Top > Writing > 「夢の続き 明日の風」




■SCENE-18:『OVER DRIVE』


 2010年5月2日、泉坂ホール――
 快晴の中、北大路さつきが階段を上がると、ホール前の広場には既に多くの人がごった返していた。
「おっす、美鈴ー!美鈴〜?」
 人混みの外れで、いつもの澄まし顔でMP3プレイヤーで音楽を聴いている美鈴の姿があった。しかし、呼びかけてみるも音楽に気を取られているのか、こちらに気付かない。
 そうか、とばかりにさつきの顔がニヤリと“悪い顔”に豹変すると、彼女は美鈴に気付かれぬ様後ろからそーっとそーっと忍び寄る。
「オッスー!!元気してたぁッ?!」
「……ッ!?」
 背後から両肩を叩かれて左方から何者かの顔がニョキっと出てきた。美鈴が抱いた感情は驚き以外の何物でもない。一瞬たじろぐ美鈴だが、相手が相手だけにすぐにいつものクールな彼女に戻る。
「……なんだ、センパイか。脅かさないで下さいよ。」
「第一声がそれか!」
 イヤホンを外して諌める美鈴にさつきのツッコミが早速浴びせられた。
「あと、声がデカイっす。」
「あのねぇ…、アタシはちゃあ〜んと呼びかけたわよ!それに反応しなかったのは誰?」
 “デカイ声”が収まる事はなく指を差しながら怒るさつきに、若干狐につままれた様な表情で両手に持っていたイヤホンを見直すと、美鈴は深々と頭を垂れる。
「……失敬しました。」
「ウムウム。よろしい。」
 腕組みをしながらさつきもその謝罪を受け取った。
「直で来たんですか?」
「ううん、昨日の内に一旦実家帰ってきたわよ。」
「今年は連休がいい感じに続いてよかったですよね。」
「まぁアタシは明日には帰らなきゃいけないんだけど。でも土曜と重なってたりしたら帰れなかったかもしれないわね。休み貰えたのも突然だったし。」
「アタシも今日は仕事の一環ではあるんですけどね。」
「ああ、そういえばアンタさー、上京してたんだっけ?」
「ええ、4月から。こーゆー仕事してるとどうしてもこっちで仕事増えるもんで。まだ段ボールとか片付いてないんですよ〜。」
「ウッチーもだっけ?」
「ええ。本人は関西に居たかったみたいなんですけど、出版社は東京ですし、〆切りの為に新幹線で運ぶのも嫌になったみたいで。」
「…そりゃ自分が悪いんじゃん。他に東城さんが来るんだっけ?」
「ええ、なんかミナミトさんって方も一緒だと聞いてますけど。」
「南戸?ああ、それ真中の幼馴染よ。南戸唯ちゃんって言うの。…ってアレ?アンタ会った事なかったっけ?」
「無いですよ。」
「名前も聞いた事ないっけ?唯ちゃん。」
「えーっ…??ミナミト…?ユイ…?ユイ………!あっ!そういえばあたしが1年の時の合宿の帰りに…

「今さらだけどさあ、俺としては、唯ちゃん連れてきて欲しかったなぁー。」
「誰、その名前!知らない。」
「あーどうせムリムリ。アイツ今実家に帰ってっから。」

…って会話を兄貴と真中先輩がしてた事があったよーな。」
「あー…あたしゃよく覚えてないなぁ。寝てたかな?帰りって。ん〜でも2年の合宿かぁ、懐かしいわね。でも実際見たことないんでしょ?見たら驚くわよー。」
「何でですか?」
「まぁそれは見てのお楽しみ、って事で。」
 質問をする美鈴にさつきは「フフン」と勿体ぶって言った。さつきの言う「驚く事」とは唯の外見と実年齢のギャップの大きさの事だろう。
(つってもアタシも長い事会ってないからなー。もしかしたら成長期迎えて変わってるかも?もしかしたらものすんごくナイスバディになってたりして…?)

