Top > Writing > 「夢の続き 明日の風」




■SCENE-04:『L.a.r.v.a.e』


 都内某所のとあるホテルの中。
「タコのマネでござ〜い…」
 しゃがんだ体勢からクネクネと奇妙な動きをしながら上半身を上げ、カメラに映りこむ体躯の良い男がいた。
「おはようございま〜す。」
 その男――東城綾や真中淳平らが所属していた映像研究部の面々の一人である小宮山力也は、胸に真っ赤なリボンをあしらった金ピカのスーツを着て、マイクを持ちながらカメラに向かって挨拶をしている。しかしその声は非常に小さく囁きかけるようなボリュームである。時刻は午前4時。当然と言えば当然だが、どうやら理由はそれだけではないようだ。
「え〜『マネージャーが突撃!寝起きドッキリ』。視聴者の皆様、初めまして。外村プロダクション・マネージメント部所属の小宮山力也と申します。え〜なんと今回はですね、我が外プロの看板アイドル、端本ちなみちゃんに!寝起きドッキリを仕掛けたいと思いまーす。」
 そう言うと、力也はカメラマンら数人のスタッフを連れながら、忍び足で廊下を歩き、とある一室の前で再び立ち止まりカメラに向かって話しかける。
「こちらがですね、ちなみちゃんが泊まっている1073号室になります。じゃあ〜ん!そしてこちらがそのカードキーです。マネージャー特権で預かっておりま〜す。それでは、早速!…入りたいと思いま〜す。」
 まゆ毛をコミカルに上下させながら、ゆっくりとカードキーを入れる。ドアに備え付けられたスロットルのランプが赤色から緑色に変化したのを確認すると、力也はマイクを手にしていない右手の人差し指を口に当てて「シー」のポーズをカメラに向けながら、部屋の中へと進んでゆく。
 力也は奥の寝室まで行き、端本ちなみの寝姿を確認する。全身をシーツで包んで華奢な素足が見えてはいるが、顔を窺い知ることは出来ない。
「見て下さい。あちらで寝ております。カメラマンさん、シー。」
 すると今度は十歩ほど引き返し、洗面台の方へ向かう。
「え〜定番ではございますが…こちらにちなみちゃんの使った歯ブラシがございます。カメラの前の男子高校生諸君!私が憎いですかぁ?でもマネージャー特権!頂きまーす!」
 幾分興奮した演技…ではなく本当に興奮しながら、力也はコップにかかった歯ブラシをパクッと口にし、ウットリした演技…ではなく本当にウットリしている。
 続いて力也は机の上にある飲み差しのペットボトルのお茶とタオルを指差して、カメラに確認させる。
「見て下さい!そしてこちらには…飲みかけのお茶、こちらは六十四茶ですね。そして椅子にはバスタオルがかけられておりま〜す。うーん…」
 と言うと、力也はバスタオルにほお擦りをし、お茶を飲み干す。彼は裏方でありながら何度かこういった表舞台に立てる名物マネージャーとして、ちなみと共に最近密かにバラエティ班の業界内では注目されている。大きな体格や単純な性格に似合わず、意外に小器用な一面を持つ彼は、先ほどからカメラの前でも気を抜かずに進行しているが…。
(うわーい、ちなみちゃんのマネージャーやって早3年目…こんな役得な仕事が出来るなんてやっぱこの業界最高だぜ!)
 しかし、彼は今、完全に幸せの真っ只中にいた!

