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> 「夢の続き 明日の風」
■SCENE-11:『風のゆくえ』
「ねぇ夢って、眠りに就いて見る夢と似てると思わない?曖昧模糊で、傍から見ると馬鹿げてるようで、それでいて結末を見ようとするとする前に大抵現実に還るの。」
(………結末がない夢?)
「起きている時に見る夢だってそう。叶えようとしてもつい現実を見ちゃう。そして、たとえ一生懸命叶えてもそれは現実になって夢は結末を迎えてしまう…。」
(……じゃあもし結末が見えたら?それは俺が望んでいる事なのか?でもそれは俺が望んだ結末じゃないかもしれない。それとも俺がただ見続けていたいのは…醒めない夢?望むのは…終焉?永遠?)
「でもあなたは言った。誰が夢と決め付けた?いつから夢は夢と決め付けた?と。」
(……!?…何処だ?此処は…まるで海の底…?)
「あたしは知った。夢は創るものだと。その力は私にもあるんだと。そして、あたしが歩んできた道もまた、誰かの夢になるのだと。知ってる?眠りの中で見る夢と、起きている中で見る夢には一つだけ大きな違いがあるの。」
(なんだ?それ…。)
「起きている中で見る夢は、一人では見られない。誰かと一緒に見るもの。そして誰かに見させるもの。いずれその誰かの夢もまた他の誰かと見て、また他の誰かに夢を見させる。夢は廻り続ける。それが私達にとっての、生きる
方向
(
みち
)
。」
(東…城……?)
「わすれないでね。」
(待ってくれ…!)
「夢…か。」
何度目だろう?黄昏の中で確かに自分と彼女が立って、彼女が発する言葉。だけど気付けば自分は真っ暗な深海の中にいる。
「わすれないでね。」
そう告げる彼女に躯を伸ばすと、彼女は泡となって自分を包み、消える――
4年間、これまでにも何度か似たような夢を見た。こんな会話した事あったか?と最初は問いかけた。いつかの
過去
(
きおく
)
なのか、それとも自分の中の深層意識が見せる
虚構
(
ゆめ
)
なのか。途中からは問うのも止めて、この夢が現実なのか、虚構なのか、いよいよ覚束無くなってきた。
「……じゅんぺー、大丈夫?」
「え?あ、ああ、唯か…。」
「汗びっしょりだよ。」
そう言われて初めて気がついた。頬を伝う汗、湿り気を帯びた自分の髪。冷や汗なのか寒さに関係なく流れている。手渡されたタオルを手に取り、顔を拭くと、淳平は再び傍に立つ唯に戻した。
「調子悪いなら素直に病院行った方がいいよ?ケチってる場合じゃないでしょ?」
「いや、大丈夫だ。…それより唯。」
「何?」
「俺、なんか寝言で変な事言ってなかったか?」
「ううん、別に。」
「そうか。あと唯。」
「何?」
「今何時?」
「5時半だよ。外まだ真っ暗。」
「さんきゅ。それから唯。」
「今度は何?」
「……ズボンくらい穿け。」
「……………。」
「冷えるな……。」
ちょっと夜風に当たってくる、と唯に告げて外を出て町内を歩く淳平。
眠れない。ならば一人で考えたくなった。家に居るより外で歩きながらの方が集中できそうだ、何となくそう考えたからだ。
「東城はどういうつもりなんだろう…?」
2週間ほど前に届いた彼女からのメール。
“ノートを返してくれる?”
それだけのシンプルな文面。だが、それがどれ程の意味を持つのか、想像には容易かった。結局、それから返信し、今日明けて彼女と落ち合う事になった。何ヶ月ぶりかも判らない、久方ぶりのほぼ丸一日の休日。つかさには知らせなかった。
「東城と会うのは、今日が最後になるかもしれない……。」
彼女にとってあのノートは今、どういう存在なのだろうか?