「すごい!唯ダイナマイトボディ!!唯ってこんなポテンシャル秘めた女の子だったのね♡」

「?どうしたんですか?センパイ。」
 一人考え事をし始めたかと思ったら顔を歪めるさつきに美鈴が尋ねる。
「…想像したら気味悪くなった。」
「は?」
「いや、なんでもない。」
「なんでもないなら変な顔しないで下さいよ。それはともかく、それにしてもその二人はまだなんですかね?」
「さぁ…?待ち合わせは割と早く設定したんでしょ?多少遅れたって構わないっちゃ構わないけど…。」
「でもこの混雑ですからね。見失っているかも。やっぱり男の人が多いな〜。」
「まー端本もトップアイドルだからねー。スゴいわよね〜このCD不況の時代にデビューシングルはハーフミリオン、アルバムもミリオンいったんでしょ?」
 さつきの言う通り、ちなみの歌手活動はヒロシらの想像以上の結果をもたらしていた。今回のライブツアーも予想外の売行きのため、初日の凱旋ライブとしてこの日に取った泉坂ホールなどでは全くキャパシティが足りなかった。美鈴らは勿論関係者扱いでチケットを頂いている訳だが、一般には相当のプラチナチケットとなっていた。
「でも、端本の事だし、何も変わってないですよ、多分。それにアイツは富と名声の為なら全力出すから売れるのもある意味不思議じゃないかと。」
 ちなみの話になると「興味ない」と言わんばかりに淡々とクールに語る美鈴。
「富と名声…合ってるっちゃ合ってるわね。でも、ま!そーは言いつつ、同級生のアンタが一番嬉しいくせに!」
 からかうように語るさつきに美鈴がすかさず反応した。
「バカ言わないでくださいよ!」
 反応と呼ぶより反射と呼んだ方が良かったかもしれない。また、それは図星である事をも証明していた。
「もー素直じゃないわねー。」
 苦笑するさつきに美鈴は話題を戻そうとした。
「それより東城先輩は…、」
 と、そこで遠目から呼びかける声がした。
「お〜い、さつきちゃぁ〜ん!!」
「おりょ?」
「ん?」
 元気よく駆け足でやってきたのは唯だった。
「お〜、唯ちゃんおひさ!」
「おひさ〜さつきちゃん。」
 唯を見ると、さつきは「うーむ」と顎に手を当てて窺う様に見つめると、からかいながらこう言った。
「ほほ〜、最後に会った時とほとんど変わらないわね。つるぺたつるぺた。」
「ムカッ。そーゆーさつきちゃんはそろそろ本気で胸垂れてきてるんじゃないのぉ〜?」
 数年ぶりの再会だと言うのに二人はいきなりケンカをし始めた。尤も当の二人としてはじゃれ合いに近いものがある。
「相変わらず失礼ね〜!」
「先に人をつるぺた呼ばわりしたのは誰!?」
「何ィ?!」
「あによ!?」
 そこで美鈴がギンギンと一触即発の空気と感じ取り、仲裁に入ろうとした。
「ちょ、ちょっとセンパイ!大人げないですよ!相手はまだ未成年じゃないですか!このコだってまだまだ成長するかもしれないし、ねぇ?」
 美鈴は唯の頭に手を乗せながら彼女を庇う。しかしそれは不必要な行動かつ、ある意味唯にとってはさつき以上に傷付きかねない行動だった。さつきもさつきで黙り込んでしまった。
「……………。」
「…………………………さつきちゃあ〜ん。」
「何?」
「………この人、さつきちゃんの知り合い?…なんかさつきちゃんより失礼なんだけど…。」
「う〜〜〜ん、悪気は無いと思うんだけどネ。」
「は?!」
 庇っている筈の彼女から出た言葉は、美鈴からすれば予想外のものであった事は言うまでもない。そして彼女は混乱し始める。
「え?え?…あの、もしかしてあたし何か間違ってるんでショーカ?」
 美鈴は心配していた「一触即発の空気」もどうやら違う模様とようやく理解し始めたが、未だ彼女一人だけが事態を飲み込めていない。そんな美鈴にさつきがようやくネタバレを始めた。
「そのコがさっきアンタが言ってた『南戸さん』よ。」
「え?そーなんですか?」
「アンタと同学年(おない)よ。」
「……………………………………………………えええええッ!??」


