Top > Writing > 「夢の続き 明日の風」




■SCENE-14:『夢を見たいから』


「あの小説を映画にして欲しいとは思わないの……。」

 その言葉を聞いた瞬間、彼は自覚できていなかったろうが、淳平の顔は硬直していた。
 “分かっていたのに…そうだ、分かっていた事だろう…?お前に何ができる?何を成せる?”、
 “そもそもそんな資格などお前にあるのか…?そんな事をして彼女は喜ぶと思っていたのか?”、
 “何ノ為ニ?誰ノ為ニ?、所詮全てはお前のエゴの為…見つかろうが見つからまいが、何も変わりはしない。だってそうだろ?お前が選ぶのは…”、
 “だから無理をするな。彼女をこれ以上疵付けない…二度と逢わない。それしかお前に出来る事なんて無いんだよ。”、
 “………い、や、だ…!俺は…俺は…それでもアイツ()……”
 持ち得る言葉が凄まじい勢いで頭の中を駆け巡る。もう自分の中で、奮い立つ心も、甘えてしまう弱い心も、ろくに把握もできず、暴走してゆく。それは、混乱と、そしてそれを鎮めるための自己防衛。切り裂かれては傷口が修復する、まるで何度もそれを繰り返すかのよう。
 心の中は限界に近かった。それでも尚、淳平は動揺を隠し続けていた。洪水のように雪崩れる感情を堰き止める為に、唾を飲み込む。彼女の方向から視線を逸らさずにいるだけで必死だった。
 だが、それは目の前にいる綾も同じである事を、淳平は知らない。
(胸の奥が、どうしようもなく熱い…どうして?他の誰からも感じた事のないのに……。)
「……………。」
「……………。」
 言葉が、続かない。
(どうしよう…口にすればまた、壊れるかもしれない。そう思うと……泣いてしまいそうになる。あの日あたしはあたしに誓った筈なのに…もう振り向かないって。もう泣かないって。)
 “じゃあ、その想いは告げずにずっとしまっておけばいい?”――
(…嫌。絶対嫌!だから、泣いちゃダメ…!)

「目指す方向(ばしょ)を決めるのは、綾。アンタよ。」
(あたしの、あたしの決める方向は……。)

「…あの、小説は……、」
(…!?)
 再び綾が言葉を口にし始めた時、淳平は彼女の声が震えている事に気付いた。その瞬間、自分の中の葛藤は払拭できた。尤も、それは完全とは言えない。何故なら自分の思う事が間違っているという自信など何処にもないから。だが、淳平の意識は今、綾が必死に紡ごうとしている言葉を、破片(かけら)も逃さずに掬い取る事、受け止める事に集中していた。
「…あの、小説は…分かっていると思うけど…、いつの間にかあたしのあの頃の気持ちが、ああさせて…。」
 自分は何を言っているのだろう?「ああ」とは何だ?全く日本語になっていない。確りするのよ綾!ちゃんと前を向いて、ちゃんとした言葉で、ちゃんとした気持ちで、喋りなさい!綾はそう自分に言い聞かせ、深呼吸して続けた。
「いつの間にか、あの物語の人物に、あたしは自分と真中くんと…重ねるようになって……。」
(そうだ……俺もよく分かってる。)
「終わらせるまで、3年もかかっちゃったから…、だから…。」
(3年……。)
「今の私から見たら、自分の個人的な想いが余りに影響しすぎているし、統一感も何もないし、酷くバラバラで、構成力も表現力も、全然ダメな完成度だし…。」
(……?)
「だから、だから真中くんが本気で世に出したいって言うのなら…あたしはその話を、もう一度新しく作り直す機会(チャンス)が欲しい。もっと腕を磨いて、納得できる形で…。」
(………!それで、ノートを返せと…?)
 淳平は綾が搾り出すように口にする言葉から、自分の考えていた最悪の答とはどうやら違う事を意識し始めた。だからといって安堵感など全くない。ただひたすら、変わらずに彼女の言葉を全て受け止めようとしている。その一つ一つが震えているのは、それは彼女は今ずっと秘めてきた想いを表に出すために、勇気を振り絞ろうと心が震えているから。
 何を考えているかはまだ確り分からない。だけどこれだけは確かだ。彼女は自分が想うよりも強くて、それは独りではまるで背負いきれなくなるほどの気持ちで、ここに居て。そしてまさに今!それを自分に伝えようとしているのだと……!

