Top > Writing > 「夢の続き 明日の風」




■SCENE-12:『Bright Sight』


 “――久しぶり。”
 そう言う綾の髪は淳平が半年前に見た時よりも伸びていて、後ろ全体を緩い三つ編みにして纏めていた。半年前のきりっとした感じとは違って少し大人びた感じに見えるのは、パンツルックの夏服ではなく、膝下くらいまであるスカートに、胸元にブローチの付いた服、その上に紺のセーターを着こなしていて、シックで落ち着いた印象があるせいか。
 唯一淳平にも見覚えがあるのは、高校時代にも綾が愛用していたコートだった。ここだけややカジュアルなのは単に好みなのか、コートまで気を回さずに服装をコーディネイトしていたのか。
 綾は傘を閉じる事なく淳平の居る屋根のある所まで歩いてきた。
「ごめんなさい。ここタクシー乗り場だから、すぐに出なきゃ。乗って。」
「お、おう…。」
高級(たか)そうな車……。)
 言われるがままに助手席に乗り込むと、淳平は改めてそう思った。
「傘、後ろに置いてね。」
「おう。これでいいか?」
 淳平が慣れない体勢で手にした傘を後部座席の足元に置くと、綾が答えた。
「うん。シートベルト締めて。」
「あ、ああ。」
 言われるがままに2つの動作を重ねて、今度は淳平の方が綾に尋ねた。
「東城が運転するのか?」
「うん、…別に免許持ってるなら真中くんに代わってもいいけど…?」
「いや、ないよ。」
「そう。」
 言いながら綾はバックミラーとサイドミラーを確認すると、ウィンカーの右ランプを点滅させ、道へ戻る。
 徐々に動き出す車。思わず「おおっ」と淳平は声に出した。
「車に乗るのそんなに珍しい?」
「いや…うん。実家にもなかったからさ。今時珍しいだろ?仕事で撮影の移動中に乗って寝させてもらうくらいだよ。」
「それじゃ別にもう珍しいって事もないし、驚く事もないんじゃない?」
 確かに車に乗るのは驚くことではない。車に乗るのが珍しいからではなく、珍しい車に乗っているから驚いているのである。しかも、それはどう珍しいかと言うと「東城綾が運転する車」。この時点までの彼にとってこれほど珍しい車は他にないだろう。
 しかしそれは特に口にせず、仕事の話題を振った事もあって、淳平はその話を続けた。
「いや、いっつも寝てる事が多いからさ。俺みたいな下っ端はそういう時に休んでおかないと()たないからさ。」
「そんなに大変なんだ……。」
 綾の声が重く響いた。しかし、全く気にする事なく淳平がすかさず返した。
「いやー、もー慣れたよ。最近じゃ監督とか上の人の足音聞き分けて起きれたりするよーになったりして、怒られる事もねーしさ。あ、東城、それより前、青。」
「え?あ、いけない。」
 そう言うと車は左折をして駅前に面した少し広い通りに抜け出、泉坂市内へと進んでゆく。その瞬間に、助手席の淳平だけが側にある見慣れた駐輪場に目をやっていた。
(あの頃は、皆、自転車でここまで来てたのになぁ。)

「フゥー、今日から初めての合宿かぁ。うわ、やっぱ重てぇ…ビデオの分肩にクるなぁ。お、東城もう来てら。おーい、おはよー。」
「あ、おはよー真中くん。早いね。」
「そうかぁ?5分前だぜ?東城は何分前に来たの?」
「あたしは10分ほど前だけど。」
「うわ、さすがー。真面目だよなぁ東城は。」
「そんな…あ、北大路さんと外村君だ。」
「おっはよー!」
「おーっす。」
「おはよー。」
「小宮山はまだかな?」
「もう来るんじゃね?あ、ほら来た来た。」
「おーい、綾ちゅわーん、さつきちゅわーん、おはよーう!」
「……………。」
「マッタク大声で恥ずかしいわね…。」
「それにオレらにゃ…」
「挨拶ナシかい!」

(懐かしいよなぁ……。2年の時はどうだっけ…?)

