を吹かしてそちらを見入っているフリをしている。
「…で、どうしたいの?」
「…え?」
「え?じゃないわよ。だから、そのコの事で悩んでる事があるんでしょ?おっと、『別に…』ってのはナシね。アンタの顔には全然そんなの書いてないから。」
「……………。」
 やれやれ、と思いつつ遥は言葉を続ける。
「いーい?綾。アンタは不器用で、そのくせ爪の先まで真面目でさ…でもさ、抱えきれない事は誰かに肩代わりさせたっていいと思うんだ。今のアンタには、そーゆー仲間がいるんだし、少なくともアタシはその中でも一番古株でしょ?それともアタシは悩みを打ち明けてもらえないほど信用できないのかしらん?」
 遥はわざと意地悪く言ってみた。
「………。」
「だからさ、おねーさんに話してみ?」
 ニッと力強く、優しく、微笑みかける従姉(あね)に、従妹(あや)は素直に従う事にした。

「ほぉ〜、へぇ〜、なるほどねぇ〜。」
 遥は、先ほどからこのような驚嘆の声しか発していない。何を言うのか綾の方が気にしているというのに、遥の方は、かっこつけて尋ねさせた事を後悔してしまうような無責任な発想が過ぎっていた。つまり、思ったより手に余る話だったという事だ。だが、話に乗った、乗せた以上はしっかり答えなくてはならない。
「しっかしまぁ、そりゃまた、すっごい縁ね〜。ただ、話を聞くにアタシが思うのは…」
「思うのは…?」
「ま、100%実現しないね!ムリムリ!」
 ガンッ!
 思わず綾は額を打ち付ける。やはりこの軽い従姉妹に聞くのは間違いだったのか?額をさすりながら遥に視線を向ける。
「〜〜〜〜〜〜〜。遥ちゃ〜〜〜ん……。」
「いやいや、冗談ではなくてさ。だってほら、考えてみてごらんよ?その…真中君か。彼だって本気で言ってるとは思えないって。つーか言ってたら正直バカね。アンタだって世間から見ればトントン拍子で小説家になってるように見えるけど、しんどい事や辛い事なんかいっくらでもあるだろ?これから彼はそういった"生みの苦しみ"ってのをイヤというほど味わうんだよ?まぁできたとしても巨匠と言われるジジイになってからの話じゃない?よくわかんないけどさ。」
 半身を壁に預けてビールを呷りながらも、遥は真剣に話してくる。
「ま、だけど聞いといてナンだけど、アンタが納得出来るようにすりゃいいと思うよ。目指す方向ばしょを決めるのは、綾。アンタよ。いいんじゃない?そんな途方も無い事やらかそうなんてバカの1人や2人がいたって。っつーかアンタらは、そういう人に夢を与える世界の人間だろ?」
 夢を与える世界の人間、その言葉が綾の心に残った。
「それに、罰には丁度いいしね。」
「罰…?」
 キョトンとした面持ちで遥の顔を見る。遥は、人差し指を綾に向けてニヤリ顔でこう言った。
「そ。かわいー従姉妹を振るよ―な見る目の無い男にゃ、それ位の事の1つや2つは軽くやってもらわにゃ罰にはならないわね。綾はさ、男に(と言うより「他人に」だけど)頼るのが下手だけど、アンタは女の子でしょ?男に頼るのは、女の特権よん。」
 先ほどは「100%無理」と括ったにも関わらず、今度は「それ位の事」ときたものだ。おまけに今はグビグビとビールを呷っている。遥は既に半分出来上がっていた。
「まぁさ、頑張んな。アンタが気付いて、アンタが決める事だ。誰に遠慮する必要があるってのよ。ま、これがあたしからのアドバイスね。」
「そうそう、俺も若い頃はバカやったモンだ。だが、反省もしてきたが、後悔した事は一度もねぇ。まぁちと俺にはよくわかんねー話だが、何事もやってみてナンボだぜ、綾ちゃん。」
 カウンターの奥から料理のタネを作る手を少し止め、腕を組みながら正次も口を挟む。
「うん…ありがとう、遥ちゃん、正次さん。」
「安心するのはまだ早いんじゃなぁい〜?アンタのその話をそのコが受けるとは限らないのよ。」
「……………。」
 さっきから励まされてるのか、落ち込まされているのか、さっぱり分からない。落ち込むような呆れるような、そんななんとも形容し難い感情が綾の心に生じている。
 正次は正次で(バカタレ…)という視線で遥を見ている。
 そして、遥はその言葉で見せた綾の反応を見て思う所は、
(あ、まぁたなんか抱えてる顔してやがる…ホントわかりやすいコ。)
「デコピーン!!!」
「いたっ!」
 唐突に遥の右手中指からデコピンが見舞われる。そしてそれは無防備な体勢の綾の額にものの見事に決まった。
「そのクヨクヨした態度禁止!」
「ったー…もう…。」
「とりあえず、話は終わりね。飯よ飯!」
「はーい。」
 少し釈然としない感情を抱いたまま再び食事に戻る。ただ、ここに居る店主の正次も、目の前でケラケラと笑いながら何杯目かも解らないビールを飲む遥も、自分の事を昔から理解してくれて、心配してくれている。家族やそれに近い関係、これほどありがたい存在はなかった。
(そういえば正太郎はどうしてるのかな…?)
 居なくなって数年経つ弟の事が少し気になるのだった。
「ほい、おまちどお。」
「ほら綾、アンタの料理来たよ。」
 ふと視線を横に向けると、正次がカウンターの奥から出てきて料理を持ってきていた。
「え?わぁ〜おいしそう〜ありがとう正次さん。」
「…………綾、そのいちごとか乗ってるの何?」
 綾の前にあるモノを見つめて遥はひきつった顔をしながら、尋ねる。そのモノとは小麦粉と卵で出来た生地に生クリームやらチョコやらフルーツやらがゴチャゴチャ乗っており、ファンシーな見た目だけでも甘ったるくてお腹が膨れそうな異形のお好み焼きだった。
「クレープ焼き。甘くて美味しいよ?食べる?」
「綾ちゃんだけのスペシャルメニューなんだよな。」
「(うえええええぇぇぇぇぇ…)遠慮しまふ。」



←■SCENE-02:『追いかけていた明日に 今はただ…』 ■SCENE-04:『L.a.r.v.a.e』→