「東城はアイツの言う何十年後か分からない“その時”に、『やったね!』って喜んだフリでもしたいのか?」
(そうだ。もう、彼の背中ばかりを見て待ち続けることも、真実(ほんとう)の心を偽り隠し続ける事も、絶対に嫌……!)

「…嫌なの。」
「…え?」
「真中くんがどんな風に作ろうと思っているのかよく知らない。よくは知らないけど…でも…嫌なの。」
 一瞬下を俯いてそう言った後、それまで秘めていた想い、その純粋な感情を一気に解放させるかのように、綾が言った。
「このままで映画になるのも嫌だし、何十年もなんて待てない!他の脚本家(だれか)に任せるなんてのも嫌…!もっと腕を磨いて、あたしの脚本と、真中くんのカメラで…!最高の形で創り出したいの!馬鹿だって分かってる!真中くんをもっと苦しめるってことも!叶える事がもっと難しくなる夢だってのも!それでも、それでもあたしは…あたしは……!」

「出来ればあたしも傍で一緒に見させて下さい。東城先輩の"選んだ未来(シナリオ)"を。」
(あたしの選ぶ未来、いや、創る未来。それは……!)

 一呼吸置いて、最後の言葉を綾は叫んだ。
「夢を見たいから!あの頃のように!あなたと!真中くんと一緒に夢を見たいから……!!」
(……………!!)
 その時、初めて淳平には解った。彼女が重苦しそうに話し始めた理由…現在のままで映画になる事を彼女は喜びはしない。そして現在よりも高い完成度で作り直した上で、製作には「何十年」ではない数年後を目指したい。それは、今まで淳平が旅の中で記してきたこの今の小説を映像化させるためのアイデアの数々も…真っ白に返るも同然。しかもそれでありながら猶予期間(モラトリアム)は短く。それは、その方向(ばしょ)に立つ為に淳平がすべき事は途方もなく多くなるばかりか、一層できるかどうかもわからない夢物語に近くなる事を意味している。「何十年かかるか分からない」…そう括った、今は夢の輪郭すらも見えない彼には、眩しすぎて何も見えない、陽炎のような泡沫の夢。
 だが、淳平は俯いていた。彼女の本当の気持ちを聞いて、泣き出しそうになっていたのを隠して、堪えて、そして次に送る自分の言葉を考えて。一体どれ程の想いで彼女はここへやって来たのだろう?そしてそれはかつて彼女を疵付けた自分に向けられているのだ。刹那くも、温かくて、とても大きいその想い。
「………――。」
 先ほど戦慄にも近い緊張を淳平に齎していた沈黙が、今度は言葉を返そうとしない淳平を待つ綾に襲い掛かる。右手を胸に置きながらも確り彼を見続けていた瞳が少しだけ下に逸れた。
 と、そこへ不意に綾の目の前に四角い封筒が差し出された。
「……え?」
 それこそ、綾が返して欲しいと言っていた数学のノートが入った封筒。彼女がかつて淳平の為に認めた小説だった。
 言葉を待っていた自分に差し出されたのはそのものいきなりだったので、綾は面を喰らってしまう格好となった。そして驚いていた。経年だけでは説明しきれないほどの使い古されたような感触。彼女がそれを知るのはもっと後だったが、それは淳平がこの4年の間に旅を重ねる中で、この小説を映画化させる為のありとあらゆるアイデアを注釈として記していたせいだった。
「…え?って何だよ。それが要るんだろ?創り直すのに。」
 淳平はあえてまるで大した事などないように軽く返した。そうする事で彼女の気持ちも軽くさせたかったのだ。
「東城さぁ…、一つカン違いしてる。」
 ポリポリと髪を掻きながら淳平はそのままの軽やかさを気取って言い始めた。綾は変わらず宙に浮かされたような感触だ。
「俺ぁこれでも映画監督の卵だぜ?で、そいつは原作の小説。その原作者がOKしてねーのに、映画創れるワケねーだろ!」
 淳平は一丁前に創作者の理屈(ルール)を持ち出して微笑ってこう返した。原作のある作品の映画とは言うなれば、二次創作だ。一次創作者の許可なくして製作など出来る筈もない。
 それはつまり、彼女の願いに「OK」という返事を意味していた。
「なっ!」
 親指を立てて笑う淳平の顔。それを見た時、綾は鎖に解き放たれたように心が明るくなった。一切の迷いを打ち消すような彼の笑顔。
(ああ…あたしは何をずっと悩んでいたのだろう?)
 そうだ、3年もの間、共に一緒の夢を創り出してきた絆を、もっと強く信じれば良かった。独りで抱え込んで、いつの間にか見えなくなった彼の輪郭は自分が思うよりも現実から大きくかけ離れていた。怖れるべきは彼ではなく、囚われる自分自身の心。しかし、それも……。
 客観的に見ても今の自分と彼とで映画製作など夢のまた夢の話。やるべき事は互いに山積みで、結果など宇宙の彼方まで飛ばねば得られないような距離。
 それなのにこう思うのは何故だろう?
(真中くんとなら、出来る気がする…何だって創れそうな気がする!)
 そう、あとはこの絆を強く信じればいい。そう考えた瞬間、綾には今のこの自分の要求が急に色褪せて見えた。
「………やっぱりいいわ。」
「ブッ!!なんだそりゃ?!それじゃ俺一体何しに来たんだよっ!?」
 思わず噴出し、反射的に淳平は突っ込んだ。もはや二人を取り巻く空気に霧がかるようなものは無かった。
「ごめんなさい。新しく創り直すって言ってるのに、今これを戻してもあまり意味はないわ。…大丈夫!こんなものに頼らなくたってあたしは信じられる。」
 この絆を――
「だからね、これは“その時”になってから返して。」
 今ではなく、その時に見える目、映る心でいい。考えるのは、創るのは未来(その時)だ。
 一方淳平は、綾の言葉自体は勿論聞いているが、少し昔の事を思い出していた。