「今日10時駅に集合って約束だろ!?――東城が家の用事で後から来る予定だからオマエ一緒に来い!じゃあな!!」

「ハァハァ…なんとか着いたぁー!……トホホ…皆の自転車あるよ。えーっと、東城は…、あ、いた!…ありゃりゃあんな大きなあくびして。珍しいな。おーい!東城ーッ!」
「ふにゃ…あ、おふぁよー真中くぅん…。」
「ごめんな。わざわざ。」
「ああ、大丈夫だよぉ。外村くんからちゃんと連絡あったからぁ。それじゃあ行こっかぁ。…いたっ!」
「東城、前、前。」
「いたたた…大丈夫。目、覚めたよ。」
「いや、そっちじゃなくて、おでこおでこ。」


(……ち、遅刻したんだった。)
 記憶は連鎖のように蘇り、3年の時も遅刻した事を思い出してしまった。懐かしさに浸るつもりが、自らのだらしなさに泣けてくる。
 だが、いずれにしても時の流れを感じずにはいられなかった。別に泉坂駅に寄るのは合宿の時ばかりでもなかったし、高校生なのだから当たり前だが、車で来るような人間はいない。
 それが今では、自分はこの故郷を去り、綾は車に乗ってやってくるのだから。
(…ン?!)

「ああ、大丈夫だよぉ。外村くんからちゃんと連絡あったからぁ。それじゃあ行こっかぁ。…いたっ!」
「東城、前、前。」
「いたたた…大丈夫。目、覚めたよ。」
「いや、そっちじゃなくて、おでこおでこ。」

ズルッ!
(うわ〜っ、絶対普通の人間の3倍は転んでるよ…。)

ゴォォン!
「キャッ!」
「東城、メガネ!メガネかけないと。」

「ん?なんかおでこ赤くない?」
「体育のバスケの授業でボーッとしてたらパスされたボールに気付かなくって…。」


 その時、淳平の顔がサーッと蒼ざめた。そればかりではない、冷や汗までドッと涌いて出てきた。
(い、今更気付いたけど、だっだだだだだだっ、だっ、だっ、だだっ、大丈夫なのか!?あ、ああああ、あ、あの(●●)東城の運転なんて……!!?)
 淳平にとってこれは一大事であった。すぐさま確かめなければならない。急務である。しかし、今のところ気持ちよく運転している彼女にどう質問すればいいものだろう?
「う、運転免許ってさぁ、結構難しいもの?」
 考え果てた末の質問はそれだった。「東城の運転で大丈夫か?」という失礼極まりない質問を避けたのはいいが、近いようでどうにも遠いようだが…。しかし、思考回路が半分パニックに陥っていた淳平にはそれがベストな質問に思えた。
「ううん、大した事ないよ。最初はちょっと怖かったけど、慣れれば自転車と同じ。体が覚えるよ。」
 そう聞くと淳平は少し安心できた。綾がこんな所で嘘を言うような性格ではないからだ。
「そ、そういうモンなのか。うーんオレって本当に車と縁なかったからさぁー。」
「大丈夫だよ。あたしでも免許取れるんだから…。」
(あ、多少は自覚あるんだ…。)
「…だよな。そうだよな。大体免許持ってんだから大丈夫だよなぁ。」
 綾は特段気にはしなかったが、油断した途端に出たこの言い草が「大丈夫じゃないか疑っている」事を白状している事に淳平は気付いていない。
「ところでこれ誰の車?東城の?」
「ううん、家の。あたしも一台買ったけどそれはもっと小さいから。」
(車が買えるのかよ…。)
 今や綾が有名作家である事を淳平は改めて認識させられた。かたや自分は粉微塵に働いてようやく貰える安月給をどうやりくりしようかがいつも頭痛のタネだというのに。嫌になるほどの差を感じた。
「そういや確か免許って実技と筆記に分かれてるんだよな?実は東城の事だからさ、実技は3回くらい落ちてるのに、筆記は一発でクリア、とかなんじゃないかなぁとか。なーんて…。」
(ギクッ……!!)
 淳平が話題を変えた途端に綾が固まった。その瞬間…!
「あれ?わぁーーーーーーーーーー東城!前!前!!」
「え?キャッ!」
 ギギィィィイイッ!!!
 擦り切れんばかりのタイヤの音と共に、なんとか車はブレーキをかけられ、前方で信号待ちをしている車にぶつからずに済んだ。
『ふぅ〜。』
 二人して溜め息を吐くと、ハッとして、綾が切り出した。
「ご、ごめんなさい!」
「オ、オレの方こそ悪ィ!変な話して、ごめん!じゃ、じゃあ気を付けて行こうぜ。」
「う、うん。」
 信号が青になるが、今度は車は動かない。
(なんで、実技3回落ちて筆記が1回で合格って判ったんだろう……?)
 何気なく言った淳平の言葉が図星だった綾。当てられたのは偶然だろうが、恥ずかしさと疑問で頭が満たされてしまった。しばらくすると淳平が話しかけてきた。
「…城、東城!前!」
「え?あ、わっ!」
「わぁぁああっ!!」
 その瞬間、ガクンッ!と車は急発進をして淳平の上体は前後にバウンドした。
「あ、ご、ごごめんなさい!」
「東城!本当気を付けて!」
「だ、大丈夫だから!う、運転に集中するね!」
(ちっとも大丈夫な気がしない……。)
 後に真中淳平はこう語っている。「金輪際東城の運転する車には乗りたくない」と。