「それでは、ちなみちゃんの寝起きドッキリを敢行したいと思いまぁ〜す。」
 引き続き囁きかけるような声でカメラに話し掛ける力也。
 ひたひたと足音を殺して、いよいよちなみの眠るベッドへと近附く。ちなみはフカフカの上布団を抱き枕にして、スゥスゥと寝息を立てている。
 左足を布団から出している所を見ると、どうやらキャミソールと短パンがこの日の寝間着のようだ。勿論、カメラマンは力也の進行に従い、現在、注目度赤マル急上昇中のアイドルのおみ足をばっちりカメラに収めている。
「いよいよ、ね、寝顔を拝見…!」
(はぁはぁ…ち、ちなみちゃんの寝顔……!)
 力也は千載一遇のチャンスだと思っていた。以前、移動中で寝こけている彼女を覗き込んでいた彼は、彼女が目を醒ました瞬間、「やだぁーキモい!小宮山さん覗かないでよ!」と右フックを見舞われ、しかも歯が一本抜けてしまったという事がある。ついつい彼は彼女の寝顔を15cm程の前まで迫って覗き込んでヨダレを垂らしていたのである。それ以降、ちなみは力也と行動するとき彼より先に眠ることはほとんどなくなり、どうしても眠くなった時には彼が15cm以内に近付くと耳栓に仕込んだ警告音が鳴る、「小宮山センサー」を密かに作動させているのだ。ちなみに、作ったのは彼女が所属している外村プロダクションの若き社長であり、高校時代の先輩である外村ヒロシである。
 しかし、力也は全くこの事を知らない。何故かいつも悟られてしまう原因に気付かないまま、「マヌケの歯抜け右フック事件」(※外村ヒロシ命名)以来となる、彼女の無防備な姿。このチャンスを逃す法は、ない!
 鼻息と共に噴出しそうな暴走寸前の理性をなんとか抑えながら、力也はマイクを握ってレポートを続けた。いよいよだ…!
「見てくださぁ〜い。スヤスヤと眠っております。これがちなみちゃんの素顔です…!」
 小宮山の手によってついに顔を覆っている部分の布団がめくられ、あどけなさの残る寝顔が披露される…!!

「え〜まだスヤスヤと…眠っております。」
 カメラマンが10秒ほどちなみの寝顔を映した後、照明に気付いたのかようやく彼女が起き上がる。
「う、うーん…ハッ!やだぁ〜もう!!」
 ドカッ!
 その瞬間、甲高い悲鳴と共にちなみの脚から力也の顔面にキックが放たれた!
「グハッ!ち、ちなみちゃ…ん……。」
「あ、あら…?何コレ?えっ?えっ?」
「ちなみちゃん…ね、寝起きドッキリ成功〜〜〜〜〜…。きゅ〜。」
 最後の力を振りしぼってカメラにそうレポートすると、力也はその場でバタンと倒れた。
(あ、しまった…つい力が余って…あ、カメラ回ってる!続けなきゃ…!)
「あれ?え?カメラ…?」
 機転を利かしてまだ戸惑っている演技をする。それに気付いた、カメラの後ろで見守っていたディレクターが「ドッキリだよ」と囁くと、
「ドッキリ…?やーんもぉ〜勘弁してくださいよ〜〜!ちなみ、はしたないとこ見られちゃったv」
 と、困り顔でもスマイルを忘れずにカメラに向かってアピール。さすがはアイドル。
 だが、進行役の力也はベッドの横でノビており、上手い"オチ"が見つからない。しかしそこもアイドル。
「あれ?小宮山さんは…?」と分かっているはずなのに聞いてディレクターから「横、横」と笑い混じりの返答を待つと、
「きゃ〜ごめんなさ〜い!小宮山さぁ〜ん!ちょっと起きて!起きてくださぁ〜い!」
 と言って力也の頭を上げてカメラに向けさせると、
「ドッキリ大成功ぉ〜!…お?」
 スマイルで締めの台詞を決める。最後に首を傾げる動作をしたのは、勿論進行役の力也がノビているというアクシデントを誤魔化しているような素振りという訳だ。
 だが、それだけではない。この時一緒にカメラに映っていた力也の顔は泥棒コントのようなメイクがされていた。起き上げる際にちなみが咄嗟にテーブルからマジックを取り出し彼の口の周りに塗っていたのだ。
 このアドリブには同行していたディレクターも感心していたようで、オンエアでは、しっかりテロップとナレーションで説明もなされていた。思わぬハプニングもしっかりと対処して笑いに変える。ちなみのアイドルとしての素養は確り備わっていた。

