Top > Writing > 「夢の続き 明日の風」




■SCENE-19:『OVER DRIVE-live ver.-』


「向井…さん……?」
「やっぱり!東城さんだ!」
 相手の女性は互いに取っている前かがみの姿勢のまま、グッと綾の両手に手を寄せて興奮気味に言った。
「こんな所で再会できるなんて!あの…元気して…た……?小説、今もずっと読んでるんだよ。彼もファンだし…それで、えっと……。」
 その女性は綾が学習塾で知り合った友人であり、彼女の小説に心を打たれたファンの一人でもある向井こずえだった。
 大学進学を推薦で決めた綾は、当然と言えば当然だがその時点でパッタリと塾を辞めている。その為、彼女が綾と会うのは約5年ぶりになるだろうか。
 その間の彼女の目覚しい活躍ぶりも、それをこずえが知っている事も、今更記すまでもないだろう。
 ただ、その空白の期間が、突然の再会に興奮こそはしているものの、友人として接していいものか、ファンとして接するべきかで混濁したようなアンバランスな対応をこずえにさせていた。
 だが、綾はそれ以上に切実で重大な優先すべき問題を抱えていて、それどころではなかった。
「あ、あの…向井さん………、お、お手洗いに行きたいんだけど………。」
 ハッ!
 苦笑の笑顔で申し出る綾に、こずえもようやく気付いた。
「ご、ごめんなさい!ってやーん!あたしもそうだったぁ〜〜!」


「へぇ〜それじゃ浦沢さんも来てるの?」
「そうなの。左竹君がちなみちゃんの大ファンみたいで。…ねぇ?ちなみちゃんって…。」
「うん、3年の合宿で向井さんも一緒だったよね。」
「ああ、やっぱり!」
「あの時は、向井さんがいい台詞思いついてくれたりしたから助かったぁ。」
「や!あたしはそんな…でも凄いんだね。ちなみちゃんはアイドルだし、東城さんは小説家だし。」
「いや、あたしなんてそんな……。」
 互いについつい謙遜してしまう。控え目な2人らしい問答である。
「向井さんは、そういえば今は…?」
「あ、あたしは……。」
 と、こずえがそう言いかけたところで、彼女を呼びかける女性が化粧室の入り口からひょっこりと顔を覗かせた。
「オ〜イ向井、いつまでトイレ行っとる〜……おや。」
「あ、舞ちゃん。」
「浦沢さん!」
「……お、久しぶり。東城さん。」
「お、お久しぶり…。」
 こずえとは逆に、「久しぶり」と言いながらも、まるでつい昨日からの再会の様に、苗字で「浦沢さん」、名前で「舞ちゃん」、つまり浦沢舞という名のその女性は対応する。
 これは彼女の性格に因るものが大きいだろう。彼女はこずえと同じく、学習塾に通っていた頃に一度綾の眼鏡(この)姿を見ている。その時はさすがに彼女も先ほどの唯と同様に驚いたが、二度目になればもう動じない。
 大人しくはあるが割りと感情表現が豊かで激しく、どこか純朴で幼い印象のこずえと比べると、堂々としていて人生経験も豊富そうな印象が舞にはある。
「ところで、なんで泉高のジャージなん?」
「激しいから動きやすい格好の方がいいって聞いたから。」
「……いや、それはスーツとかフォーマルな格好じゃなくていいって事だと思うヨ。」
「……え?そうなの?…あ、あたしもなんかおかしいとは思っていたのよね…誰もジャージなんて履いてないし……。」


「へぇ〜それじゃ浦沢さんは公務員で…。」
「そ。」
「で、向井さんが……。」
「小学校の先生。」
()の影響でね〜。」