「ホラ、アンタ宛てに何か届いてるよ。差し出し人『東城綾』って書いてあるけど。」
「…なんでこれが……?!」
綾が淳平にそれを託した日。郵便受けにあった封筒には、他に何もなかった。今度受け取った簡素なメールもそれとよく似ていた。
「きゃあああっ!」
「わああっ!!」
「驚くのは俺の方だっつの。」
「おっ びっしり書いてる!!なんか参考になることは――これは…」
「――東城!驚いた。お前って凄いんだな!」
話す事などなかった君が、心に落ちたあの冬の黄昏――
それから彼女は傍に居るのが当たり前の存在になった。しかし、いつしか時が流れ、その当たり前が当たり前でなくなる事の意味も解らず、その事実から逃げ出していた。
犯した罪を口移しするように、彼女は彼の罪を背負い、彼は彼女の罰を受けた。彼女は、求める事も赦されず、求めても手に入らぬ存在に。もう手の届かぬ
方向
(
ばしょ
)
に居る彼女への、熱。それは一体何処へ注げばいい?
(……東城が最後に託したノートの意味…。)
それは自らの想いを込めたあの小説を
完結させて贈る事で
(
●●●●●●●●●
)
、その想いに終止符を打ったと示したのだろう。もう、物語の中の機織の少女が紡ぐ糸のように、このノートが彼女と自分との間で往復する事は無いのだから。そしてこの結末はきっと自分が彼女を選ばなかった事とは関係なく――
皮肉なものだ。他人から見れば解りやすいとは言えない彼女のこの
気持ち
(
メッセージ
)
が、今頃になってこんな簡単に解るなんて。
だが、それを返して欲しい、という言葉が意味しているのは……?
「無いと思うが、もしかして東城はまだ俺の事を…?」
ノートを返すという事はその想いが返っている、という事をも意味しているのかもしれない。
(だったら、また断る事になるか……。嫌われるように仕向けてでも。そして、二度と東城の前に姿を現さないようにしよう。同窓会だとか言って会えば、また彼女を疵付け、引き摺らせる。嫌な気分にさせる。)
また、淳平にはもう一つの考えがあった。
ノートを返して欲しい。そうなれば、それは淳平の手元から離れ、彼は映画を作れなくなるという事になる。つまり、“映画にして欲しくない”という事かもしれない。
「あの時はああ言ってたけど……。」
「俺があの映画作れるようになるまで待っててくれよな!」
「うん!夢は泉坂コンビで
世界せーふく
(
アカデミー賞
)
………だね!!」
「それはそうだろうな……。」
彼女にとってはいつしか自らを登場人物の機織の少女に重ね合わせて描き、そして最初で最後の
真中淳平
(
ある一人の読者
)
の為だけに捧げられた作品であり、小説家としての本当の一歩を踏み出した作品。だが、虚構の中で終止符を打った恋心を、今更映画にされるという事が彼女にとって内心苦痛であるというのも、十分に考えられる事だった。しかも、それを作ると言っているのは誰でもない、彼女を疵付けた自分なのだ。
「どちらかといえば…こっちか。……どっちにしろ良い回答は望めないな。」
それは淳平にとって自分の望みが絶たれる事をも意味していた。
「真中くんを好きだったことも、結局想いは実らなかったことも、全部に感謝できるよ。」
(もう一度振り返ってくれ、東城! …いや、振り返るな。振り返るな――…)
何かを思っても、その言葉に何も答える事はできなかった。
(“東城といれば何だってできる気がした”?、“君に会えて良かった”?、……浮かぶ言葉は真実である筈なのに、あまりの軽薄さに反吐が出そうだ。)
どんな言葉も、彼女の言葉には遠く及ばない。
(だったら…だったらどうして……!お前は彼女の想いに気付いていながら、応えなかった……?!!)
それが最後に付いて回ったから。
もうどうすればいいか、自分がどうしたいのかさえ解らなくなっていた。
ただ解るのは、自分が泣いているという事と、
“君は二度と戻らない”
その事実。
(東城の想いに応えなかったのは、俺が西野を好きだったからかもしれない。だが、
俺が東城に
(
●●●●●
)
想いを告げなかったのは、西野の存在は関係ない。ただ、彼女の気持ちを確かめる勇気が自分に無かっただけでしかない。)
あの雪の日の夜、何を一番に望んだだろう?