「す、すみません〜〜〜〜まさか同じ学年とは!てっきり中学生くらいかと…。」
「(中学…)いいよいいよ、慣れてるから。それにあたし3月31日生まれだから。あと1日遅かったら学年いっこ下だったし。」
「あ、それ違いますよ。4月1日までは早生まれだから、あと2日遅かったら、ですね。」
「え?そーなの?ま、細かい事はいーじゃん。えっ…と、外村さんは何月何日生まれー?」
 話題を広げようとすると同時に「さつきちゃんの後輩」に興味が沸いた唯が尋ねる。
「あ、あたしは今月の25日なんだけど。」
「おー、もうすぐなんだー!」
「あーそういやアンタ()だっけ。」
「でも、それじゃほとんど唯とは1年離れてるようなモンだね。10ヶ月だし。ちょっと早いけどおめでと〜!ホラさつきちゃんも!」
「ん?うん、おめでとうね。」
「あ、ありがとーございます。な、何かハズかしーなーもー。」
「ねぇねぇ、そーいやさつきちゃんって誕生日いつだっけ?」
 カキン!
 唯の何気ない質問で一瞬さつきの表情が固まった。
「………………明日なんだケド。」
「え?」
「あ…(そーいやそーだった)。」
 微妙な沈黙の後、唯とさつきが顔を見合わせたかと思ったら息を合わせたように深々とお辞儀しながら言った。
『オメデトーゴザイマス。』
「何よそのよそよそしい祝い方!」
「いや、だって間が悪いよねぇ〜、せっかく外村さんの誕生日祝ってたのに、さつきちゃんのが近いから感動薄れちゃったみたいで。」
「あーもー悪かったわね!明日で24で!」
「まぁ怖い…!そんな怒鳴らなくても、ねぇ?さつきちゃんって全然年上とか先輩って感じないよねぇ?」
 ズカズカと恐れ知らずの発言をする唯だが、美鈴もすかさずコクコクと大きく頷きながら言った。
「うんうん!それは鋭いですよ、南戸さん!何て言うか、威厳がない!」
 この日初めて会った二人は強く意気投合したようだ。
 だが、そのきっかけはズイブンな話題。ケチョンケチョンに言われ放題のさつきがついに大きく威圧した。
「アンタ達ィ〜、そんなに言うなら先輩らしくタテ割にコブシで教育してやろうかぁ〜?」
 本気だ。二人は流石に危機を感じざるを得なかった。
『す、すみませんでした。』

 三人落ち着きを取戻したところでさつきが改めて質問した。
「冗談はさておいてさぁ、唯ちゃん、東城さんと一緒に来たんじゃないの?」
「んーん。現地集合って事だったから。だから唯チケット持ってないから、東城さんに会えないと中入れないんだけど…まだ来てないの?」
「そうなのよ。」
「……ひょっとして道に迷ってるとか?」
「まさかぁ、いくら何でも市内で迷うって事は…。」
「いや美鈴、あのコのドジをナメちゃいけないわよ。」
 そこで一瞬会話が途切れた為、実際の本人達には分からないが、三人とも同様の見解を思い浮かべていた。
(ありうるかも……。)
「まぁとりあえず電話してみ…、」
 さつきが切り出した所でやや離れた所から男性客らの会話が聞こえてきた。

「オイ、向こうにいるのって、もしかして小説家の東城綾じゃね?」
「あ、ここの出身だったっけ。ちょっと行ってみようぜ。」

 取り出した携帯電話を折り畳み、さつきが尋ねた。
「聞こえた?美鈴。」
「ええ。」
 ここで、唯が言葉を発すると立て続けに分け台詞の様に美鈴、さつきも言葉を重ねた。
「………何か、」
「イヤな予感が…。」
「あっちって言ってたわね。……行くわよ!」
『合点!』
 さつきの合図と共に唯、美鈴も男性客らが語っていた方向へ駆け寄ってみる。だが、そこで彼女らが見たものは…。
『!!?』