「ちょっ…!舞ちゃん!」
 ニヤニヤしながら語る舞に、こずえが慌てふためくと、綾がそれとなく疑問をぶつけた。
「彼って…?」
「それはもういいから!東城さ〜〜〜ん……。」
「向井〜〜、どーせ一緒に来てんだからさぁ。…まぁ、会場戻れば分かるよ。」
 舞は面倒くさそうに眉を上げながらこずえに言った後、案内する様に綾に言葉を続けた。  言われるがままに綾はこずえらと一緒に、先ほど自分が出て行った扉とは違う、こずえらが出て来たであろう会場前右方の扉から場内へ入り直す。
 1階席を分け隔てる通路の右前方から彼女らを見て立ち上がり、呼びかける凸凹な男性が2人。
「遅かったな、向井。」
「もうすぐ始まっちまうぜ〜。」
 凸、つまり背の高い方の男性はチェックのシャツとGパンと、ごく普通のカジュアルな格好をしている。
 凹、つまり背の低い方の男性もそこまでは大差ないのだが、バッジやペンライトetc...、誰の目にも一目見て判るほど、端本ちなみの熱狂的なファンであり、もうすぐ始まるライブに、正に臨戦態勢といった所だ。
「オイ、一緒に居るのは…?」
「こんにちは。」
「あれ?綾ちゃんじゃん。」
「そだよ。」
 こずえが返答する。背の低い男性はこずえ、舞と同様の理由で綾を彼女と認識出来ていた。が、背の高い方の男性は判らなかった様だ。
「イ!?本当(マジ)かよ……。」
 驚いた様に若干マジマジと綾を見るその男性に、舞があっけらかんと答えた。
「あら、知らんかった?」
「知らねーし、フツーわかんねーよ。」
「覚えとる?東城さん。」
「え…っと、確か、…右島君で、左竹君、だったよね?」
「お、ご名答。」
「久しぶりだよな〜…にしても、大学受かったらすぐ塾止めちまうんだもんな〜綾ちゃん。」
 背の低い左竹と呼ばれた男性の方が馴れ馴れしく話しかける。
 それは単純に左竹が“美人に弱い”から以外に理由はない。
「そりゃオメー、予備校なんて受かったら要らねーんだから来なくておかしかねーだろ。」
「アイテッ!」
 綾が反応する間もなく、背の高い男性――右島が左竹につっこむ。彼には意味もなく左竹の頭を叩く癖が付いていた。
「しかし、綾ちゃんが覚えてくれているとは嬉しーよな?」
「あ?あ、おう…、まぁ、な。」
 若干歯切れの悪い右島を差し置いて、左竹は構わずマイペースで綾に話し続ける。
「ところで、綾ちゃんも今日はちなみんのライブか。確か…同じ泉坂高校だもんな。」
「ええ。」
「…で、なんで泉高のジャージなの?」
「あ、いや…それは、その…うん……まぁね。」
「?」
「左竹君、同じ高校どころか、ちなみちゃんは東城さんと同じ映像研究部の後輩だよっ。」
 こずえがフォローする様にさらに情報を捕捉すると、左竹は目の色を変え始めた。
「ん?それじゃ〜もしかして、今日はコネとか?」
「え、ええ、まぁ。」
 左竹はさらに一歩綾に近づいて尋ねてきた。
「そ、それじゃ〜も、もももも、もしかすっと、ライブ終わったら会ったりすすするの?」
 左竹の口調が変わる。
「ど、どうなのかなぁ?よく分かんない…美鈴ちゃんに聞いたら解るかもしれ…」
「“美鈴ちゃん”って誰!?誰!?誰!?」
 左竹の鼻息が荒くなる。
「え、えっと…同じ映研で端本さんと同じあたしの後輩の、その…あそこに居るんだけど……。」
 綾が指を指すと、ここで右島が興奮状態の左竹を自重させる為に再び一撃を食らわそうとした。
「お前、いい加減に…!」
 スカッ!