「ちなみちゃん、痛ぇーよ、あれマジだったろ…?」
「だぁってぇ、目の前に小宮山さんの顔があったら誰だってあーなりますよー。」
(どーゆー意味だよそれ…)
 バンソウコウを張った腫れた顔面に氷水を当てながら、力也はタクシーの中で釈然としない表情でいた。
「それにもうちょっといい仕事取ってきてくれませーん?」
 顔をプクーッと膨らませながらワガママな子供のような態度を出す。
「無茶言わないでくれよちなみちゃん…これ必死にテレビ局に売り込んでやっと取ってきた仕事なんだぜ?」
「ちぇーっ!ちなみもまだまだって事なのかなぁ。」
 端本ちなみは今ブレイク寸前のアイドルである。これまでに出した2冊の写真集は売れに売れ、1年半程前に出した1冊目の写真集はデビュー作の売上新記録を打ち立てている。とはいえ、それはあくまでグラビアアイドルとしての評価。実績の少ない新人アイドルがテレビというメディアに出るのはまだ難しい。力也も愚痴るように、今回の仕事も彼が各所を駆けずり回って獲ってきたものであるのも事実だ。ちなみ自身に天性のアイドル性があることは勿論だが、力也の足を使った体当たりの営業も縁の下の力持ちだ。彼はちなみを売り込む事に心血を注いでいた。
「それに『寝起きドッキリ』って言やぁアイドルの登竜門だぜ?」
「うーん…ま、結構楽しかったしいっかぁ〜!!」
 にぱっと人懐こい笑顔を作るちなみに、力也は思わずデレっとしてしまう。
(そう、これだよ!ちなみちゃんの笑顔が見たいが為に俺はこの仕事をやっているんだ!そして俺が一生懸命仕事してるってトコ見せていればいつかちなみちゃんが…!)
 しかし、淡い夢を抱く力也を尻目に今度はちなみのパンチが見舞われる。
「なにやらしぃ顔してんですかー!」
「ふげっ!ち、ちなみちゃん…顔怪我してんだからぶたないで…。」
 と、タクシーの外の風景を目に留めるとちなみが突然声をあげた。
「あ、運転手さん一旦停めて〜!小宮山さ〜ん、ちなみ、買い物したぁ〜い!」
「ええっ?!ちょっとこれから大事な人に会うんだぜ?」
「買い物したいした〜い!ね?ちょっとだけでいいからちなみ、あそこでエルメスのバッグ買いたぁ〜い!!」
 瞳をうるうるさせながら上目遣いで力也の顔を覗き込む。
「そんな事言ったってなぁ…。」
 困り顔の力也を前にちなみが一計を案じた。
(チッ…こうなったら奥の手…!)
「買い物させてくれないと…ちなみ、小宮山さんのこと……………嫌い…。」
 ボソっと呟き、拗ねた態度と涙を浮かべた顔…。並みの男であれば、彼でなくても思うことだろう、そんな顔はナシだ、と。これがちなみの最強のおねだり術だった。
「しょうがねぇな…。じゃあ15分だけだぜ?」
「わーい!運転手さん、ちょっとごめんなさいねー!」
 意気揚揚と店へ駆け込むちなみの後ろで、力也は財布を見てうなだれかける。
(た、耐えるんだ俺!これもちなみちゃんに好かれる為…!)
 力也は重い足取りでトボトボ歩きながら追いかけていく。買い物の費用は彼持ち。因みに、ちなみは力也が勘違いをしている事は重々分かっていて、こういう場面で彼の純情(?)を大いに利用している。
「あ、ところで小宮山さん、大事な人って誰ですかぁ?」
「ン?ああ、外村が言うにはなんか若手の音楽ブルドーザーだとか何とか…。」
「………音楽プロデューサー?」
「ああ、それそれ。」
「え、それって…?」


 キィーッ、バタン!
「はい、すいません。マル株の外村プロダクションで…。」
「わぁ〜!!ねぇ小宮山さん!ここ?ここ?」
「ああ、間違いないぜ。」
「やったぁ〜ついにちなみも歌手デビューできるのね!(そして印税がガッポガッポ…嗚呼、芸能界って、素・敵。)」
「でもまだわかんねーぜ?デモテープ聴いて声かけてくれたSatolって人が一度会いたいって言って来たってだけだしな。」
「ふーん…でも、絶対ちなみの美声でギャフンと言わせてやる!」
 天にも昇る心地でスタジオに駆け込むちなみを、後ろから力也が追いかけてゆく。
(約束の10分前…何とか間に合ったぜ。それにしても意外と小さな所だなー。)