(あの小説がある限り、俺達の間には絶対天地は入ってこれないんだ――)

 この手にある二人だけが知る絆の証。でもいつの間にかそれに縋るだけで安心し、甘える日々に埋もれ、見出せなくなった…いや見ない振りをしてきた彼女の輪郭。“頼らなくなっていい”…今の自分は彼女の立場だったとしても、そう言えただろうか?
 今はまだ揺らめく陽炎のような夢。それを彼女はもう創作者としてちゃんと見据えている。不安なんかは何処を見ても顔を出しているはずなのに、真っ直ぐに見ている。
 手元の封筒に少し視線を移すと、この小説のエピローグが蘇ってきた。
 主人公の青年の旅が全てが終わった後のシーンの1つにこうある。志を共にする機織の少女と共に、他の多くの王族関係者と紛れて彼が出席した、王女の戴冠式。取り囲む3人の神官の前に跪いて冠を頂く。新しき女王の誕生のシーンだ。
 儀式を終え、女王となった王女が一通りの演説を行うと、参列した群集の真ん中ではなく、不自然に視線を逸らして――それは青年と機織の少女を向いて――優しく微笑みかけるようにこう言った。

『call name "future"(我が名は“未来”)…。』

 淳平はずっと思っていた。物語の中で主人公が選んだのは綾が自身を重ねた機織の少女。だがこの王女の台詞こそが彼女自身の自分へのメッセージのように思えてならなかった。

「この泉坂高校の自由な校風の中で過ごした3年間は、私の大切な宝物です…!」

 卒業式で彼女が見せた笑顔は、まるでこのシーンをそのまま映したかのように彼には見えていた。確かに淳平を向いていて、彼女の意志で微笑って淳平を見つめ、だが、それとは裏腹にその瞳には淳平は映ってはいないかのようだった。
 彼女があの時見つめていたもの…それは、“未来”――

