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■SCENE-06:『透明な風』


 いつもの様に撮影所、もしくは会社と6畳の賃貸アパートを往復する。アパートにはほとんど寝に帰るようなもの。それが日常。
 そんなもはや特段彼にとって特別な事など何もない日の朝だった。
「ん〜、もう朝か…。」
 それは特別な事など何もない日の朝のはずだった。
「はぁ〜今日の昼からか…。準備しなきゃな。」
 と言いつつも、時計の針が指す時刻はまだ8時だったので、もう少し温もろうとしてしまう。が、布団に入ったまま一瞬横を見、再び視線を戻した後、ギョッとして彼は飛び起きる。
「んなぁああああっ!!!!!????」
「うっるさいなぁ〜じゅんぺー、眠れやしないよ…。」
 それは特別な事が起こった日の朝だった。



「で!この状況はどーゆー事だよ?」
 淳平はふてくされた表情で目玉焼きに箸を突く。中から半熟の卵がトロリと熱気を伴って出てくる。
「だから、帰ってくるって言ったじゃん。」
 同じくふてくされた表情で、少女と言っても差支えがないほどにあどけなさが残る女性が味噌汁をズズズッと啜っている。
「それにしてもキッタなくて狭い部屋だねー。唯じゃなかったら人呼べないでしょ。じゅんぺー、ちゃんと掃除してんの?」
 どうして泊めた人間にここまでボロカスに言われなきゃいけないのだろう。
「だ〜か〜ら〜、そんな汚くて狭いお部屋に南戸唯様がわざわざお泊りになるのはなんでなんですかぁ〜?」
 極上の慇懃無礼。普段呼ぶ事もない彼女のフルネームと、普段付ける事のない敬語がそれを物語っている。
「しゃーないでしょ。帰ってきたの最終便だからここら辺まで来るのが精一杯だし、お金も節約したいしさ。大体さ、ちゃんとメールしてたじゃん。帰ってくるって。」
「オマエ、あれはウチに来るって意味だったのかー!?」
「うん。」
(てっきり日本に帰ってくるってだけの意味かと…だからってよりにもよってウチで寝る事ないだろぉ?!)
 泊めてしまったものはどうしようもないし、怒った所でうまくやりくるめられる。幼い頃から主導権を握られてしまうだろう事を淳平はいつも自覚していた。その為、怒りは心の中だけで叫んで昇華する事にした。
 彼女――南戸唯は、一つ年下のいわゆる彼の幼馴染であり、その付き合いがいつから始まったかは当の二人にも正確にはわからない。何しろ辿ってしまうとなんと彼女が生まれた時まで遡るからだ。生後半年余りの彼女の横で、2歳児の淳平が横で寄り添っている写真が彼女と彼の実家に残されている。形として残っている記憶ですらここまで古いのだから、彼らには自我が記憶を始める時には、既に当たり前にそこに居る存在だったのである。
「…大体どうやって入ってきたんだよ?」
「は?」
 怪訝な顔つきで唯が淳平の顔を見つめる。
「いや、“は?”って言われても。」
「もしかして、酔っ払ってたの?」
「え〜?撮影終わりに付き合わされたりするから呑んだ事は呑んだけどよ。ごっそーさん!」
 そう言って、食事を終えて箸を手元に置く淳平。唯はまだ驚いたままで、淳平は彼女の言葉を待った。
「いやだってさ…

「じゅんぺー居るぅ?帰ってくるっつったのにもう…ありゃ?鍵開いてる。不用心だなぁ…お邪魔しまーす。…なんだいるじゃない。布団に寝そべってもう…だらしないなぁ、じゅんぺー。」
「んあー?何ぃ?唯ぃ〜。」
「今日泊めてね。」
「あいよ〜。」
「布団ある?」
「ふすま〜…じゃなかった、押入れ〜。」
「あ、これね。」