「ふぁ〜凄い機材…。」
 ちなみは目を丸くしきりだった。スタジオの中は所狭しと詰められたシンセサイザー、ギター、アンプ。最新鋭のコンピュータから30年ほど前の古めかしい機械まである。デジタルからアナログまで厳選されたこの音楽製作の環境は、ミュージシャンなら涎を垂らさずにはいられない世界であり、そこまでの知識のない彼女にとっても圧巻の光景であった。
「おっ来たか。」
 そう声をかけてきたのは彼らの社長であり同輩・先輩である外村ヒロシだ。メガネをかけた青年と話しながら飲むコーヒーを置いて起立し、彼に二人を紹介する。
「紹介します。ウチで今売り出し中のアイドル・端本ちなみです。こちらはマネージャーの小宮山です。」
『初めまして。』
 ヒロシの言葉に続いて力也とちなみが二人揃ってお辞儀をすると、その青年はヒロシに向かって笑いながら「似合わないなぁ、普段どおりに喋りなよ」と言った後、二人に自己紹介をした。
「初めまして。Satolです。」
 その青年は、音楽プロデューサーという肩書きでありながら、驚く程若く見える。眼鏡をかけ、格好も地味で、小柄。学生といっても通用するくらいである。そのあまりの普通ぶりに、力也はともかく、ちなみは正直(…この人そんなに凄いの?)といった視線を向けていた。
「ま、緊張しないで腰掛けて。」

 4人で椅子に腰掛けているがヒロシとSatolが互いにどんどん喋る中で、たまにヒロシに釣られてちなみが「はい」を頷くばかりで彼女は置いてけぼりである。力也に至っては完璧に蚊帳の外に近い。
 何分未経験の分野に入るという事で今回は社長であるヒロシ自らが色々と下準備をしてきたのだが、話の解らないちなみは少々退屈な気持ちになってきて、抱えていた疑問をついに口にしてしまう。
「ねぇ、外村さん。Satolさんってそんなに凄い人なの?」
「おまっ…なんちゅー事を!」
 ヒロシが思わず怪訝な顔してちなみを見つめる。
「だぁってぇ…。」
「あはは。でも今日のメインヒロインが置いてけぼりじゃつまらないよね、ちなみちゃん。」
 そうだなぁ、と独り言を言った後、Satolはパソコンとシンセサイザーのある机に移動した。
「まぁ、百聞は一見に如ずってヤツかな。端本、小宮山、よっく見とけよ。驚くぜ?」
 ヒロシが腕を組んで得意気な顔して眺める横で、ちなみが人差し指を口に当てながら「?」の文字を周囲にちりばめる。
 Satolはコンピュータとにらめっこしながらシンセサイザーをしばらくちょくちょくイジったかと思うと、「よし。」と口にする。次の瞬間、彼の顔は先ほどまでの温和な顔から一人の音職人の顔に変化した。そして、同時に彼の指が目を疑うほどの驚くべき速さでキーボードと鍵盤を叩き始め、鮮やかに、瞬く間に音が重ねられてゆく。
「す、すげぇ…。」
 力也が思わず口にする横でヒロシが呟く。
「Satol…彼らが大学時代に結成してメジャーデビューしたユニット・『AKANE』のキーボーディストさ。」
「え?あのSatolさんですか?!」
 ちなみが声をあげる。
「眼鏡かけてるから分からなかったー…『AKANE』知ってる!ボーカルのTohma、結構かっこよかったなー。『Heaven's Messsenger』が一番好きだったかな?」
「緻密に計算された作曲・編曲をこなすユニットのブレーン…デビューからいきなりオリコンのチャート上位に叩き込み、11枚のシングル・3枚のアルバムを出した伝説的なユニット。ただ、人気絶頂の最中、突然の解散…。」
 ヒロシがそう言うと、Satolが呟くように言った。
「ギターのTakashiがあんなことにならなければね…。」
「おっと、すまない。」
「いや、今更言っても仕方ないよヒロシ。しかしペットボトルを踏んづけて転んで意識不明なんてな…。」
「今は回復してるんだっけ?」
「いや、治ってはいるけどなんか女の子の体に乗り移ったとか訳の解らないこと言っててまだ混乱気味だよ。いずれにせよ音楽を再開するのはまだ難しそうでね…。さて、できたよ。」
 と言うと、最後にタンッとキーを押して、足を組んで椅子をこちらに向ける。
「相変わらず凄い速さだなぁ。」
 ヒロシが賞賛の言葉を投げかけると、パソコンを通して部屋中に音が鳴り響く。先ほどSatolが打ち込んだ出来たての曲が流れていった。彼がここで即興で作った曲は彼の十八番である、高速ビートのデジタルポップ。BPMは160ほどだろうか。折り重なった音と、畳み掛けるように変化するメロディがその完成度の高さを物語っている。
 1分半ほどで曲が終わった後、Satolが言った。
「まぁこんなもんですね。どうだった?」