 さて、ここで説明してみよう。
 そもそも、何故に綾、さつき、唯、美鈴、といった4人がちなみのライブに招待されたのか。
 まず、話はおよそ2ヶ月前に遡る。


「もしもし〜?美鈴ちゃあ〜ん?」
 端本ちなみは3月一杯、並の人間にはとてもこなせないような仕事量だった。つい先日終えたアルバムの告知イベント群がようやく終了したものの、4月から始まる声優としての仕事、5月からのライブツアーの練習も始まっていた。
 そんな中、何度と美鈴に電話していたのだが、そのライブの稽古中のスタジオでなんとか捕まったのがこの時だった。時間は夜。
「……あによ?何回も電話して。」
 一方の美鈴は引越しの準備作業に追われている京都の下宿だった。
「実は〜美鈴ちゃんにちょ〜っとイイ話があるんだケドぉ〜。」
「アンタのイイ話ってのは信用できないのよ。」
「あ、ひっど〜い!せぇっかくお仕事頼もうカナーって思ったのにィ。」
「何よ仕事って。」
「ンフフー♡もーちろん、ライターのお仕事に決まってるじゃなぁい。ちなみのライブに参加してぇー、記事とか書いて欲しーの。」
「ふ、ふーん…。」
 平静を装いつつも、美鈴は内心「悪くない話かも」と思っていた。それを見抜くかの様にちなみが追い打ちをかける。
「ね?けっこーイイ話でしょ?」
「な、何言ってんのよ!アンタの世話になんかならないわよ!バッカじゃない!」
「え〜〜〜?でも、よぉ〜く考えてごらん?ちなみぃ〜、オリコン1位で、今回のアルバムもミリオン行きそうな人気急上昇中の歌手なワケだよ?美鈴ちゃんにもイイ話だと思うんだけどなぁ〜?」
(くっ……!)
 “自分で人気急上昇中などと言うな”と思いっきりツッコミもうと思いつつも、冷静に考えると納得せざるを得ない、むしろ 駆け出しの物書きである美鈴にとって、経験も浅い中で仮にも大ブレイク中の歌手活動のレポートなんて願ってもいないチャンス。最高のコネを生かした良仕事。ただ一つ、相手がちなみだと言う事さえ除けば。
「………ダメなの?美鈴ちゃんだからお願いしてるんだよ?」
 少し寂しげに語るちなみに、(くそう…!)と美鈴は何処か敗北感に似た感情を抱える。高校3年もこうやって度々振り回されていた、その記憶が蘇る。
「…わ、分かったわよ。いい?あ、あたしの仕事の為にやるんだから。仕事よ?ギブ&テイクよ。別にアンタの為にやるんじゃないんだから、勘違いしない事よ!…ま、まぁありがとうとは言っておくわ。」
「…ちぇー、美鈴ちゃんってホントちなみにはツンデレだよねー。でも、そこが萌え!」
「バカ言ってんじゃないわよ!!詳細早めに送りなさいよ!」
 屈辱。
 そう言って思わず電話を切る。美鈴はからかわれる事はとにかく苦手だ。
 また、高校3年次の記憶から、ただならぬ嫌な予感を感じていた。
(ゼッタイ、アイツなんか企んでる……。)
 一方、ちなみの居るスタジオでは、電話を終えたちなみを遠目に力也とヒロシが語っていた。
「ちなみちゃん、ニヤニヤしてどうしたんだろ?」
「なんか悪い顔してるな。」
「…いや、あれは恋をしてる顔だ。ハッ!もしかして俺の事好きになってくれたんじゃねーか…?!」
「んなワケねーだろ。あっ!と…。」
「どうした外村よ。」
「いや、ちょっと東城に連絡しとかなきゃなんなくてな。メールでいっか。」


 さらに2週間後の綾の家では――
「はい、もしもし。」
「あ、もしもし唯ちゃん?」
「はい。わー!お久しぶりです!…ってどうしたんですか?」
「実はね、ライブのチケットが2枚あるから唯ちゃん来ないかな〜?って思って。」
「…ライブ?ライブって音楽ですか?ドラムとかギターとかの?」
「うん、そーみたいだけど。」
「へぇ…。」
「どうしたの?」
「あ、ごめんなさい。正直意外だな〜って。東城さんそーゆーの疎そうなイメージあって。」
「確かにあたしも親に連れられたクラシックのオーケストラとかしか記憶がないし、初めてだよ?後輩のコがね、歌手活動やってるの。」
「あー、なるほど。」
「“端本ちなみ”さんって知らない?」
「んー名前だけは。」
 ここで綾はたった一度だけ経験したアルバイトの光景を思い出した。

「これでお正月、故郷に帰れます!」
「なによ〜っ、かわいさならちなみのが上なのにぃ〜!!」
「セクシーさならあたしが上よ!!まっまっ負けるもんか〜っ!!!」
「み…みんなすごい…。」

「…って、唯ちゃんも一回会ってるよ?」
「んー、きれーさっぱり記憶にナイです。」
 申し訳なさげに唯が電話口から語りかける。
「ん〜…まぁ、そのコのライブがね、今度のゴールデンウィークのね、5月2日に泉坂(こっち)でやるんだけど。」
「あ!それなら何とか空いてるはずですー!」
「あら、そう?じゃあもし良かったらどう?チケットも勿体無いし一人のままだと慣れなくて一緒に行く人探してたの。」
「ハイ。こっち帰ってきてお会い出来てませんし、丁度いいですね。出国前のいいお土産にしまっす。」
「…また海外出ちゃうの?」
「ええ。」
「あんまり無理しないでね。」
「あ、お気遣いありがとうございます。」
「じゃ、またチケット届いたら詳しい事連絡するね。」
「はい、お疲れ様でーす。」


