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■SCENE-05:『Daydream Café』
昼下がりの穏やかな午後、通りに面したオープンテラスのカフェの椅子に腰掛け、誰かを待ち続けている女性がいた。額は幾分出しており、きっちり分けた長い髪が風に揺れている。
「おっそいなぁ〜アイツ。」
そう言って一度周りを見渡した後に呟くと、再び手元の本に視線を集中させる。手にしているのは、医学関係の書籍のようである。特に表情を変える事なく読みふけっていたが、段々と手首の時計を確認する感覚が短くなってゆき、ついには本をパタン、と閉じてしまった。女性は少し苛立っているようだ。
と、そこへようやく彼女の待ち人らしき人物が走ってくるのが見える。彼女もその気配に気付き、腰を上げる。
「遅いッ!!」
「ごめんごめん、トモコ!」
やってきたのは西野つかさだった。せわしなくトモコと呼んだその女性の横の椅子に座ると、走りつかれたのか「ハァー…」と軽く深呼吸し、少々姿勢悪く椅子にもたれかかる。
「くぉらっ!」
「あいたっ!」
「30分待ちよ!」
トモコはつかさに右手でチョップを食らわして、腕時計を見せて確認させる
「だからごめんってば!本当!」
そういうと申し訳なさそうにつかさは両手を合わせて頭を下げる。
「ここはおごってもらうからねー?」
「ええ〜?!ったくちゃっかりしてんだから…まぁイイケド。」
確かに遅れてきてしまったのは自分である。自分も淳平に30分待たされたらイライラしているだろう。それに、カフェ一杯で彼女の機嫌が買えるのならお安い買い物だ。彼女の立ち位置に自分を当てはめて反省し、素直にそうすることにした。
と同時に、つかさにはトモコのイメージとは合わないものが彼女の鞄に無造作に入っている事に気付いた。
(医学…書…?)
しかし、間髪入れずトモコがメニューを開く。
「よっし、じゃあ何飲むか選ぼうか。」
「そだね。」
「っと、その前に。」
「ん?」
「…お帰り。」
そう言ってトモコは、右手を頬に当てて肘を付き、優しい表情でつかさを見つめた。それを見て、つかさも疑問形の顔からニッコリと微笑んでこう返した。
「ただいまぁ。」
少しだけ肌寒さを感じる季節。それはそろそろホットが美味しくなる季節。しかも、空調から解き放たれたオープンカフェではよりその季節を先取りできる。トモコはカップを引き寄せてスーッとセイロンティーを飲んで喉を潤す。
「ん〜オイチーッ♥ こうサ、渋みの中で引き立つ甘みっていうの?奥深い味よねぇ〜美味しいでしょ?ここの紅茶。」
「そだね…。」
人差し指を立てて得意気に語るトモコに対し、つかさの答えは生返事に近かった。
「…なーんかあん時と真逆だね。」
「あん時?」
「ホラ〜、一回行った事あったじゃない。奈々とかと。」
「あー…」
「…だね。味は普通だけど途中でくどくなっちゃう!」
「誰もケーキの批評なんか求めてねーよっ。」
「思い出した?店員さんがイケメンだっつってんのに、料理批評しててさー。どっかワンテンポずれてるっちゅーか、ま、それだけ誰かさんに熱心だったって事だろうけどさ。」
「………。」
「それも会えたんだったら、ま、よかったんじゃね」
「じ、実はね!トモコ…。」
遮る様に、堰を切る様に、つかさが声を挙げた。
「え?!それじゃあアンタあの事まだ話してないの?!」
「…う、うん。」
「それ、まっずいでしょ…大体つかさ、隠してたっていつかは分かっちゃう事じゃない!」
「…うん。分かってる。分かってるケド…。」
グッと目を瞑り、つかさはか細い声でこう言った。
「どうしていいか、わからないの…。」
その姿を見て、トモコは口を少し開けて驚嘆していた。
(そんなに辛く感じてたなんて…。初めて見た…つかさのこんな表情。でも、アタシは経験した立場にいない。何を語ればいいか…。だけど、聞くだけが友達?アタシが出来るのは、求められてるのはそれだけ…??でも…。)
心の中で「でも」と「だけど」が螺旋のように交互に廻り廻る。トモコはどう返していいか考えを巡りに巡らせたが、何も思いつけないまま、黙り込んでしまった。
苦い表情が、他人の表情をまた苦くさせる――。
トモコの様子を見て、つかさはそれを悟り、うつむいていた頭を上げて表情を戻した。
「ごめん、困るよね、こんな話して。トモコが考えるコトないから。お茶も飲んだし、そろそろ買い物行こっ。あっ…と、ここはあたしが払うんだっけ。」
そう言って、伝票を挟んだボードを左手で取って席を立とうとするつかさに、トモコは思わず声を挙げた。
「つかさッ!」
「な、何?」
その驚いた笑顔をトモコは一瞬見つめると、真剣で切なげな表情で見上げながらこう言った。
「…あたしが考えるコトじゃないなら、どうしてそんな話するワケ?」
「………!」
作った笑顔が、綻びかける。
ややあって、トモコは鞄に入れたテキストを開いて話し始めた。
「あ、それ…。」
「なんでこんなの持ってるか不思議?」