「あれ?そういやさぁ、何処に行くんだ?東城の家?」
 運転も安定してきた中で、淳平は今更ながらに切り出した。
「…ううん。分からない?真中くん。」
 故郷の街ではあるのだが、何分4年間ほとんど居なかった街並の変化も相まって、車に乗って回るのは初めてだった淳平には、感覚が付いて来ていなかった。キョロキョロと前後左右を見渡す彼を見て、クスリと微笑みながら綾がほぼ正解に近いヒントを出した。
「……黒川先生には連絡済みだよ。」
「え?あ、…ああ!」
 なるほど、泉坂高校か。確認するように淳平は綾に返した。
「じゃあ…このまま高校か。」
「あ〜…でもお昼ご飯買っていかない?」
 そういえば。時間は正午近くだ。きっとこのまま高校へ行けば色々と話をして小腹も空くだろう。二人は一旦近くのコンビニへと車を寄せた。
 中へ入ると、淳平と綾は隣り合ってお弁当コーナーを見ていたが、次第に一人一人で勝手に品定めをしていた。綾はおにぎりを2つと小さなタルトに、よく冷えたレモンティーを。淳平は散々悩んだ挙句、ピザパンとおにぎり1つを選ぶ。
 車内に戻ると、二人は買ったものを見せ合いっこし始めた。
「東城、何買ったんだ?」
「あたしはおにぎり2つとチーズタルト。あとレモンティー。真中くんは?」
「んー俺はピザパンとシーチキ。」
「え?それだけ?」
「あ、ああ。」
「結構少食だね。」
(っつーかこれくらいにしとかないと()たねぇんだよ…腹じゃなくて金がさ。)
(あ、あたしが食べすぎなのかな……最近運動してないし太ってたら嫌だなぁ……。)
 この差は淳平の金銭的事情が大きいのだが、そうとは分からず綾は淳平より一品多い事が少し気になってしまう。
「…あ!」
「どうした?東城。」
「……おかか取ったつもりだったのに、明太子だった……。」
「ああ、そういや東城って辛いのダメだったっけ。」
「うん。どうしようかな、これ……。」
 と、綾が取り出すと淳平が脇からジーッと熱い視線を注いできた。
「…………食べる?」
「…ごめん、要らないなら貰っていい?」
 クスッと微笑むと綾がこう言ってその明太子のおにぎりを手渡した。
「いいよ、別に。」
 彼自身も辛いものは苦手であるが、食べられない事はないし、背に腹は変えられない。だがそれよりも、ついついタダメシに体が反応する自分が少し嫌になる淳平だった。
「真中くん、飲み物は要らないの?」
「ん?ああー、それはダイジョブ。」
「?」
 そう言うと淳平は鞄からある物を取り出して見せた。
「じゃ〜ん。」
「あ、それ…。」
 それは綾も高校時代に彼が持ってきている事をよく見た記憶がある紺の水筒だった。
「唯が淹れてくれたんだ。下手に買うよりよっぽど安く済むからな。」
「え?唯ちゃん帰ってきてるの?」
「ああ、アイツと来たら俺ん()に、いそう…た、またま遊びに来ててさ。」
「ふ〜ん。」
(セ、セーフッ!居候してるなんて言ったらまた説明すんの面倒くさいからな…。)
「おにぎりの代わりにこれ飲む?」
「じゃあ、いただこうかな。」
「ただ、あんま美味くないかもしれないぜ?唯が仕事の関係上で貰った海外のお茶だし。やっぱ海外行ってみると日本ってウマいモン多いと思うよ。」
「でも、楽しみ。じゃあ出よっか。」
 そう言うと綾は車を再び走らせた。もう車は泉坂市内の中でも淳平にも見慣れた街並に入っていった。道幅も駅前の大通りとは違って狭くなっていく。
 泉坂高校は、近い。
「あ、よかった。駐車場空いてる!」
 綾が運転する車は二人の母校の近くの有料駐車場に入っていった。
「これは…バックかな?」
「俺が後ろ見ようか?」
「ううん、心配しなくても大丈夫だよ。」
(俺はすっっっっごく心配なんですケド……。)
 舵を取っているのが自他共に認める運動音痴の綾とあっては、淳平は生きた心地がしない。既に2回被害に遭っている分、そのプレッシャーも更に増加している。しかもこの有料駐車場、先ほどのコンビニと違ってかなり狭い。
 しかし、淳平の不安をよそに、綾は助手席の頭部に左手を回し、ギアをバックに入れた。
(うわ、東城の左手が俺の頭の所に……って何ドギマギしてんだよ俺!こんな昭和なあるあるネタで…。)
「よし、うまく入った。降りよっか、真中くん。…真中くん?」
(大体これはフツー男の俺が運転する側だろーが!)
 抱えるような程のものでもない葛藤を頭を抱えて淳平が続けているとも露知らず、綾が不思議そうに言った。
「あのぉ、真中くん。お、降りよっか?」
「ふぇ?あ、あああ、ああゴメン!考え事してて!」
(考え事…そうよね。急に呼び出したりして。何があったと思われてるんだろうな…。それとも…。)
(これが今の東城と俺の差、…か。トホホ……。俺もいつか免許…!つっても暇も金もねぇんだよな……。)
 淳平は古ぼけたリュックを片肩に背負って外に出る。綾もまた小さめの鞄を取って外に出て、キーレスエントリーで車に鍵をかけると、その小さいリモコンを鞄の中に入れるながら何気なく呟いた。
「さてと…。」
 その言葉に、ここは陽気に淳平が応えた。
「んじゃまぁ、行きますかっ!」
 やや呆気に取られた感に取られつつすぐさま綾も応えた。
「…うん!」