 さらにさらに2週間後――
「ただいま〜!ただいま〜!って…あ。」
 無事引越しも終えた上京先へ、帰宅した美鈴が家の中の無反応の理由に気付く。
「……………。」
(そっか。〆切りだったんだっけ。丸一日は生ける屍かね。)
 バッグをテーブルに置きながら、美鈴はポストから取り出した郵便物を確認する。
「ん〜と…これは内場宛で、これが…、ん?バカ兄貴(アニキ)の会社?」
 新しい住所と、古い住所から転居されたものと織り交ぜられた郵便物の中に、“外村プロダクション”の文字の封筒が目に入った。中を開けてみると、兄ことヒロシらの手紙とちなみの関係者用ライブチケット2枚が入っていた。
「ああ…端本のライブか。2枚…ねぇ!ねぇ!」
「んあ〜〜〜〜〜?寝かせてぇやもぅ……。」
 美鈴は同棲中の恋人こと内場に声をかけるが、反応が極めて鈍い。
「ちょっとだけだから。」
「せやから何やねんなもう〜。」
「今度のゴールデンウィーク、5月2日なんだけど、予定空いてる?」
「知ら〜〜〜〜〜ん。」
 “あたしは布団と会話しているのか?”とイラついた美鈴は思わずケリを入れながら再び質問する。
「ちゃんと答えなさい!」
「イテっ!んもぉ〜〜〜5月2日ぁ〜?」
「そ。」
 布団から上体を起こし、ボサボサの寝癖にかなりヒドい起き抜けの顔の内場が答える。
「う〜ん、わからへんケド、結局また〆切りに追われてる気ィするし、アテにせん方がええんちゃう?」
「あっそ(そりゃそーだけどやる気ないなぁー)。」
 ようやく若干目が覚めてきた内場は、脇に置いていた眼鏡をかけて聞き返す。
「何があんのん?」
「端本ちなみのライブ。」
「ああ、高校の同級生の。」
「そ。」
「確か校内でウワサになるくらい、仲良かったんやったっけ?」
「アホか!あたしはむしろ呆れてるのに、端本の方がいっつも寄って来て色々巻き込んでくんのよ!」
「ふ〜ん。でも楽しそうやん。俺には遠慮せんでええって。行っておいでぇや。」
「う〜ん、でもこのチケットの余りどうしたらいいかなぁ…?」
「北大路先輩とかに聞いてみたら?」
「“聞いてみたら?”って先輩はもう向こうだし。それに行くつもりだったら多分センパイんトコにもアニキからチケ送られてると思うしな〜。ま、一応聞いてみるけど。」
「うん、そーしときー。僕ぁ寝る。オヤスミー… … …。」
「………。」
 内場は布団がまるで棺桶であるかと思う程、再び深い眠りへと落ちた。もういいや、と半ば呆れながらも余ったチケットをどうしようかと美鈴が早速さつきに電話し始める。
「うーん、繋がらないなぁ…。」
 ここでふと、美鈴は思った。
(東城先輩はどうだろ…?っていうかむしろ地元居るんだし東城先輩の方が行けそうだよね。でも、〆切りあるのは東城先輩も同じだし、そもそもライブとか行かないかなぁ?性格的には北大路先輩で…距離的には東城先輩…、うーん。)
 考えつつも美鈴の手は綾へと電話をかける動作に入っていた。
「…はい、どしたの?美鈴ちゃん。」
「あ、繋がった。あ、もしもし東城先輩?実は端本のヤツがライブやるって言うんでチケットが2枚あるんですけど、先輩良かったら来ません?」
「…え?」
「……あれ?」
「美鈴ちゃん、ごめん、あたしも2枚持ってて行くつもりなんだけど…。」
「ゑ?」