「…わかった。こいつは“その時”になったら返す。それまで俺が大切に預かっとく。」
「ありがとう。…ごめんなさい、何しに来たのか分からなくて。」
「なーに言ってんだよ。いいって事。」
 “何しに来たのか分からない”?
 文字通り小説を渡す為に来たのが目的だとしたら確かにその通りだろう。だが、目的とはその言葉通りのままではなく、互いの想う事を確かめる為。もう、彼女の気持ちはちゃんと確かめられた。
 しかし、自分は彼女の問いにただ「YES」と応えるだけでいいのだろうか…?淳平は渡すはずだったノートの入った封筒を脇に挟みながら、代わりに違うものを鞄から取り出した。
「東城、受け取れ!」
「えっ…?」
 思わず力が入ってしまって半ば投げるような格好になってしまったそれは、綾の両手に吸い込まれるようにカシャリと収まった。
「…DVD…?」
 それは布製のファイルにしまわれた幾枚かのDVDだった。顔を見上げる綾を前にして、鼻の下を右の人差し指で擦りながら恥ずかしそうに淳平が言った。
「あー、それはだなー。俺が去年コンクールで受賞した映画とか、それ以外で出品したヤツとか諸々…ま、俺なりに4年間やってきた成果が詰まってる。」
「これを…あたしに?」
「ああ、東城だから持っていて欲しいし見て欲しいんだ。丁度いいだろ?俺は東城のノートを、東城は俺のDVDを持っておく。な?」
 まだまだ駆け出しの映画業界人である自分と、若くして文学界の頂点にまで上り詰めた綾。その差は明らかに大きい。その距離を測らずして手を拱き、目を逸らすような愚かな真似は出来ない。
 でも、欠けているものを彼女や仲間が埋めてくれている事に気付かず、自分の力の程も測れずに浮かれていたあの頃から、少しは自信がついたと思う。だから、せめてこの4年の間に培った“自分独りの力”を、彼女にだけは包み隠さず明かしたい。
 このノートは当時の綾の一つの“答”、そして今また聞いた一つの“答”。それを満たせるとは思えないけれど、その答に応えるだけの答は、自分にもある。それを授けたい。あの頃と似て非なる新しい絆を。半人前とはいえ同じ創作者の端くれとして認め合いたい。そのお互いの意志を体現した証にしたい。そう思っての行動で、綾も何となくそれを感じていた。
「分かったわ。」
「それから…あと二つだけ約束して欲しい。1つは…作り直すからには純粋に東城が理想と思う形を実現してくれ。“その時”俺がそこに立っているかどうか…それは考えないで欲しい。それから、実際に映画を創るには俺達二人だけでなんて当たり前だけど絶対無理だし、多くの人の協力が必要になってくると思う。そこで俺が監督として携われたとしても…、」
「……?」
 淳平は手元の封筒を少し見つめて続けた。
「…コイツは、俺にとっても大切な作品だから、ちゃんと冷静に正しく創れるのか自信がないんだ。」
 想いを込めて、込めただけ全て形になるのならそうすればいい。あるいは自己満足の為の作品ならそれでもいい。
 だが、彼らが住まう世界であるエンターテイメントビジネスにおいての創作は全く話は違う。それが醍醐味でもあるのだが、創り手の懸ける想いと受け手の抱く想いはいつだってイコールとは限らない。個人の強すぎる想いは時にはしなやかさを損ない、作品の出来を下げてしまう事はざらに在る。チームワークが求められるなら尚更の話だ。淳平はその事を判っていた。
「だからもし、俺が監督として相応しくない時は、東城がちゃんと言ってくれ。甘えとかそんなのナシだ。」
「………うん。でも……それはあたしも同じだから。」
 どんなに強くても想うだけじゃ何も生まない。想いに任せて動くだけでも求めるものは生めない。理想を体現するには…その思慮と行動の如何が問われる。それを正しく支えられるのは情熱を持つだけではなく、その情熱をセルフ・コントロール出来る判断力を持つ事だ。
「…分かったよ。」
 しかしどうしてだろう?ここまでずっと話している事は、自分でも判る程に非現実的な夢物語であるのに、感覚が麻痺でもしているのかという位、ちっとも不安とかを感じない。むしろ心の中は他の誰からも感じ得ない躍動感に溢れている。
 自身の中で確かに湧きたつ、純粋な感情――
東城(コイツ)となら何だって出来る気がする。東城(コイツ)と映画を創りたい!夢を見たい…!”
 ただ、淳平にとってそれだけが目的ではなかった。目の前の綾は胸元に自分が渡したDVDを見つめながら微笑んでいる。
“彼女の存在とは、自分にとって何だ?”――
(“只の初恋?”“只の友達?仲間?”)
 そんな言葉では括れやしない存在。
(でも、だとしたら何だ?この…俺の中で“東城綾”という存在がどういうものかという答は。)