(あの頃お互いの気持ちに気付いていれば…ちゃんとその思いを伝えていれば……)
(“気付いていれば”?…気付いていれば何だって言うんだ?愚かだな。この期に及んでまだお前は自分の姿に殻を被せたいのか。彼女の声に、彼女の想いに、お前はもっと早くから気付いていただろう?)
「あたし嫌な人間だね。それでも真中くんと一緒にいたい……!」
それにずっと目を叛け…
「あれ…運命って思ったらダメ…?」
耳を塞ぎ…
「でもあなたが好き。あなたのことがずっとずっと好き……!」
背を向けてきたのは、一体誰だ――!?
「そうだよ、二人の女の子に優しいふりしてさ。結局どっちも泣かせるよーな事、淳平はしてきてるんじゃん!」
唯のその言葉は、そう思うに至る直接の原因こそ彼女の思う事と違えど、紛れもなくその通りだった。
何もかも、自分の都合のいいように考えて…、
「あたし春にはフランスに行っちゃうんだよ!?」
「ほ、本気なのか!?あ…いや、えっと知ってたよ?けどなんとなく俺、西野はもう――」
相手の気持ちなんか考えられてやしない……。いずれ去り往く今にしがみついて、虚飾に心を預けて。
(話、聞いてもらいたかったけど…仕方ねーよな、今の状態じゃ……)
「うん!真中くんも頑張って。そしてまた映画化してね真中くん…!」
(東城に会ってよかった。さっきまで下向いてた俺だけどまた前を向くことができた。)
(……甘えていたのは西野だけじゃない。東城にもそうだったんだ。呆気ねぇ人間だ、俺は。)
守りたいのは誰かじゃない。疵付けたくないのは誰かじゃない。本当に好きだったのは誰かじゃない。
全部、自分でしかなかった――
(その結末が……これか。)
「間違いなく、アンタハッピーエンドになんてならないよ。フラフラしてると最終的に、バチがあたるんだから!」
これが罰だとすれば…、何と残酷なのだろう。辛いと言う事も哀しいと言う事も赦されず、求める事も忘れる事も赦されない。そして暴かれるのはただただ己が弱さ、薄っぺらさ。
いっそ嫌われれば…、いっそ出会わなければ…、だってどうしようもないじゃないか!これは俺のせいじゃない!、まるで自分の意志じゃない何か大きな力が働いているせいにでもしたくなった。そうして逃げる事しか考えられない自分がそれを証明して更に嫌になる。
手前が彼女にしていた事はもっと残酷で、しかも彼女が思っている以上に残酷だろうに。疵付ける覚悟も、疵付けている自覚も、そして彼女を失う意味も解らぬままに、彼女を振っていたのだから。それが解っていれば、今更ここで涙など流してはいないだろう。
「真中くんには西野さんがいるってこと、あの頃からわかっていたのに……。」
(
東城
(
アイツ
)
は、俺がずっと西野が好きだったって思っているんだろうか……。)
その通りに、最初から西野が好きだったならば、どれ程楽だったろう…?過去は覆せはしないと判りながら、そうしてまた仮想現実に逃げようとする事を繰り返す自分は、幻に身を委ね続け前に進めぬ、憐れな亡霊のようだった。
“
東城
(
きみ
)
を失くしたままで歩け”と告げながら、降り続ける雪だけが、心を深く白く埋め尽くしてくれた。
「―真中君もまた素敵な映画作ってね…。」
「もちろん!待ってろよ。すぐに東城のとこまで追いついてみせるから。」
一緒に過ごした日々の中、変わることなく、何度となく、そう励ましてくれていた彼女の言葉。結局最後まで、明るく振舞ってそう返すしかなかった。
だが言葉とは裏腹にちっとも心は晴れやかじゃない。結局、自分は口だけ。何も掴めてやしないのだから。
卒業式で彼女が見せた笑顔は、偶然じゃない。それは確かに淳平を向いていて、彼女の意志で微笑って淳平を見つめ、だが、それとは裏腹にその瞳には淳平は映ってはいないかのようだった。彼女があの時見つめていたものは…。
「この泉坂高校の自由な校風の中で過ごした3年間は、私の大切な宝物です…!」
(清々しいまでのその笑顔は、なんだか俺の知らない東城の顔に見えた。)
(どうしてあんな
表情
(
かお
)
で微笑えるんだよ……?俺には、高校で過ごした日々を振り返ると、いつも東城が居る事に痛みしか感じられないのに…。)
答えは簡単だった。
彼女はちゃんと想いを伝えたから。やるべき事を果したから、後悔もなければもう迷いもない。そしてその想いを自分の中で昇華して、糧にできた。彼女は自分自身を手に入れた。
だが、それが出来なかった自分は……?