 左竹の「痛っ!」という悲鳴は聞こえず、右島の右からのフックは空を切る。
 彼が気がついた頃には、既に左竹は綾の腕を掴んで音速を超える速さで美鈴らが居る席にいた。
「いつの間に…。」
 舞が呆れる様に言った。
 一方、綾がこずえらと居た一部始終はさつきらにも勿論、確認されていた。
 尤も、開演が迫っていた事もあって彼女達はその場を離れはしなかったため、綾が誰と会っているのかはよく分からない。さつき、美鈴らはその中でもこずえと面識があったのだが、遠目なので彼女と断定できないでいた。
 無論、彼女らからすれば、少なくとも“知り合いと話している東城綾”が、突然物凄いスピードでその知り合いに引っ張られてきたのは、驚き以外の何物でもない。
 ポカーンと見つめつつ、美鈴が話しかけた。
「せ、先輩、この方は?」
「ごっ、ごごめん美鈴ちゃ…」
 言い終わらない内に左竹は今度は美鈴の手を握って興奮気味に語った。
「へっ?」
 左竹の目の色が更に変わる。
「あなたが美鈴さんデスかっ!!?」
「は、はぁ…そうですが。」
 左竹の鼻息が更に荒くなる。
「初めまして!私は綾ちゃんと同じ塾で仲良くさせて頂いていた左竹と申します!ワタクシ、端本ちなみちゃの大大大ファンでして…、」
 若干誇張の入った自己紹介から始まる左竹。とそこへ…。
「みっともねぇマネしてんじゃねェ!!!」
「痛っ!」
 追いついた右島のバックアタックが今度は見事に炸裂した。続いて舞、こずえもやってきた。
「いや〜お騒がせしてスマンねー。」
「ご無沙汰ですっ。」
「あ、やっぱり。」
 さつきが思わず口にした。
 百聞は一見に如かず。左竹の興奮気味の説明もあったものの、こずえの存在一人で、さつきらは、彼女らがどんな類の綾の知り合いかすぐに察しがついた。
「ご無沙汰してます、向井先輩。」
「おひさしー。遠目だったから自信なかったけど、やっぱりこずえちゃんか。」
 しかし、この流れに全く付いていけていない者が一人…。
「えっと、東城さんの知り合い?」
 唯である。彼女はこずえら4人との誰一人とも面識が無かった。
「んっと、紹介するね。」
 この2組全員と唯一結びつく人物、綾が改めて説明し始めた。
「まずこちらが浦沢さん。」
「浦沢、浦沢舞よ。よろしくー。」
「で、こちらが右島君に、左竹君。」
「………よろしく。」
「よろしくな!」
「で、北大路さんと美鈴ちゃんは会ってるけど、3年の合宿で同行してくれた向井さん。」
「えっと…改めてヨロシクです。」
「3人とも、あたしの高校の時の塾の知り合い。」
 紹介の度に、さつきらも会釈する。
 終わると、綾は今度はさつきらの紹介を始めた。
「で、こちらがあたしと同級生で映研部の仲間だった北大路さん。」
「北大路さつきよ。まぁーあたしの事はさつきって呼んでよ。東城さんと美鈴(このふたり)以外、皆そー呼ぶし。」
「で、同じく映研部で後輩の外村美鈴ちゃん。」
「外村美鈴です。よろしく。」
「で、え〜とこちらが南戸唯ちゃんって言って…、…どう言えばいいかな?」
 部員でもなければ高校も違う。淳平を通して知り合った友人と言うにも、この場に淳平が居ない以上説明しにくい。綾の混乱はそんな所だろう。
 それを察してか、唯が代わりに自己紹介する。
「後輩でいいんじゃないですか?東城さん。学校違いますけど。南戸唯です。」
「うん、まぁそんな所…。」
 さつきらに返された様に、こずえらも会釈を返したところで、さつきが尋ねる。
「今日は端本のライブに来てくれたって事?」
 こういう場面で率先して会話の糸口を掴むさつきの社交性は、彼女の美点だ。
「コイツがアイドルに目がなくてよ。」
「痛っ!」
 またも右島が左竹を叩きながら答えた。その続きを舞が話し始める。
「まー言うても地元出身のアイドルだし、ええ機会だし、皆で集まって行こかって話になってね。そしたら…、」
「あたしが東城さんと…、」
「バッタリ会ったとゆー事ね。」
「ま、そーゆーこっちゃね。」
 紹介も今日の経緯も全て解明された、と判断し、流れが終わるのをウズウズしながら待っていた男が自らの本題に切り替えした。
「で!!!ライブの後に集まったりするんスか!!?するんスか!!?」
 この男、もう止められそうに無い。その場に居た誰もがそう判断した。