 恋や愛とは違う存在(もの)、確かにそれに惹かれる意味は、まだ解らない。
(もしも約束を果せたら、その時ちゃんとオマエに言えるのかな…?いや…きっとそれは俺の中だけで昇華されるものだろう。だって、それを伝えるべき相手は…俺が求めていた東城はもう居ない。俺がそうしたのだから…。あの日の東城はもう居ない。)
 視線をやると、綾もそれに気付いて淳平の方へ顔を向けてこう言った。
「大切に持っておくね。」
(居ないんだ……。)
 当時の彼女の面影が一瞬浮かんで、消えた。
(……それでも、空の色彩は変わろうと、途切れても、絆は繋ぎ直せる。どんなに過酷で逃げ出したくなっても、創る夢も、探す答も、他ならぬ東城(オマエ)と見つけ出す宿命だとしたら……そんな幸せな事はないよ。)
 微笑みながら俯いて、噛み締めるように思索に耽る淳平に気付いてか気付かないでか、綾がDVDのファイルをめくってこう言った。
「やっぱり…あの作品だけじゃなかったんだね。」
「んあ?」
 いささか間の抜けた返事で淳平が返した。
「いや…あのね、あたしも真中くんがコンクールで受賞した作品見たんだけど…。」
 高校当時から綾が抱いていた淳平の映画撮影の個性――“繊細なものの描写”――も、それ以外に欠けていたシナリオ製作の腕も、綾には手に取って判るような程、全面的に彼の実力は上がっていた。だが綾は少し物足りなさのような微妙な違和感を禁じえなかった。淳平の 意識は全てこの作品に注ぎ込まれていたのか?それどころかむしろ…。
「なんとなくだけど、真中くんが本当に創りたいものってこれなのかな?って。」
「!…へぇ……。」
 何気なく発した綾のその言葉に、淳平は感心していた。
「どうして分かんだよ。全く、参るよなぁ…。」
 先ほどの師・黒川栞にも、他の誰にも言われなかった事なのに、(正確にはこの時点で彼が知る限りでだが)彼女だけがずばり見抜いていた事に驚いて、苦笑した。
「まぁ、確かに俺が受賞したコンクールには全部で3つ程応募してたよ。で、こーゆー言い方しちゃナンだけどさ。俺の中では“本命”の作品じゃなかった。勿論全部全力込めてやったけどさ、やっぱどーしてもそーゆーの順位付け出来ちゃうじゃん?俺個人の趣向とか気合いで言えば、受賞した作品じゃない2つの内の1つの方が上だった。あ、それも入ってるぜ。」
 綾が抱くDVDファイルに指差しをすると、淳平はどっかと柵にもたれて座り込み、愚痴を言い始めた。
「ヤんなっちゃうよなー。せっかく人が気合入れまくってんのに、“こっちじゃなくてそっちかよ!”みたいなさ。内心思ったよ、世の中ってままならねーなーって。ま、年齢的にも崖っぷちだったからどっちにしても受賞できたのは嬉しかったけどな。」
「でも、そう言う割には何だか楽しそうだね。」
「うん?だって、だからおもしれーんじゃん?上手くいかねー事だって自分が楽しめなきゃ、何にも創れ(うめ)ねーよ。」
「…真中くんは強いね。そう言えるなんて。」
「…アホ言えよ。俺は昔から口先先行だ。」
 そして、口だけで終わるばかりだった――
「…自慢にゃなんねーよ。」
「あたしもね、最近思うの。」
 綾もまた柵を背に座り込み始めて空を見上げながら独り言を言うかのように話し始めた。
「仕事として小説を書くって色々大変だなぁって。何でも自分の好きな様になんか書けないし、〆切りとかもあるし。大きく見ればあたしは好きな道を歩いてるんだろうけど、細かく言えば、好きな部分(こと)も時々億劫になったりしちゃうし。好きな方向(みち)を極めるのって凄く難しいんだよね。」
「んー…まぁな。尤も俺の場合、頭で考えるより体動かす事の大変さの方が身に染みてんだけど。それでも…見える映像(けしき)は少し変わった気がする。」
 淳平はチラリと窺うような仕草をしながら言った。
「東城の小説もさ、コイツが最初俺が読んだヤツな訳だけど、どんどん変わっていったじゃん?それ読んでると、本当の東城って何処に居るのかな?って時々思う事もあるよ。」
 かつては眩しく見えるだけで測りきれなかった彼女の文才も、見える景色が違えばその要素が見えてくる。台詞回し、間、言葉の選択、筋書き、キャラクター…彼女の小説の魅力も因数分解して解る。込められた気持ちも。
「最初の頃より随分と…なんてゆーかな?『人間ドラマ』っての?それが増えていったよなー東城の小説って。このノートの小説もそうだけど、魔法使いが石の巨人を召喚するシーンとか、冒険モノって感じが強かったけど、最後の方はキャラクターの心理描写に重点が置かれるよーになってったろ?」
 それこそ綾が最初に言っていた「統一感も何もない」という言葉を指していた。とはいえこれはある種致し方のない面もある。