 …って。」
 と、人差し指を立てて昨夜の様子を唯は語る。
 それを聞いて淳平は驚愕した。何ということだろうか、全く憶えていない。そしてそれ以上に、ほろ酔い気分で半寝半起状態だったとはいえ、いくら自然体でいられる幼馴染とはいえ、何の疑問も挟む事なく出迎えている自分が信じられなかった。
 主導権が握られる以前の問題だった。(尤も、彼は意識がはっきりしている状態でもナンダカンダと文句言いながらも彼女を迎えただろうが。)
「そういやさぁ、今度は何処行ってたんだよ?」
 深く考えると奇妙な落ち込みに苛まれるので、帰ってきた彼女について尋ねてみる。
「んーと、ナミビアとか中部と南部アフリカかな?」
「そーいや俺も行ったことあるな、アフリカ。ところでお前ちゃんと予防接種とか受けて行ったんだろな?」
 ザブザブと自分の食器を洗いつつ振り向きながら訊く。
「当たり前でしょ!準備もなしに行ったらエライ目遭うよあんなトコ。」
「あんなトコって…。それが分かってんならあまり無茶な仕事すんなよ。親父さん心配するぞ?」
「唯が参加してるボランティアは世界の人々の役に立つコーショーな仕事なの!映画監督になりたいから旅するなんて突拍子もない発想の人に言われたくないね。」
「ぐっ…。」
 既に色々な人間に言われた事だが、改めて唯に言われても完敗であった。
「でもよぉ、そろそろ根無し草って訳にもいかないだろ?」
「うーん…そこだね、問題は。」
 急に日和だした態度で、腕を組んで苦笑しながら唯が悩む。
「じゅんぺーの会社で身分預かってくんない?」
「アホ。1年の内、半年以上も海外行ってる奴を誰が雇うかよ。」
「だよねぇ…タハハ。ま、でも今はしばらくいるからじっくり考えてみるよ。その間よろしくね。」
「早く決めとけよ。唯ぃ、コーヒー。飲むならついでにいれるけど?」
「あ、ちょーだい。」
「ヘーヘー。」
 流し台の横で安物のインスタントコーヒーと水をカップに入れて電子レンジで温めると、いきなり淳平が血相を変えて叫んだ。
「ちょっと待てぇええええい!!お前、今なんつったぁ?!!」
「コーヒーちょうだい。」
「その前だ!」
「……言わなきゃダメ?」
 苦笑しながら気まずそうに訊く唯に容赦なく淳平の怒号が飛ぶ。
「当たり前だ!」
「し、しばらくいるからよろしく〜ネッ?♥」
「何が“よろしくネ♥”だ!」
「大丈夫だよ。少なくとも鍵開けたまま寝てる人よりは戸締りできるつもりだよ?」
「そーゆー問題じゃねぇッ!」
「じゃあじゅんぺーは、こんな可愛いコが野垂れ死んでもいいっていうんだ。ふーんだ、いいですよー、どーせ唯は田舎娘ですよ、山の子ですよ、鬼の子ですよ。都会のコンクリートジャングルよりダンボールハウスの方がお似合いですよーだ!」
 ヨヨヨ…、と目をこするように手を当てて泣き始める唯。が、それでも淳平は許さない。
「実家帰りゃいーだろっ!金くらい工面してやるからとっとと帰れッ!」
「あ、それムリ。色々準備とかなんだかんだでこっちにいなきゃいけないんだ。」
「泣いてねーじゃねーか!!!」
 やいのやいのと小競り合いを繰り返している内にエスカレートしていたのだろうか。隣家の住人が玄関のドアを開けてこう言った。
「真中さん、うるさいですよ!夫婦の痴話ゲンカはヨソでやってくれ!」
 住人はバタン!とドアを閉める。狐につままれたような表情で、淳平と唯は二人そろって閉められたドアを沈黙しながら見つめていた。
「……………。」
「……………。」
「オイッ!今なんかスゲー誤解されてねぇか?!」
「じゅんぺーと夫婦ぅ?!ゲーッ… … …あ、でも既成事実(そーゆーコト)にしとけばここいても不自然じゃないよね。やったー!」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
 この日からしばらく、淳平に頭痛が襲うようになるのだった。

「……とりあえずお前、あの(●●)癖は直ったんだろな。」
「やだなぁ、当然じゃない。唯、もうハタチ超えてんだよ?…んーでも、じゅんぺーの部屋はやっぱり緊張感ないから大丈夫じゃないかも。」
 それを聞いた淳平は、ボソリと聞かれたいのか聞かれたくないのか判らないような声で呟いた。
「…西野に何て言おう。もし素っ裸の唯と居てるトコ鉢合わせなんかしたりしたら…。」
「あ、ダイジョーブでーす!既に西野さんからは了承済みでーす。」
「はいぃ?」
 そう言って唯の取り出した携帯を奪って確認すると、確かに唯宛につかさからのメールが記されていた。

「どーぞどーぞ、いっくらでもv
というかあんなトコ泊まれる?(私はないよ)

>とゆー訳でじゅんぺーの家泊まっててもいいですか?」

「そんな、アッサリ…。」
 言い様のない脱力感に苛まれる淳平。
「連れてきて1分で帰られたんだってね?」
「余計なコト聞いてんじゃねー!」
「いてっ!」
 楽しそうに語る唯の頭に軽く肘打ちを喰らわし、淳平は話を切り替えた。
「まぁいいよ。どーせしばらく家帰れねーからな。戸締り頼むぜ。俺が帰る時にはここ居とけよ。」
「あれ?どっか行くの?」
 気付けば、唯もとっくに食事を終え、部屋を物色して見つけた棒付き飴を頬張っていた。
 対して、淳平は着替えと荷造りに掛かりながら返事をする。
「ああ、今日から合宿。10時にゃ家出て新幹線でビューンだよ。」
「ありゃ、新幹線乗れるなんて意外とお金持ちじゃん。」
「…経費で落ちるに決まってんだろ。」
 ズボッとトレーナーから頭を出し、皺を伸ばす。
「ふーん、やっぱ相変わらず映画好きなんだねー。」
「当然だろ!俺にはやりたい事がある。それにはまだまだやらなきゃいけねー事は一杯あんだよ。」
 そう言うと、淳平の動きが一瞬止まった。唯の目には何かのノートを鞄に入れているようだったが、確りとは分からなかった。そして、興味があるのかないのか判らない、社交辞令的な態度で唯は聞き返す。
「それって何?」
「東城と映画を撮る。どうしても映画化したいアイツの書いた本があるんだ。」
 それを聞いて、ピクッと唯の表情が変わり、真剣な眼差しで彼に問いかけた。
「じゅんぺー。」
「ん?」
「それ、どーゆーコトか分かってるの?」
 淳平もまた、彼女に背を向けてはいるものの、俯きながら真剣な口調で答えた。
「……ああ。」
「ふーん…。なら、いいけどね。」



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