 二人は母校である泉坂高校の外周を歩いてゆく。ただ、二人が歩いている側は彼らのかつての通学路とは離れた部分であったため、あまり通らなかった場所である。それ故か二人とも新鮮な気分がある。
「お、グラウンドだな。つっても誰もいねーや。まだ放課後じゃないもんな。」
「この雨じゃ体育があっても体育館(なか)だろうしね。」
(雨に体育、か……。)

「…ごっ、ごめんなさい。変なこと、思い出させちゃって…」
「へ、変なことなんて思ってねーよ!その東城には忘れたい思い出かもしれねーけど俺は…」


(……今の俺は…きっと忘れたがっている。)
 歩いてゆくと、二人がよく通った道が見えてきた。今彼らが見ている道の半分から向こうはかつての彼らの通学路。二人とも懐かしさがこみ上げてきた。
「懐かしいなぁ……。」
「本当だね…。」
 しかし、淳平は「向こう側は同じ通学路だったから一緒に通う事もよくあったな。」とは言えなかった。更に足を進めると、ついに見慣れた校門が目の前に。
「ひぇ〜ついに着いちゃったなーそれにしても変わってねーなー、この校門といい。」
「そうだね…。」
 元々泉坂高校は公立である以上、資金的に優れた私立と違って頻繁に増改築が行われる訳ではない。彼らが居た頃と比べて何が変わっているかといえば、せいぜい校舎内においての変化と、彼らの後4回生分の卒業生が送った植樹などだろう。だから彼の感想とは取るに足らない、ごく当然の事と言える。
 しかし、街並は変われども、母校の姿は大きくは変わっていない。その事が淳平の心を暖かく満たしてくれていた。
「そんじゃ、入ろうか東城。」
「あ、待って真中くん。あたし達、部外者だから事務室に受付通さなきゃ。」
 そう言うと、綾は門扉の側にあるインターフォンを押して、早々と中に入るための手続きを始める。変わらない校舎、だけど自分達はもう生徒ではない。前かがみになりながらインターフォンごしに連絡を済ます綾の背中の後ろで、淳平はそれを感じていた。
「はい、済んだよ。」
「サンキュー。…でもなんか面倒くせぇよなぁ。俺達OBなのに。」
 頭の後ろに両手を組んで愚痴る淳平に、綾が言った。
「仕方ないんじゃないかな。色々と物騒だし。」
「そういうもんか。」
 校内を歩いてゆくと、砂地部分で拾った湿った砂利がサクサクと靴音を奏でる。
 以前は3年生分の下駄箱が集う大きな玄関を使った。だが、今はかつて何度となく通ったその場所を通らない。少し離れた所にある外部来客と教員用の小さな玄関が今の彼らの行き先だ。そのドアの前で二人は傘をたたみ、靴底を少し拭う。
「しっかしまぁー、こんな所、生徒の頃はほとんど来た事ないよなぁ。」
「あまり来る理由がないもんね。」
「掃除当番の時くらいか?」
「あー、そうかな。」
 傘を回しながら雨を絞ってたたむと、二人は玄関を通り、窓口に入校手続きを始める。前にいる綾が窓口に顔を出すと、淳平も見覚えのある受付の事務員が応対する。
「おや、お久しぶりねぇ。」
「こんにちはー権田原さん。」