浮き彫りになる何もない空っぽの自分。往く
方向
(
あて
)
を失った初恋。傍に居るのが当たり前の存在。彼女は、自分の一部になっていたのだった。失って初めて解る。
取戻せない空白なら、代わりに埋めるのは確かなモノを。誰の為でもない、自分の為に。それが彼女があの小説を自分の為に
認
(
したた
)
めたのと同じように、あの日の彼女へ捧げるべき“答え”だと思った。そして、自分にとって東城綾の存在とは何なのか?という問いへの“答え”。
「でも、俺はまだそれを見つけられていない……。」
この小説を映画にすれば、或いは見つけられるかもしれない。だからこのノートの小説を映画にする。それだけが自分の望みだったのに……。
手にした古ぼけたそのノートを開くと、暫く見つめた後、淳平は瞳と共にそれを閉じた。
(いや、これでいいんだ……。そもそもやれる見込みもなく、東城の気持ちも考えず、振り回す事自体おこがましいだろう。本来なら俺は東城の想いに応えなかった時から、そんな資格はないんだ。)
(それから俺達は黙り込んで屋上からの景色を眺めてた。けれど見つめる先は多分同じ場所ではないだろう。)
(それに戻るだけの事。所詮、“答え”を見出したいなんてのは、彼女の望みでも何でもなく、己のエゴでしかない。)
だから、ずっと抱えてゆけばいい。
深い深い、光すら届かぬ記憶の海の底に、沈めてしまえばいい。扉に鍵をかけて、誰に打ち明ける事も赦されない。彼女を好きだった事、想いを伝えられなかった事。全て、全て沈めてしまえば――
……だけど、今の彼女の気持ちはまだ解らない。だから、今度こそ確かめなくては。
(
東城
(
アイツ
)
を失うのは、一度でいい。)
「一周してきたか……。」
周囲に気配りしながらもカンカンカンと音を立てながら階段を上ると、玄関前にパジャマ姿に上着を着、手には湯気の立ったココアを二人分手にした唯が立っていた。
「遅いよ。」
「唯。」
「ちょっと冷めちゃったじゃん。ホラ、じゅんぺーの分。」
「さんきゅ。」
「随分な顔だね。そんなんで東城さんに会うの?」
「後で洗う。」
「ちゃんと確かめて来いよ。向こうもきっとそのつもりなんだから。」
「……うん。なぁ唯。」
「ン?」
「このココア美味ぇな。」
「…当たり前じゃん。唯が植樹してから初めて収穫できたカカオで出来てんだから。」
寒さは相変わらずだったが、星は少なくなり、夜は白ばみかけていた。ココアを飲み終えるまで二人は玄関の前で隣り合わせに並んで座りこんでいるのだった。
「ところで、唯。」
「何?」
「オマエ、いつまでウチにいんの?」
「……………。」
午前11時20分。久々に見た
泉坂
(
こきょう
)
の街は、以前より開発が進んで少し違って見えた。
(待ち合わせの時間まで、あと10分か……。それにしても、今日は雨かよ。)
朝方は晴れていたのに、今はパラパラと雨が降っていた。唯に言われて傘を持ってきて正解だった。
タクシー乗り場の前で待っていると、一台の白い車が止まり、ハザードランプを点け始めた。
ゆっくりと、その待ち人がドアを開け、彼の元へやってくる。
「……――久しぶり。」
「…ああ。」
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