 一つは、綾が淳平と共に映像研究部として作品作りをしていた影響がある。彼女がそこで求められたのは、「時間は短く」「人は少なく」「予算は少なく」…とにかく非常に限られた条件。派手な事が何も出来ない。ではどうすればいいか?無意識の内に綾の小説家として下した判断は、その少ない「登場人物を掘り下げる事」であって、それはつまり人物の心理描写に特化してゆく事に他ならない。実際、映像研究部以外で創った作品もその多くがその点に対する評価が高く、彼女が獲得した「中路賞」「直林賞」ともに一貫して同様の評価を得ていた。むしろ彼女がかつて彼の為に認めたこのノートの幻想小説こそ、異端と言ってもいいのである。
 そしてもう一つは、綾が自身の淳平への想いを込めて作った作品であるという事だ。「統一感が無い」とは、裏返せば当時の綾の揺れる心を、その機微を、最も純粋な形で映し出している作品とも言える。綾の淳平に対する想いが詰まった作品。多くの人に見せるというエンターテイメント性から離れて言えば、これほど一個の個人としての「東城綾」という存在の本質を映し出したものは他にないだろう。それこそは彼の言う「本当の東城綾」に当たる。
 しかしそれは私人としての彼女自身であって、創作者としては、それだけが“全て”ではない。 創り手の中から生まれる主観的な想い、受け手の為に捧げるべき客観的な判断、どちらかではない。理想を求める彼らが認識すべき考え方はどちらも“全て”であるべきなのだ。端的に言えば、彼らに求められるのはプロとしての姿勢だ。
「その通りね。」
 淳平の自身の小説の分析を、綾はその言葉通りに感じた。
「だから東城の小説読んでると、『東城の小説の魅力ってそれだけじゃねーのになぁ〜』って思ったりするんだけど…。」
「真中くんも、同じ事考えてたんだ…。」
「ん?んっんー…まーな。」
 思う所をまるで美鈴のようにペラペラと喋り徹していた淳平。思わず張本人が傍に居る事すら忘れかけていたが、綾が声をかけると急に赤面してしまった。
「さっきもちょこっと言ったけど、だから何度か全然違う作品作ろうとしてみた事があったの。だけどいざチャレンジしてみると出来なかったりして。打ち合わせで静香さんにバシバシ駄目出しされちゃったりとか…。」
「静香さんって誰?」
「あっ、あたしの担当編集さん。しかもその指摘も的確で言い返せなくて…。」
「へー、東城でもそんな風になるんだ。」
 少しニヤニヤとしながらからかう淳平に、綾はクスリと笑い返すと空を見上げて言った。
「難しいよね…自分の事なのに、自分って結構解らなかったり……。」
 既に作家としての地位を確立している綾でさえ、そう思うのかと、そしてそれを無防備に明かす姿が淳平には可愛らしく思えた。世間の人間が知る「作家・東城綾」ではない彼女の素の一面、それを知る者は数少ない。
 それと同時に淳平の心に深く突き刺さる言葉、“自分の事なのに 自分が解らない”――
 今までの自分はどうだっただろう?解らない自分と真摯に向き合ってきたと言えるのだろうか?そして、この先どうなるのだろう?問いかける明日に答はない。きっとそれは誰かが用意してくれた選択肢(みらい)を選ぶのではなく、自分で創る方向(みち)だから。その中で何を目指すか?少なくともここで確かな一つの答を得た。
「でも少なくとも俺には確かに言える自分はあるぜ?」
 スックと立ち上がってズボンの埃を掃うと、淳平は両手を腰に当てて言った。
「俺は東城が創り直したその小説を、絶対に映画にしたい。」
 そう言うと、淳平は綾の顔の少し前に拳を差し出した。
「…………うん!」
 ゴツン。
 綾もまた拳をつき出し、淳平の拳に軽く当てた。
「さてと…、時間ももうちょいあるし。お互いに4年分の土産話でもしますかぁ!去年の夏のじゃ足りないからな。そーいえばさ、こー見えても俺、4年の間に大分外国語とか喋れるよーになったんだぜ?」
「ええっ?本当に!?」
「Yeーs!5ヶ国語は軽いネ!!」
「あたしなんかあれだけ勉強してもちっとも喋れないよ?」
「いやー使う機会無かったらそりゃー身に付かねーよ。まぁ俺の場合なまじ空っぽだから頭に入ってきたってのもあるかもしれねーけどさ。」
「やっぱりそうかぁ〜。」
「んなっ!?やっぱ東城の中でも俺の頭って空っぽなワケ!?」
「ええっ?!ちっ、違っ……!!あたしはただ『使う機会が無いと身に付かない』に納得しただけで……。」
「……………プッ!あっはっはっは!!東城、相変わらず真面目だし、変に気ィ遣うよなぁ。」
「もう……。」
「時に東城の大学時代はどうだったんだよ?」
「あたしの方は……」
「ふんふん?」