 その中の一人、舞が仕方なく前面に出ようとする左竹を遮るオブラートの役目を買って出た。余談だが、舞は面倒くさがりの様で何気に親切なところがある。尤も、彼女からすれば「面倒だから親切にならざるを得ない」なのだが。
「んーまぁ〜このアリサマでさぁ、コイツ端本ちなみの熱狂的ファンなんよ。元々ここに誘ってきたのもコイツだし。そーゆーワケで図々しい話なんだけど…。」
「会えないか、と。」
 全てを察した美鈴が返答した。
「まぁね。ダメ元だけど。」
「ふ〜ん…あたしは仕事の都合があるんで、確かにライブ終わりに本人達とも会います。アニ…あ、事務所の外村社長も今日は来てますから。」
 と、ここで場内に突然アナウンスが流れた。
“本日は、端本ちなみ1st Live Tour 2010、『ちなみちゃん♡OVER DRIVE』にお越し頂き、誠にありがとうございます。開演に先立ちまして、お客様の皆様に諸注意を申し上げます。公演中は、携帯電話の電源をお切り頂き、録音・録画等の……”
「あら、もう始まるか。」
 さつきがアナウンスが流れるスピーカーの方向を見上げつつ言った。
「すみません、どの道今はちょっと…。」
「そーみたいやね。」
「終わってから、という事で。」
「りょーかい。ホラ左竹!戻るよ。」
「ぜ、絶対終わったら頼む…痛っ!」
「いいからオマエはすっこんでろ!」
 ここまでで既に何度目かも分からなくなってきた右島の拳であった。
「そ、それじゃあ東城さんも皆も、また後で。」
「うん。また。」
「まっ、楽しんでやってよ、ウチのカワイー後輩だし。」
 舞と右島にひきずられる左竹を追って、こずえが元の席へ戻っていく。
「まさか、こーんな所で再会(あう)とはね。」
 さつきが素直な感想を綾に振った。
「あたしもビックリしちゃった。」
「ただ、結局どうすんの?美鈴。皆、予定空けてるけど、これの後の事はあたしらも詳しく聞いてないわよ?」
「一応、終わった後の取材とかがあるんですけど、その後、打ち上げするみたいです。」
「それ、唯達も参加していいものかなぁ?」
「ウチの兄貴が社長だし、多分いいと思いますよ。」
 あっけらかんと美鈴が答える。
 当然だが、これは彼女らほどの密接な関係でなければありえない話であることを付記しておく。
「ただ、こずえちゃん達となるとどうなのかなぁ?」
「んー…向井先輩達がどうこうというより、予定に入れてないって事の方が……、」
 ここで、フッ!と場内が暗転した。
「あ。」
 開演の合図に場内をにぎやかせていた談笑も段々静まっていき、座っていた観客も立ち上がり、各々にルミカブレスやペンライトを手にし始めた。
「センパイ、やっぱり全部後でって事で。それとこれ、ハイ。」
「あら、用意がいいわね。」
 美鈴もまた、用意していたペンライトとブレスを手渡す。
「はい、東城先輩も南戸さんも。」
「うん。」
「ありがとー。」
 尚、ルミカブレスの装着に綾が手こずったのは、言うまでもない。
「あの…これどうしたら光るの?」
「パキッて折ってごらんよ。それで丸めて繋げるの。」
「あ、本当だ。光った。…………んしょ……んしょ……、……ごめん、上手くはまらない。」
「ガクッ。もーあたしがやったげるわよ。」
「ごめんなさい…。」
 さつきが綾の左手にブレスを付けている間、ふと綾が右前方に目を向けると、視線の先に居るこずえも気がつき、笑顔で手を振ってきた。
 思わずそれに対して綾は左手を振り返す。
 ガン!
「あ…。」
「……………。」
「ほ、本当ごめんなさい…!」
 振り上げた左手はさつきの顔面にヒットした。
 尚、さつきが綾の天然ぶりに慣れっこなのも、言うまでもない。


 場内も、そして恐らく演者、スタッフも、準備は全て整った。
 気がつけば、会場中が虹の様に鮮やかな蛍光に彩られている。
 そして、ライブならではのお腹に響いてくるインストゥルメンタルのサウンドが流れ出す。
 ファーストアルバム『OVER DRIVE』に収録されている1曲目、「SHINE OF VOICE」。ちなみの声をサンプリングした音色を使ったインスト。作品の導入部としてちなみを示すタイトルとして付けられたものだ。
 流れ出したのは曲ばかりではない。ステージ上にはスモークが包み込み、青白い光が辺りを照らす。
「いよいよですね……!」
 美鈴が覗き込む様に、さつき、綾、唯の方を向いてそう言うと、さつきと唯も笑顔でこくりとうなづいた。
(先輩…?)