 と、この様な事があって、あとは、余った美鈴のチケットを後日予定の空いた事が確認できたさつきで使う事になり、綾、さつき、唯、美鈴が集まった、という訳である。
 さて、東城綾の目撃情報(?)を聞いて移動していたさつき、唯、美鈴だが、人をかき分け、その声を追った先に彼女らの瞳に飛び込んできたものは、想像以上の仰天な光景だった。
「………!!?」
「な……、」
『なんじゃこりゃ〜〜〜〜!!!??』
 幅広い階段を昇った先の、よりホールの入り口に近い広場は、何故か泉坂高校のジャージ姿の綾と、彼女を取り囲む多くの男性で賑わっていた。
 その光景を見たさつき、唯、美鈴は、三者共通して、まさに「開いた口が塞がらない」と形容するに相応しかった。
「な、なんなのよ、このじょーきょーわ…。」
「…東城さん、何やってんのかな?…アレ。」
「何か順番にペンで書いて…サイン会?と、とりあえず行きましょっ!」
 ようやく美鈴が落ち着きを取戻し、その珍妙な集団に向かうよう呼びかける。
「いや〜こんな所で有名作家さんに会えるなんて光栄だなぁ。」
「有名だなんてそんな…はい、どうぞ。」
「っていうか、数年前にも見たけど、本当美人だよね〜。」
「あ、ありがとうございます、はい。」
 親身に応じている綾に、美鈴が声をかけた。
「先輩〜〜!」
「ああ、美鈴ちゃん、どうしたの?」
 手を一旦止めながら横を振り向いて綾が応えると、すかさずさつきが一際声と顔を大きくして叫んだ。
「“どうしたの?”じゃないわよッ!!!!」
「ヒッ…!」
 その迫力に思わず綾がたじろじ、その場に居た周りのギャラリーも「なんだなんだ?」とざわめいている。
「こっちは待ってるんだから、着いてるならちゃんと連絡しなさいよね!」
「あ…、ごめんなさい。」
 綾はサインに応じるのに夢中で忘れていたのだ。
「それに何よ、このギャラリーは…!」
「あの…ここで待ってたら、あたしの事知ってる人がいて、気付いたらこんなに…。」
「なんでそれにバカ正直に応えてるのよ!」
「で、でも読者の人は大事にしないと…。」
 と、そこへ落ち着きを取戻し始めたギャラリーが各々好きな様に再び騒ぎ始めた。
「なぁ…このコ達、東城綾の知り合いかな?」
「すっげ…このポニテのコ、めっちゃ色っぽくね?」
「俺は脇にいるヘアピンのコの方が…。」
「いやいや、あの中学生みたいなコも…。」
「やっぱ“類は友を呼ぶ”って本当だな。」
「ちょ、ちょっとお近づきになりたいなぁ…。」
 その中の数人が遠慮しがちになりながらもにじり寄って来た。
「あ、あの…東城先生のお友達の方ですか?」
「お友達の方も美人ですねー。」
「……あ"?」
 状況によってはそういった言葉にニンマリしてしまうさつきも、強烈に睨み返して威圧する。
「あ、いや…そんな怖いカオしないでくだ…、」
「うっさい!邪魔だアンタら、とっとと散れ〜〜〜ッ!!」
「うひーっ!ごめんなさい〜〜〜!!」
 強引に捻じ伏せるさつきに恐れをなして、並んでいた男達は距離を置いた。
「東城さぁん?あの男共が本当に読者なのかしらぁ〜?」
 さつきの迫力あるオーラは止まらない。
「どー見てもあんな色ボケ野郎共、アンタ自身が目当てでしょ!大体ちなみ(アイドル)のライブに来てるような連中よ?!」
 そのさつきの見解には若干偏見も入ってはいるが、概ね間違ってはいない。
「相手にしなくていいっての!」
「ご、ごめんなさ〜〜い……。」
 綾は迫力に圧されて何も言えなかった。
 と、ここへ来て再び人が集まり始めた。元々居た連中に、騒ぎに惹かれて新たにやってきた野次馬が加わり、新たに東城綾を特定する者や、さらには周りのさつきらに色めき始める者も。
 それに気がついてさつきは若干冷静を取戻し、右手を腰に当て、左手で指を指しながら言った。
「んもう!東城さんとここに居たら目立っちゃう。一旦中に入ろう!」
(いや、半分はアンタの声がやかましいからだろ…。)
 美鈴が心の中でツッコミを入れた。
「じゃあ早く行きましょう〜。」
 流れを見守っていた唯が呼びかけると、綾が切り出した。
「あ、待って。」
「あによ?」
「最後の人の、サインしたノートをまだ返してないか…、」
「あーもー!放っときゃいいっつってんのに!この天然ッコは…!お人よしにも程があるっての!」
「待ってぇ〜!」
 後ろ髪引かれる申し訳なさで一杯の綾をズルズルと引っ張るさつきに、唯と美鈴が「どうも〜」「すみませんね〜」といったメッセージを放ちつつ、周りに会釈しながらついてゆく。

 4人はホール施設内の化粧室に入った。
「あーっうっとうしいったらありゃしないわね。」
「唯も声かけられたよー。」
「このままじゃ出てもまた面倒になるだけね。かといってここに居るのもねぇ…。」
「ごめんなさい、あたしのせいで。」
 申し訳なさそうに語る綾に、美鈴がフォローする。
「別に先輩が悪い訳じゃないですよ。」
「でも実際この中で一番有名人で目立っちゃうのは事実だからねぇ。」
「うーん、せめて東城さんって判らなければなぁ…。」
 何気なく発した唯のその一言に、さつきが閃いた。
「…!東城さんさぁ、眼鏡って持ってきてるよね?」
「?うん。コンタクトずっと着けてる訳にもいかないし、外さなきゃいけなかったら困るし。」
「フム…。美鈴、ちょっと。」
「え?」
 さつきが美鈴を招きながら一旦距離を置いて、密談を始めた。
「ここは、アレ(●●)しかないでしょ?」
「アレって何ですか?」
「ホラ、アンタも一回見た事位あるでしょ?」
「……?……!あ!もしかして…!はいはいはいはい。部員で中学のアルバム持ち寄ったりしましたけど、あたし実際には見た事ないんですよね……。」
「フフフ…これしかないわね。もしヘアピン持ってなかったらアンタの貸してあげな。」
「ええ…ウフフ。」
 密談は邪悪な色に染まりながら、得たいの知れない雰囲気を帯びてくる。
「あの…何か?」
 恐る恐る綾が語りかけると、鈍く鋭い眼光を灯して妖しい笑みを浮かべながら、さつきと美鈴が振り返る。
「……!」
 ビクッ!と思わず綾は笑顔が硬直する。恐怖だ。
 しかし、構わず二人はじりじりと彼女ににじり寄る。
「フフフ…、東城さぁん、ちょっとこっちにいらっしゃ〜い?」
「先輩〜、ちょっとすみません…。」
「???」
 そして、一気に二人が襲いかかる!さつきは綾を羽交い絞めにし、美鈴は綾の持っていたバッグから眼鏡を取り出す。
「あっ、あっ…えっ?え?」
「センパイ、ありました!眼鏡!」
「よしっ!じゃあ魅惑の変身といきましょうかぁ?」
「ひっ!な、何を…?」
 さつきは綾の体の後ろから頬に手を当て、妖しく笑う。
「よーし美鈴!やるわよ!」
「合点!」
「あ、やめっ…ひゃあっ!…いやっ……んっ……あんっ……。」
「………。」
 唯はただ茫然とその一部始終を眺めていた。

