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■SCENE-09:『偽りを逃れる夢』


「とまぁ、そーゆー訳で東城に作詞をして欲しい訳よ。」
「サクシ?」
「そう、作詞。」
「え、でもあたし文は書けても絵は描けないから…。エッシャー絵の『滝』とかああいうの?」
 東城は何を言っているのだろう?ファミリーレストランの一角でヒロシは一瞬啜っていたエスプレッソ・コーヒーを持ったまま固まったが、すぐに勘違いの中身が判った。
「…東城、錯視じゃなくて作詞。詞を作るの。」
「え?あ、ああ…!」
 綾もようやく自分が勘違いしている事に気付いた。後輩の曲にどうやって絵画を付けるというのか?CDジャケットでも担当して欲しいという事?そんな要らぬ補完をしてまで勘違いをしていた事が恥ずかしくなる。
「作詞かぁ…。」
 綾は人差し指だけを若干浮かせた形の拳を鼻元へ置いて視線は下を見ながら考える。
「そっ、作詞。どーよ?小説以外にやってみるってのも悪くないだろ?な?」
「んー…、あたし個人としては面白そうだなーって思うんだけど…、色々周りの人に相談してみないとダメかな。それでやれるかどうかもちょっと返事できないかも。」
「フーム、やっぱそうなるかぁ。」
「色々と面倒なの。あたしも好きじゃないんだけどね。」
 ヒロシもその事を全く考えてなかった訳ではない。
 つまり、東城綾は自分の一存だけで自身の作家活動を簡単に決められる訳ではないのである。直林賞という日本作家界の最高峰に位置付けられている賞の一つを獲ったとはいえ、彼女はまだ若手作家の一人である。また、逆に賞を獲った事が足枷になる事もある。世間がもてはやし、勝手に作り上げた“大作家”のイメージに縛られて作家としての自身を見失う――よくある話だ。創作を生業とする者には多かれ少なかれ絶対に戦い続けなければならない命題である。
「端本がグラビア出身っていうのも東城のイメージと合わないと思われるのかもなぁ。」
「世間はそういう偏見持ちがちだからね。あたしも一昨年貰った端本さんのカレンダー飾ってたらお父さんにギョッと驚かれたから。後輩だって説明したらすぐ判ってくれたけど。」
 確かに綾の部屋に少々過激とも言えるグラビアアイドルのカレンダーはイレギュラーな存在と言えるだろう。彼女の父が驚いたのは恐らく彼女が一度グラビアに載ってしまった過去もあるのかもしれない。それはともかくとして、ちなみと綾、二人の個性(キャラクター)のギャップというものは世間を無視できないほど開きがあるといえる。縛られる事は当然良くない事だが、プロというものは世間を相手にしている以上、全く気にしない訳にもいかない。それもまたともすれば暴走して自滅を招きかねない。
「それに…。」
「それに?」
 両手を合わせて申し訳なさそうに眉を下げて綾が語る。
「言いにくいんだけど、単純に忙しくて仕方なくて。春頃までは単発の執筆依頼も埋まっててあたし自身ちょっと余裕ないの。作詞ってやった事もないから色々手探りで時間かかるだろうし。」
「ああ、その辺は問題ない。本業を疎かにさせてまで頼み込むつもりはねーし、今すぐやってくれって話でもない。3月にはアルバムが出るけど、それは全部他の人が担当してるから。」
 この辺りは二人とも仕事人としてきっぱりした態度であろう。出来ない事を出来るという無責任な事は言えない。出来ない事をさせようという無理解な事も言えない。
「まぁアルバムを出したら夏前にライブツアーを予定してて、端本もスタッフもそこに意識が集中しててな。その後の事は今んとこあまり考えてないんだ。だから参加して貰うとしてもそっからになるし。あ、これまだオフレコで頼むな。」
「じゃあ静香さんに一度相談してみようかな。」
「あ、言い忘れてたけど、別に名義は『東城綾』である必要はない。」
「そうなの?」
「こういっちゃ変な話だけど、端本が『先輩の名前を借りて売れるのは嫌!』っつっててな。案外アイツもプライド高いからねー。尤も、こーゆー仕事してりゃ東城も自分の名前売ってナンボだから、そんなのはどうかって思ってたんだけど…。」
「ううん、あたしは全然平気。むしろその方がやりやすいかもしれない。それだったらコッソリと…って事も出来なくはないから。ね?」
 生真面目な彼女にも遊び心が出来たのだろうか。内緒で裏道を抜けるかのような発想は以前の綾だったらなかったであろう。それだけ後輩の活動を手伝ってくれないか、と言われたのが嬉しくもあるのかもしれない。
「そう言ってくれるとありがたいな。」
「前向きに考えるね。」
「今日持ってきた発売前のシングル、と…いずれまたアルバムも送ってみるから参考にしてみてくれ。ああ、あとLIVEにも勿論招待しようと思う。スケジュールは早めに連絡するしさ。まっ!自分が主体になって色々な世界を書くのも面白いと思うけど、複数人が携わるプロジェクトの一員としてものを書くってのも面白いと思うぜ。」
 複数人が携わるプロジェクト、という言葉が綾の心に残る。途端に彼女の表情が変わる。
「…それは分かるな。やっぱりあたしにも皆で作った映研って特別な存在だったし。」
「ま、それは俺も同感だな。何しろ東城や北大路がいてくれたお陰でサイトも大繁盛…。」
「サイト?」
「い、いや、なんでもねぇ…。」
 危ないところだった。危うくヒロシは当時彼女らの写真を使ってホームページ運営をしていた事を普通に喋りそうになった。
「で、端本さんは元気でやってる?あたしも年始年末はちょこっと家でテレビで見たけど。」
「ああ、ほとんど休みないけど、本人はかなり楽しいみたいだな。全然疲れを見せないよ。今はLIVEに向けてのヴォーカルパフォーマンスとかダンスとかに精を出してる。」
 話の内容こそ後輩の事だが、綾の表情は青春時代への郷愁と表現するより、少し焦燥を帯びているようだった。何かを考えているが踏み込めない、そんな焦燥。
「じゃ、まぁそういう事で、頼むな。あっと、コーヒー代は驕っとくな。」
 ヒロシが席を立とうとすると、思わず綾は声をあげた。
「…あ、外村君待って!」
「?」