 どうやら綾は事務員とも顔見知りなようである。綾は特に高校時代に事務員に用が多かった訳でも、そこまで顔が広い特別な生徒でもない。また、互いに驚きがないため、それが「小説家・東城綾」の名や彼女の美貌に因るものでもない事が解る(勿論最初の内はその度合いがある可能性もあるが)。という事は、彼女が以前にもここから来た事があり、つまり何度かOBとして訪ねている事を意味していた。
「どう?お仕事頑張ってる?」
「はい、お陰さまで。」
「ところで、後ろのコは?随分かっこいいわねぇ♥」
 六十路辺りのその事務員のおばさんの熱視線に、淳平は背中に悪寒を覚えた。
「同級生。ここのOBですよ?同じクラブだった真中くん。」
「ど、どもー…。」
「こんにちは。あらそうなの?ごめんなさい、覚えてないわぁ。」
 書き終えると、綾が「はい」と言って場所を空けた。入れ替わるように淳平が受付で前かがみになりながら、入校者リストにペンを走らせる。
「…綾ちゃんと同じクラブって言ってたね。」
「はい、映像研究部だったんですけど。」
「あら、あの映研部?今じゃなかなか有名になってるじゃない。」
「そうなんスか?」
「その反応は卒業してから全然来てないね?まぁでも普通はそんなモンか。今日はゆっくりしていきなさいね。何ならこれからおばさんと楽しい事話しましょ♥」
「あはは、それはまぁ次の機会で……。」
 そうか、と思い出したように淳平は心の中で呟いた。この事務員は彼が泉坂高校に補欠合格した際に応対した事務員だった。変に色めきだった冗談をかましてくる辺りに、相変わらずだなぁ、と淳平は苦笑を抱えていた。
「んーでも綾ちゃんって校内でも目立った存在だったから、同級生だったんなら私も見た記憶があって当然のはずなんだけど…背の高いハンサムなコと、あと、黒髪でボサボサのコは覚えているけど……。」
「(ハンサムというのは天地の事か…?結構覚えてるじゃねーか権田原さん)…多分その黒髪のボサボサっす。」
「冗談。あのコはボクみたいに背も高くなかったしもっとナヨっとして可愛いカンジだったわよぉ。オバサンを担ごうったってそうはいかないわよぉ♥」
「……………。」
 ガクッ。かつて会った人に再会した時、9割以上の確率で言われている事だった。もう聞き飽きて否定するのが面倒なくらいである。その様子を綾は少し離れてクスリと笑っていた。
「はい、これでいいですか?」
「ん、いいわよ♥ オバサン、もっとボクと話たいけど、先生や後輩に会いに来たんだろうからね。ゆっくりしていって頂戴ね。」
「は、はい…。」
「それじゃあ。」
「帰りに退校チェック頂戴ね。」
 先を行く淳平に続こうとしたが、綾は入校者リストに一瞬目をやると、思いついたように備考欄をそそくさと追記してから後を追った。

名前職業連絡先(電話番号)来校の目的備考退
東城綾小説家090-****-****主に恩師との再会   OB32回生
真中淳平映画助監督090-****-****    〃OB32回生



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