 帰り道、夕暮れの泉坂市内を一台の車が駆けて行く。
「すっかり話し込んじまったなぁ…。」
「ちょっと急ごうか?」
「いや、そこは安・全・運・転で!お願いします。」
「……(ん〜…?)」
 妙な強調点が入ったような喋り方に少し釈然としない思いをしながらも、赤信号の前に綾は緩やかにポンピングブレーキをかける。と、信号が変わって再び発進を始めると、唐突に淳平が叫びだした。
「………!東城!左ちょっと停めて!!」
「え?!え?え?」
 発進と同時、それも交差点に入った瞬間にこう言われるのは運転する側としては少し困る。言われるがままに綾は交差点を越えると邪魔にならないように歩道に乗り上げて車を停めた。
 何事と聞く間もなく、淳平が勝手にドアを開けて外へ出た。意味も分からないまま綾も後方の車両に気を付けながらドアを開けると歩道に回った。
「どうしたの?真中くん。」
「ほら、あれ見ろよ!東城!」
 淳平の指差した方向には、夕陽の光を受けたのか見事な虹が架かっていた。
「珍しいな、こんな時期に。さっきの雨の影響か。」
「ふぁ〜……凄く綺麗……。」
 虹に見惚れる綾の表情は感動の余りの茫然と、本人も気付いていないかもしれない微笑みがあった。淳平は瞳を輝かせる彼女の表情を見た後、虹に視線を戻して語る。
「虹ってさぁ…なんか見つけるだけで嬉しくなって不思議と気分がワクワクしないか?何だか希望の象徴みたいに俺には思えるんだ。」
「……………虹……。」
 ボソリとそう呟くだけで返事をしない綾に淳平が問いかけた。
「……東城?」
「…え?あ、うん。そうだね…。」
「…あ、その反応は、何かいいネタでも思いついたんじゃないのか?」
「うふふ、内緒。」
「あーっ何だよ勿体ぶってー。」


思えばこの時既に、彼女の頭の中ではあの“虹”のストーリーが描かれていたのかもしれません。
未来という名の七色のメッセージ、“虹”――
けれども、それが「彼女」から「彼ら」に、そして「私達」の夢見た“虹”になるのは、まだ遙か彼方の未来…。


 泉坂駅に到着すると、意外に名残惜しむでもなく二人は二言三言挨拶するだけで別れた。それはきっと二人が“その時(みらいで)”の再会を心に誓ったからだろうか。
「サンキュー。」
「今日はありがとうね。」
「いんや、俺もいい目標ができたさ。じゃあ、またな!絶対再会()おうぜ!」
「うん!またね!」
 2010年2月18日、二人が出会って8年目の冬の出来事だった。



←■SCENE-13:『終わらない放課後』 ■SCENE-15:『疑惑の浮遊』