「す…」
「すごぉぉおおおい!!!」
「わっ!」
 力也も同じ言葉を言いかけようとしたが、すかさずちなみが賞賛の言葉を叫び、Satolに抱きついた。
「凄い凄い!Satolさんお願いッ!!ちなみをプロデュースしてッ!!ちなみなんでもするからっ!お金出して裏口入学するようなマネでもするからッ!!」
「プッ裏口って……(しかし、こ、困ったな…。)」
 Satolは顔を赤くしながらどうしていいか分からず、まごまごしている。ヒロシについては守銭奴な彼女とは正反対の反応に内心驚愕していた。
 ちなみはかなり強かな性格をしている。悪く言えば典型的なイマドキの若者で、やんちゃなタイプだ。自分の魅力というものを確り把握しており、どういう仕草をすれば男性が喜ぶかを心得ている。
 だが、この時の彼女は違った。Satolの音楽、技術に心底に揺さぶられ、思うが侭にその感激を表現しているのだ。そういった類の感動は実は彼女がこの仕事を選んでから、ずっと感じていたことではある。毎日が未体験、毎日が刺激的。計算高い強かさも裏を返せば貪欲に色々なモノを自分の糧に吸収する好奇心旺盛な性格と言える。その中で「負けられない!」というプロ意識も芽生えてきた。彼女は意外とプライドが高く、それは「努力」に繋がる。そういった資質は移り変わりの激しい厳しい芸能界を舞台とする過酷なアイドルという職業に必要不可欠であり、彼女にとっては天職と言って良いだろう。
 だが、刺激も慣れれば刺激足りえなくなる。そういったマンネリ感がここのところ彼女の中であったのもあってか、ちなみにとっては久方ぶりに魂が打ち震えるような感覚だった。本当に感動したものには驚く程素直に、感動を小さな体一杯に表現する無邪気さも彼女の隠れた魅力だ。
 一方、力也はその光景を見てしばらく白く固まっていた。
「おいおい、感動はいいけど、今度は端本の番だぜ。」
 事を運ぶために、ヒロシが切り出した。
「じゃあ、あの!これ、新しく持ってきたデモ用の曲を入れたCD-Rなんですけど…。」
 力也の鞄から抜き出し、珍しくちなみが恥ずかしそうに差し出すが、意外な事にSatolはそれをつき返した。
「いやいいよ。既に送ってきてくれたものはちゃんと聴いてるんだし、今度はマイクの前で直接唄ってくれないかな?隣りの部屋がレコーディングスタジオになってるから。」
「ほぇ〜、歌入れまで出来るんですか?」
「そりゃあ俺のプライベートスタジオだからね。」
 なるほど、道理で。力也が意外と小ぢんまりした所、と思ったのはこういう訳であった。