 ただ、綾だけはまっすぐにステージを見つめ、彼女の言葉が耳に入っていなかった様だった。
 曲調が変化し、観客達はその上がっていくテンポに合わせて拍手をする。
 客席にはレーザーが乱れ飛ぶ中、サポートメンバーのギタリスト、ベーシスト、ドラマー、キーボーディストが入ってくるのが、暗がりの中で確認できる。
 残すは主役、ただ一人――
 いよいよ、端本ちなみの初ステージの幕が、開ける……!


 緑色のレーザーだけが客席を貫く空間は、まだ薄暗く、舞台の上のサポートメンバーの存在を認知させているに留まる。
 そして、最後に舞台袖から小柄で華奢な女性らしき人物が中央まで歩いていく。
 場内は一気に歓声が沸く。
 「SHINE OF VOICE」は更にテンポを上げ、凄まじいドラムの音が特にお腹に響く。
 そのテンポが絶頂に達した瞬間、アルバムの通り曲はストップし、場内は一気に真っ白な明るい光に包まれる。
 さらに歓声が沸く。舞台が全て照らされ、ちなみの姿がハッキリと視認できたからだ。
「あら、可愛い。」
 さつきが言った。
 そこには、ステージの中央で瞳を閉じ、スタンドマイクを前にするちなみが居た。
 白を基色(ベース)、セーラー服に近い形状の肩の部分と袖、ミニスカートの下、及びニーソックスはベージュ。そして両サイドの髪と共に、その衣装は至る所にリボンがあしらわれている。
 と、音が鳴り止んだ空間で、スーッと人差し指を伸ばしながらちなみは右手を挙げる。
 同時に、ドラムが4拍子叩いた後、場内には聞きなれたイントロが流れ、ちなみの右手は一気に振り下ろされ、一気に静から動へ。瞳が開く。
 デビュー曲の「GET-UP!」だ。
 サビから始まる“ちなみの元気イッパイさ”を表現した曲が、CDやmp3とは違う、腹の奥まで響く大迫力で流れる。
「GET-UP! 目覚めてく 夢は止められない!」
 歌いだしはサビから始まるこの曲。そのサビの後、テンションの余りちなみは「Yeah!!」とシャウトする。
 ライブ用アレンジでAメロに入る前に2小節余分に設けた間奏の間に、マイクをスタンドから外し、場内を見渡しながらちなみは叫んだ。
「Hello!!泉坂ぁあああああーーーー!!!」
 彼女らしい、待ったなしのいきなりのハイテンション。ギアはいきなりトップスピードに入れられた。
 ちなみの声に応える様に、客席のあちらこちらからは「ちなみーん!」というコールが沸き起こる。
 さつきら4人も手拍子を取っている。特に、こういった場所が好きで盛り上げ上手なさつきは周りに混じって両手でメガホンを作り、「ちなみーん!」と叫ぶ。
 その中で、美鈴だけが気付いていた。
 綾だけが微動だにせず、この空間に釘付けになっている事を――
(圧倒的な光と音、一体となった客席、……この高揚感…あの小さな体で力一杯表現する世界……。これが…!これが……端本さんの世界……!!!)
 綾が、この空間を、この空気を、じっくり噛み締めて、そして次にその中に入るのには時間はかからなかった。
「ちーなーみーーーん!」
 意外に思える人物のコールに、さつき、唯、美鈴は一瞬驚いたが、すぐに笑顔で彼女に続いた。
「ちーなーみーーーん!!!!」
 1曲目が終わると、興奮醒めやらぬまま間髪入れず、2曲目「Antares Rose」が始まる。
 1曲目よりは若干テンポが低く、ドラムとベースの重低音が際立つ。そのドラムのリズムに合わせて、客席は一斉に頭上で両手を叩いて拍子を取る。
 妖し気な雰囲気に合わせて舞台を照らす光も、薄暗い赤と紫に変わる。
 ちなみはこの曲では舌を出したり指で挑発ポーズを取るなどの攻撃的な印象でパフォーマンスした。歪んだシンセの音で〆られ、拍手と歓声と同時に、明るく白い光が舞台全体を照らした。
 曲は流れない。
 サポートメンバーもちなみか観客の方を見つめるのみである
 場内はうねる様に歓声が続き、この空間の主役の言葉を待っている。
(MCか…。)
 仕事も意識しながら観ているからか、彼女自身の性格か、美鈴が冷静に見つめていた。
(ん〜っと……。)
 1曲目からアクセル全開、出だしは上々だった。
 しかし、初体験のライブの初体験のMC。さすがのちなみも緊張が走ったのだ。
(さぁ、どう出る?)