「うん。なんかの…趣味?」
トモコは首を横に振る。
「じゃあ本格的に勉強してるってコト?だってトモコの進学、関学の政経学部じゃなかった?」
「うんにゃ、1年で辞めた。」
「ど、どうして?あれだけ勉強してたのに…。」
首を傾げるつかさを見てクスッと笑って、トモコは応えた。
「ま、アタシには向いてなかったってトコかな?… … …なんてね。アンタの影響よ、つかさ。」
「えっ………?」
ただでさえ丸くしていた目をさらに丸くしてつかさが見つめる。
トモコは、カップを持ち、伏せ目になりながら語り始めた。
「高校の時からアンタは、そーりゃ親友のアタシから見ても輝いていたわよ。桜海みたいな進学校じゃ大抵は大学行くのが相場じゃない?なのにアンタは学校にナイショでバイトしてて、正直、当時のアタシからすれば大丈夫かな?って思ったもん。でも、アンタはそこに自分の方向見つけてた。」
「ビックリさせてたっけ…。」
「そーりゃそうよ。つかさって明るい顔して、案外秘密主義だし。でも、アンタに進路の久米先生説得するのに協力してって言われた時は嬉しかったかな。アタシは友達として認められてんだなーって。」
その言葉に、つかさの瞳は涙が滲みそうになる。その言葉が嬉しくも、胸を辛く突き刺さる。
トモコは手にしていたカップに少し残る冷めた紅茶を飲みきり、両肘をついて手を組み、その上に顔を乗せる。そして足を組みなおすと、話を続けた。
「…でも、アタシは同時にちょっと嫉妬してた。羨ましかったよ。勿論アタシの進路だってそれなりに悩んできたし、政経学部にも魅力感じたよ?でも大学以外の進路なんて考えもしなかったし、あそこまで迷う事なくこうと決めて打ち込めるものがあるなんてそれは羨ましいと思ったよ。少なくともアタシはあんな風に将来の方向(なんか決められてなかったね。」
「………。」
「そんで大学入った後も、悩んでた訳よ。そんな時に父方のジイさんが亡くなってさ。」
「それがきっかけで…?」
「まぁそれならいい話になるんだけどねー。10年はジイさんと会ってなかったからあんまり感慨とかは正直なかったよ。そうじゃなくてサ、お通夜で親戚の医者のおじさんが突然『トモコ、お前、医者か看護士になれ。お前は向いてる。』って言うのよ。そん時は『なんだそりゃ?』って思ってたけど、な〜んかその後も気になって、調べたりしてたらどんどん興味涌いてきてさ。気付いたら休学届け出してて、中医大の試験勉強して、受かったら退学届け出してた。で、今年は4回生ってやってるってワケ。そして…」
と言って、持っていた参考書を広げてつかさに見せると、手を広げて顔を斜めに傾ける。
「今は試験勉強にヒーコラ言って泣きそーになってるっちゅーワケ。」
つかさは参考書を手にとってパラパラとめくってみる。ビッシリとメモ書きが挟まれ、重要そうな単語には赤線が引っ張られており、さらに付箋シールが貼られている。
「ふ…ん。でもトモコはいいじゃない。そうやって頑張ってるんだから。」
その表情を指して、トモコは再び語り始めた。
「そーう!それ。それが高校時代のアタシな訳。でも、こうやっていつの間にか医大で学生やってるの。…アタシはアンタみたいに一生懸命に夢探してた訳じゃない。傍から見ればそう見てくれる人もいるかもしれないけど、アタシにゃそんな自覚なんて全然ないね。」
「でも、自分の方向(を見つけてる。」
「カッコつけてゆーならそゆコトね。…だからさ、必死になってたアンタにアタシは何も言えないかもしれないよ?だけど、自分の方向(なんて何処にでもあるもんだと思うんだ。それに、アンタにはそれとは別に大事な存在(があるから帰ってきたんじゃない?悩むのもいいけど、自分独りで悩む事は多分彼も、いや、それより何より…」
「……。」
「…アタシが許さない。」
トモコの言葉に、つかさは一瞬空気が止まったかのように感じた。数秒ほど時が経ってから、トモコは彼女の左手を引き寄せ、自分の両手で包み込んだ。
「えっ…?」
「つかさを独りにするヤツは、例えつかさ自身でも許さない。」
「ト…モ……コ…。」
「アンタと久米先生の所へ乗り込んだ時、本当に嬉しかったんだから。今度の相手はつかさ自身?それでもどこでも、アタシは力になる。…それが親友でしょ?」
「……アリガト。」
瞳に涙を溜めながら、そう一言発するのがつかさには精一杯だった。
「言ってるこっちは恥ずかしいんだからね。アタシが伝えたいのはそれだけ。じゃ、860円払っといてね。よろしく。」
照れながらも、トモコもまた軽く貰い泣きしながらそう言って席を立った。
それでもつかさは暫く席を離れなかった。彼女を見送った後もまた、伝票をボーッと眺めながら思慮に耽っていた。
(独り…か。そんな事は実は分かっている。だけど、結局この先、方向(を見つけられるのは自分だけ。トモコも淳平君も、方向(は違う。分かるのは…。)
「嫌だな…。トモコはあたしの事を慮ってくれているのに。形ばかり求めちゃう…。」
気付けば、憂凪がカフェとつかさを紅く染め始めていた。