「じゃあそのマイクに向かって、ええと…まぁ気は楽にして、唄ってみて。」
「はい。」
「いつでもいいよ。」
 マイクを前にちなみは少し緊張していた。しかし、ここは試される場である。目の前にいる人間は自分が歌手として相応しいかを見定めている。もし歌手デビューした場合、彼女のアイドルとしてのネームバリューも生きてくるし、むしろそっちを活かして売り出すのが常套だろう。しかし、今はその段階にすら立てていない。相手は音楽プロデューサーであり、彼女の音楽としての部分だけを手掛けてくれる、いや、手掛けてくれる"かもしれない"人間。かたや自分の実績はゼロ。ここでは自分はアイドルではなく純粋な歌手としての商品を試されているのだ。物怖じする訳にはいかない。「緊張して唄えませんでした」なんて言い訳も出来ない。全力でこの試練を乗り越え、そして打ち克たねばならない。彼女はそれをちゃんと把握している。
 しばらく気持ちの整理をつけた後、ちなみの顔が変わった。人差し指と親指で丸を作って「OK」の合図を伝えると、Satolが曲を流し始める。
 曲は『Wild Saver / ブラックコング(2003)』。ボーカルにナオを据えた、この年代の人間なら少なくとも耳にはした事がある男性4人編成のロックバンドの曲である。男性ヴォーカル曲を女性であるちなみが唄うというと不思議かもしれないが、これは至って単純な理由で、彼女が高校時代に好きだった曲だからで、まずは彼女が一番自然体で歌える得意な曲から…という訳だ。

 ゴクリと心配そうに見つめるヒロシと力也に対し、Satolは眼鏡の奥から冷静に見定めるように彼女を見つめ、耳を傾ける。しかし唄い出しに入った刹那、3人は等しく驚愕という反応をする。
 聞こえてきたのは圧倒的な存在感。更にBメロ、サビときてその歌声は爆発する。アイドルらしく可愛い地声であることは確かだ。しかし、こんな小さな体からどうしてこんなパワーが伝わってくるのか!カラオケでやるような素人のモノマネではない。いや、確かにカラオケで唄っていた曲ではあるのだが、完全に自分のものにし、荒削りだがちなみは既に自分の歌声を個性として確立していた。
 気付けば、3人は1番だけだった予定の曲を最後まで聞き惚れていた。むしろ終わった後、緊張して惚けていたのはこの3人で、ちなみの方がキョトンとしていた。ややあって、Satolが拍手をし始め、ヒロシと力也がそれに続いた(尤も彼らはデモ用の曲を録音していた時との余りの差に半分呆れてもいたのだが)。
「凄く良かったよ!」
「本当ですかッ!?ありがとうございます〜!」
「とりあえず一旦こっちに戻ってくれる?」
「はい!」
 興奮気味に話しかけるSatolにちなみも本当に嬉しそうに返す。と、その間にSatolは椅子を回転させヒロシに話しかけた。
「でもヒロシ、彼女どこかプロの下でボイストレーニングしてたんじゃない?」
「あ、バレた?」
「そりゃあ発声法とか唄い方とか見れば解るよ。」
 そう、いくらちなみ本人の天性のアイドル性があったとしても、歌手としての力がド素人に備わっている訳がない。真似事ではない実力にはちゃんと裏打ちされた密かな努力があったのだ。それが必ずどこかで開花すると信じて。そういった先の活躍を見越した下積みを重ねるのも新人の仕事であり、それを先行投資するのは裏方であるプロダクションの仕事だ。
「ま、隠してた訳じゃないんだけどね。仕事の合間に何度か行かせてたよ。なっ小宮山?」
「お、おう。まぁ今日ほどすげぇとは思わなかったけどな。」
 この日はこの後、4人で今後のことを何時間も話し合った。勿論白紙状態からのスタートであるから、他愛の無い会話に花を咲かせた程度で実りのある内容とは言えないかもしれないが、この日はSatolたっての申し出でサウンドプロデュースのみの予定だった所をトータルプロデュースにさせて欲しい、という事がほぼ決まった。この違いを説明するのは少し難しいが、簡単に言えば、音楽制作のみを受け持つのがサウンドプロデュースで、残りの歌手として、アーティストとしての全般の方向性を決めるのはヒロシが彼の業界の先人達からの知恵を借りつつ行う予定だった。しかし、歌手・端本ちなみとしての楽曲制作から方向性までのほぼ1から10までをSatolが任せて欲しいと名乗り出たという事だ。ヒロシも、これからの事業拡大を考えるに当たってちなみ一本で特化したままでいくか、他にアイドルを発掘・育成するかで悩んでいたこともあって、丁度いいと彼に任せることにした。