 2階の関係者席から眺めているヒロシも見据えた。
「え〜と…。」
 しかし、ちなみは笑顔だけは絶やさなかった。
 マイクを持った左手は腰に当て、右手は額に当てて会場を見渡し、自身を落ち着かせる。
 先走っていたのは緊張だったが、2曲目の歌唱を終えて息を落ち着かせるのに、その間は却って好都合だったかもしれない。
 ス〜ッと大きく息を吸い込み、ちなみは叫んだ。
「みんな〜〜〜〜〜ッ!!?」
 呼びかける主役の声に、場内は「Yeahー!」と応える。と、次の主役の声は少し思いがけないものだった。
「ちなみ、カワイイ〜〜〜ッ?!!」
 場内はポカーンとして、その後は少しざわざわとし始める。
(ぶぶぶ…んなMCあるかよ……。)
 ヒロシは左手で顔の口を隠しながら俯いて苦笑した。
 だが、場内のリアクションは速かった。
「カワイイーッ!」
 いち早く左竹が叫んだ。すると男女問わず、そこかしこから同様のコールが飛ぶ。
「ちなみんカワイイー!」
「可愛いーっ!」
「せ〜の…かわいいーっ!!」
 その中で、綾、さつきらも叫んだ。(美鈴は叫ばなかった。)
 う〜ん?と聞き耳を立てるポーズをしたかと思えば、表情を曇らせ、それから腕組みをしながらちなみは言った。
「ええー?全然聞こえナーイ!」
 客席の反応は、やはり速かった。
「カワイイーーーーッ!!!」
 一斉に彼女を讃える言葉が続く。
 が、メインヒロインはまだ納得しない。
「だ・れ・が?」
「ちなみんカワイイーーーーーーッ!!!!!」
「よしっ!」
 その一言で、会場の空気全体が一気に和んだ。
「じゃあ、ちなみ、気分イイからもうちょっと歌っちゃおうカナ〜?」
『Yeahー!!』
 3曲目に入る。
 ちなみが、1・2・3・4、と拍子を取ると、キュ〜ンというシンセサウンドが先行して、すぐさまドラムのタタタタンッという軽快な叩き出しから始まった。  デビュー曲候補にもなっていた1stシングルc/wの「笑顔のSpiral」。
 場内もすぐにそれと分かり、沸き返す。
 王道アイドルポップすぎるという事でc/wとなったが、それ故の支持も少なくなく、逆に今回のライブでは思いっきりアイドルらしい振り付けを目指した。
「笑顔の螺旋を 今日から明日へ繋げよう!」
 サビで右腕をVサインを額に当て、くるりと回した後客席に向ける分かり易いポーズは、すぐに観客もマネをして盛り上げていった。
(さて、4曲目か…。)
 ヒロシはじっくりと心配そうに見つめていた。
 4曲目「欠けた虹」は、1stアルバム「OVER DRIVE」収録のバラードだ。故に、曲調は然ることながらちなみ自身の歌唱法、舞台演出、会場の全てがガラリと雰囲気を変える。
 4曲目を終えて拍手が鳴る中、ちなみは少し笑顔を振りまく程度で観客へのレスポンスを最低限に留めて次に備えた。
 彼女の表情から快活な柔らかさが消えて会場が薄暗い紫色の光源に包まれ、曲が始まる。
「あ、この曲は…。」
 思わず口にした綾に美鈴が声をかけた。
「お気に入りなんですか?」
「うん。」
 紫色の光源は曲が進むに従って藍、青、黄、橙、赤へとゆっくり変わっていく。緑色が無いのはタイトル通り「欠けた虹」を指す演出であり、緑色なのは、他の色より欠けていると分かり易いからであった。
 ちなみは、キャラクターとしては元気さが前面に出たとにかく陽性キャラであるが、この曲ではそんな表情を微塵にも見せず、切な気で虚ろな表情を見せる。これまでの曲の様に舞台を移動もしない、振り付けもない。
「Neo Age…♪」