 およそ10分後、時刻は開場時間に迫り、イベントスタッフの手によってホールの中で観客が整列され始めていた。
「あれ?あのコ達さっきの…?」
「東城綾のツレ?」
「だよな?あれ?その東城綾は?」
「いないな。…ん?あんな眼鏡に三つ編みの女なんていたっけ?」
「いなかったな。後で来たんじゃねーの?…にしても時代錯誤に古いカッコだな…。戦前の女学生みてー…。」
「でも、下履いてるジャージ、東城綾のと同じだよな?」
「偶然だろ。東城綾はここの地元だし、地元のコが端本ちなみの凱旋ライブで学校指定のジャージ着て寄ってきたって所だろう。」
「いいよなぁ気軽で。俺なんか九州から来てんのになー。」
「でもジャージはちょっと…なぁ。」
「動きやすい格好にしよーとしたんじゃね?」
「いやいや、だからってジャージはズレてるだろ。まぁ東城綾ならカモフラージュって事で納得できるけど…つっても俺らは気付いたが、あのメガネブスじゃ本気でそうかもしれねーな。」
「ハハハッ!」
「それよりもーすぐだな。」
「ああ、ちなみんの初ライブチケ取る為にどれだけ苦労したか…。」
 一般客を素通りして関係者専用入口へと向かうのは、さつきと美鈴、唯、それに三つ編みのお下げで左右に髪をくくり、大縁の眼鏡をかけた、まるで目立たない地味な女性が混じっている。
「はっはっは、これで大分回りやすくなったわね。」
「それにしてもそこでヒソヒソ話してた連中、あんだけチヤホヤしてて…これだから男って生き物は…。」
「わー本当に別人だなぁ東城さん。」
「そ、そうかな?」
 三つ編みのお下げで左右に髪をくくり、大縁の眼鏡をかけた、まるで目立たない地味な女性とは、何を隠そう東城綾だった。
「まぁまぁいーじゃん。動きやすくなったんだし。」
「気にする事ないですよ、先輩。」
「う、うん……。」
 とはいえ、綾の心中は「釈然としない」で100%満たされていた。
(複雑……。)
「ところで、なんで高校のジャージだったんですか?」
「え?どんな格好がいい?って外村君に聞いたら“動きやすい格好がいいかな”って。」
(図星かい……!)
 綾以外の3人が先ほどの野次馬の評が当たっている事に苦笑していた。

 イベントスタッフの準備が整い、関係者扱いの4人は一人一人、氏名を確認されながら、入場していく。尚、スタッフが東城綾の名と姿を 二度ほど確認して驚いたのは言うまでもないだろう。
 と、4人そろって入場手続きを終え、会場の奥へ進もうとした時、スタッフの一人が呼び止めた。
「あ、ちょっとお待ち下さい!」
「ん?」
 そう言うさつきを始め、一斉に4人が振り返ると、スタッフが美鈴の元へ駆け寄った。
「外村美鈴さん、ですね?」
「はい、そうですが。」
「失礼しました。チケットはこちらになります。」
「はぁ。」
 そう言うと、つい先ほど渡したチケットと交換した。それを終えると4人は再び奥へ進んでいく。
「何だったの?」
 さつきが窺う。
「さぁ…何でしょう?」
「アレじゃないの?隣が別の人のとズレてて間違えたとか。あ、ホラ!さつきちゃんと東城さんは真ん中で、唯と外村さんは両端みたいだし。」
「ま、そんなトコか。…あれ?この数字何?席番号…じゃないわよね。別にあるし。」
 確かにさつきの言う通り、チケットをよく見ると席番号とは別に妙な数字が割り当てられていた。
(……何か、イヤな予感が…。)
 美鈴だけが、ただならぬ悪寒を感じていた。