「今日は本当に良い日だったよ。」
「『メンズドンド』の占いじゃ今週は“出会い◎”って書いてあったもんな。」
「いや、これは◎どころか☆だよヒロシ。」
「えらくお気に入りだな。」
 すっかり夜も更け、ちなみは迎えのタクシーを力也と談笑しながら待っている。力也は何か動きがワタワタしておかしい所を見ると、恐らくまた彼女が無茶なことでも頼んでいるのだろうか。しばらくすると力也が携帯電話を取り出していた。
「…彼女とならでっかい事出来る気がする。俺はまだまだ音楽プロデューサーとして駆け出しだし実績もある方じゃないけど、そんな気にさせてくれる。まるで太陽のようだね。あんな小さな体なのに全身から全開でエネルギーが放たれている感じだ。彼女はまさしくアイドルだよ。」
 ブフッ、と噴出すとヒロシが返した。
「いやーそんな大層なモンじゃねーって。結構アイツ強かよ?手段を選ばないというか、がめついトコあるしな。」
「“裏口から”とか?」
「そんなの序の口だぜ。まぁでもアイツはもっと大きくなるし、俺も小宮山もそうしてかなきゃいけない。そんな気はするかな。」
「今後が楽しみだね。ん?小宮山君が何か呼んでない?」
「お?」
 気が付くと、力也が手招きをし、ちなみは小躍りしている。
「なんだなんだ?」
「聞いて驚くなよ外村!今、事務所のスタッフから連絡あってさ、ちなみちゃんに声優の仕事が舞い込んできたんだよ。」
「おーっそりゃめでたい。やったな小宮山!」
「外村さーん、もうちなみ今日は最高の日だよ!」
 当然だ。1日に2度も新しい分野への挑戦権を獲得したのだ。3人とも仕事冥利というありきたりな言葉だけでは言い尽くせないほど心が躍る。
「ちょっと遅ぇけどこれから事務所帰ってパーティ開いてとことん飲もうぜ!『ちなみちゃんのますますの活躍を願って…』ってヤツだな!」
「キャー力也さん最高ーッ!」
(おっ…)
 ゴキゲンなのか、思わず力也に抱きつくちなみ。この日の午前とは随分の違いだ。
「…おいおい、明日も朝から仕事あるだろ?そんないつまでも学生気分のノリで…」
 とヒロシが収拾をかけようとしたところで、力也とちなみは揃ってヒロシに懇願した顔を見せている。「外村様お願いします」、そんなメッセージを放っている。
「…まぁいいか。今日くらいは!パァーッといこうぜ!」
『オーッ!!!』

「じゃあ、Satol。また今度。色々こっちも準備しとくから。」
「ああ、あまり無理すんなよ、ヒロシ。」
「おう、じゃあまた頼むわ。お疲れ様ー。」
 そう言うと、タクシーのウィンドウを空けてちなみも「お疲れさまでしたー」とSatolにニカッと微笑み、力也も会釈をした後、タクシーは去っていった。
 一方、彼らを手を振って見送った後、Satolはスタジオに戻り、電話をかけ始めた。
「プルルルル…はい、雨宮ですが。」
「村井です。」
「あ、なぁ〜んだ智さん?」
「うん、元気?」
「お陰さまでね。」
「冬馬は…お兄さんは?」
「なぁによ智さん。そんなの本人に聞けばいいのに。」
「…いや、なんか恥ずかしくてさ。」
「見ての通りみたいですよ。最近は俳優業もやりだして元気あるし。」
「そうか、良かった。ところで夏未ちゃんに作詞して欲しいコがいるんだけど…」
「おっ、仕事の話?」
「ああ、それが今日会った凄いコでさぁ…」
「ふんふん?」



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