「そうかぁ…なるほどなぁ。」
「ごめんなさい…まだ雲を掴むような話してるみたいで。」
 呼び止められたヒロシと綾は再び着席している。ヒロシの2杯目のコーヒーはカプチーノだ。
「いや、まんざら夢物語でもないと思うぜ?」
「…そう?」
「ああ、東城は文学業界で映画製作から遠ざかってるからよく分からないかもしれないけど、俺達みたいにある程度映像関係の仕事についてる者からすると無茶な話って程でもないと思う。」
 足を組み換え、顎をさすりながら語るヒロシの次の言葉を、綾は黙って待っている。
「ここ数年で、映像技術って物凄い進歩してるからな。演者の数とか撮影場所とか、そういう点で理想を追求するのは大変だけど、映像技術で言えば色々その辺も昔よりは遥かにカバーできる範囲が広くなってると思う。5年前に10人で1年は必要だった作業も、今では1人で1ヶ月程度でも出来たりする。Satolも言ってた事あったかな。PCとソフトシンセとかのDTM環境が充実するに伴って爆発的に音楽制作をする人が増えたって。それと同じ事が今度は映像、映画業界でも起こっていると俺は思う。勿論その分、作り手に求められる質の競争は否応なしに上がるけど、今までずっと出来なかった事が出来るようになった、これは飛躍的な進歩だと思うね。」
「………。」
「オーバーに聞こえるかもしれないが、そんな“1億総映画監督時代”になりつつある中で、真中は業界じゃ結構な賞を獲ってんだよ。それもアイツ、俺が卒業した時にくれてやった古いパソコンでやったんだぜ?どんな風に知恵を絞って映画作ったかまではよく知らねーけど、アイツ何気に結構凄いよ。それに真中が務めてるトコだって結構映画業界ではやり手みたいだな。精鋭揃いの若手が集うって有名みたいだし…、他ん事務所じゃ1年かかる事を1ヶ月で習得できるってんで入りたい人多いんだぜ。まぁその分アイツは毎日死にそうみたいだけどな。」
「毎日死にそう…そんなに大変なら、あたしが考える事は……。」
「そーんな遠慮する必要ねーって。東城がそう考えてるならアイツも喜ぶさ。」
「そうかな?」
「そりゃそーだって。どれだけ頑張って一緒に映画作ってきたんだよ?アイツも俺達も。そんな面白そーなハナシ、俺がアイツの立場だったらどれだけ無理してでも乗ってるね。それとも東城はアイツの言う何十年後か分からない“その時”に、『やったね!』って喜んだフリでもしたいのか?」
「………!」
「難しく考えちまうものほど単純が一番(シンプルイズベスト)だぜ。1人より2人、2人より3人…ってな。信じるこったぜ、楽しー未来を。」
 得意気に人差し指を向けるヒロシに、綾も目を閉じながら笑って応えた。
「……そうね。」
 カシャリ!すかさずヒロシは忍ばせていたデジカメを綾に向けてシャッターを押した。
「はい、イイ表情(カオ)♥」
 その声を聞いて気付いた綾は頬を赤らめながら慌てて問いだす。
「…そ、外村君って昔からよくカメラ撮ってるよね。高校の時もそうだけど、一体それっていつもどうしてるの?」
「え?い、いやその…。」
 聞いた方が損をするような、ある意味大それた質問である(しかも、実際そうであったりする)。ヒロシは冷や汗。またも墓穴を掘りそうになるのだった。




「どうして何かする前に自分で諦めちゃうんですか?」

「抱えきれない事は誰かに肩代わりさせたっていいと思うんだ。」

「東城がそう考えてるならアイツも喜ぶさ。」

「あたしの考えてる事は……真中君を更に苦しめるかもしれない…。」
 でも、自分の正直な気持ちから逃げるのはもうしたくはない。
 美鈴に貰って、財布の中にしまっていたメモと携帯電話を取り出しながら、綾はそれらをじっと見つめていた。決して居心地の良いとはいえないバス、居心地の良いとは居えない狭いイスにかけていると、一際窓がガタガタと揺れ始めた。横に目をやると、冬の風が強くなっているのを感じた。
「あの時もこんな日だったかな…。」




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