「って、アレ?東城さんは?」
 ふと、綾が離れていた事に唯が気付く。
「ねぇ、みんな〜。」
 しかし、程なくして綾が大きな紙袋を持って戻ってきた。
「あら、何ソレ?」
「ふぅ〜、向こうでね、端本さんのグッズが売っていたの。」
 こういったライブ会場ではパンフレットやタオル、バッグ、携帯ストラップなどのグッズが売りに出されているのが常識である。
「なかなか全部受取るのは大変だったなぁー。」
「ぜ、全部ゥ…!?」
 思わずさつきが仰天して声をあげる。他の二人も同様に目を丸くしている。
「うん。だって買ってあげた方がいいでしょ?パンフレットが1万円で、ストラップが4千円で。」
 その価格を聞いてヒソヒソ声でさつきと美鈴が話す。
(パ、パンフが1万にストラップが4千…?!)
(セ、センパイ、明らかにボってますよね?)
(でも、あの強欲八重歯の事だし…。)
(…ありうりますね。はぁ〜…。)
 そして恐る恐るさつきが尋ねた。
「い、一体全部でいくらかかったの?」
「え?全部って言っても2分くらいでそろえてもらったけど…。」
 お約束の綾の天然ボケが出る。
「時間じゃないわよ!お金!」
「んーと…10万円程度かな?」
 何事も無いかの様に綾は答える。
『ジュ、ジュウマン……。』
 3人は一様に言葉を失った。
(ええい、このブルジョワめ…!)
(元々お嬢様だとも聞いてるけど、さすがわ直林賞作家…。)
(売る方も売る方ですけど、買う方も買う方ですよね、センパイ…。フツーは全部は買いませんよ……。)
 ちなみに、最後の美鈴の私見とは裏腹に、この平均相場の約3倍のグッズ価格にも関わらず、(主に男性ファンを中心に)「ちなみんの為なら…!」と、大変好調な売れ行きだったと言う。
 後にその事を知った美鈴の感想はこうだ。
(嗚呼、また犠牲者が……。)

「おお〜イイ感じね〜。」
 4人の席は観客席のおよそ中央20列目、1階席の若干後方、会場全体を見渡せる位置に座っていた。彼女らの先に入った、あるいは後にもやってきた幾人かの関係者と思しき人物もちらほらと居る。ちなみに、泉坂ホールのキャパシティは1000名ほどである。
「一番前って訳じゃないんだね。」
 唯がふとした疑問を口にすると、美鈴が答える。
「一番前はやっぱりファンの人ですね。関係者席は、ホラ、このすぐ後ろにも音響・舞台装置とかを操作するブースがあるけど、それの近くとか、2階席って事も割りとありますよ。一番前も無いって事は無いでしょうけど。」
「あり?外村さん、詳しいね。ただ見に来ただけじゃなかったの?」
 唯のこの疑問は代わりにさつきが答えた。
「美鈴は仕事も兼ねてるわよ。今日のライブのレポを執筆するんだって。」
「へぇ〜。」
「………。」
 丁度この時一人パンフレットを眺めていた綾は少し上を見上げて考えていた。
(あたしも、一応仕事…になるのかなぁ……?)
「あ、一般のお客さんも入ってきたね。」
「あらホント。もう開場時間か。」
 唯とさつきが気が付くと、一般の観客がぞろぞろと入場していき、あっという間に会場は人で埋め尽くされていく。
「わぁ〜…一気に賑やかに…。」
「あの…ごめんなさい。」
 綾が謝りながら唯の前を通ろうとする。唯も一度立って道を作る。
「お手洗い?」
「うん、混みそうだから。」
「もー、さっき行っておきなさいよ。」
 会場を縦に貫く2つの通路の内右側から、後ろの扉から出る綾。
 ほんの少しかけ足で向かうと、突然ゴンッ!という鈍い衝撃が……!
「きゃっ…!」
「ぴゃわああっ!」
 綾は左側から同じく出てきた女性と、出会い頭に衝突していたのだ。
「いたた…。」
「あいたぁ…。」
 我に返ったのは、その女性も綾もほぼ同時で、ほぼ同時に第一声が出た。
『す、すみません…!あたし、』
「ドジで…!」
「おっちょこちょいで…!」
『え……??』
 同時に同じ様に謝ったかと思えば同時に同じ様に顔を上げる綾と女性。その顔に綾は驚いた。
「あなたは……!」
「……もしかして、東城さん…?」



←■SCENE-17:『Sheltering Sea』 ■SCENE-19:『OVER DRIVE-live ver.-』→