 会場の一人であるはずの声は聞こえなかったが、美鈴は綾がサビにあわせてそう口ずさんでいるのが分かった。
 よく考えてみると綾が歌っている姿を見るのは初めてだった。
「…欠けた虹でも いつか君と描けるよ Perfect Rainbow…」
 これは綾が最もお気に入りのフレーズだった。
 この最後のサビでようやく微笑みかける様な表情を見せてちなみは拍手に包まれる中、丁寧にお辞儀をして締めた。
 …かの様に見えた。
 頭を垂れたまま流れてきたのはSatolも製作時から「ライブ向き」と評した2ndシングルの「Heavenly Road」。
 垂れた頭は勢いよく上げられ、BPM180はあろうかという高速デジタルロックに合わせて頭を振り乱す、所謂ヘドバンをする。勿論観客はついてくる。間奏ではギターやベースと絡みながら攻撃的にとにかくかっこよくパフォーマンスをこなす。
 歌い終えたちなみだが、女王気質の彼女だからか?と思ってしまう様に、まだ容赦はしない。
 続いて流れてきたのはアルバム曲「CAPSULE HEART」のギター音。少し陽気な展開のロック色の強い曲である。
「CAPSULE HEART!  アタマ詰め込む夢なら開けてしまうだけ!」
 パントマイムかオートマタの様な、奇怪でおどけた振り付けがより曲の色を強く残す。
 最後の音が鳴ると、ちなみはようやく一息ついて観客に一度投げキッスをして舞台からはけ、インストゥルメンタル曲「a place in the sun」が流れた。
 サポートメンバーのコーナーという訳である。
 ここを終えると会場は一度暗転した。前半が終了して休憩というところだ。
「ハァ…ハァ…!」
 会場中からは一様に一息を吐く。「凄いねー!」といった感想が漏れ、その激しさを物語る。
 それは綾、さつきらも例外ではなかった。
「かっこいいね〜…。」
 唯が呟いた。
「ンッ。」
 足元に置いていた500mlペットボトルの水を一口つけ、さつきが続いた。
「いや〜まさかこんなに激しいとはアタシも…うわっ。」
「えっ?どうしたの?」
 すぐ前は通路になっており、腰ほどの高さの壁に両手を付け少し体を預ける綾が見上げて返事をした。
「あ…いや、アンタが汗かいてるトコってあんまり見慣れてなかったから。」
「すんご…汗びっしょりだよ。」
「皆だってそうじゃない。」
「先輩の場合、ギャップがあるって事ですよ。」
「ええ?そうかなぁ?」
 照れくさそうにそう言うと、4人にクスっと笑いが起きた。
 注目を浴びた綾を始め、さつき、唯、美鈴の4人とも、いや、その場にいた誰もがこの空間に深く引き込まれ、トランスしていた。
「ライブってこんなに楽しいんだね。」
「ブラコンのライブなんてこんなモンじゃないわよ。皆ガーッて乗り出すわ、ナオは客席に飛び込んだりするわでかなりヤバいし。」
「でも凄いね。本当目の前に居るのがあたし達の知ってる端本さんとは思えなかった。」
「うん、そこは同意ね〜。正直もっとかわいくあざとくなカンジかな?って思ってたけど、かなり激しいドSなライブだわ。」
「さつきちゃん、ドSって…。」
「お?」
 薄暗く覆っていた照明の色が変化し始めた。
 その変化を察知して会場の観客達も立ち上がり、後半戦に備えた。
 今度はサポートメンバーが先ではあったが、曲が始まる前からちなみも入ってきてステージの中央で構えた。
 そして、後ろ両脇には二人の女性サポートメンバーが増えていた。
 迎え入れる拍手と共に「お?」といった注目が彼女らにも注がれていた。
「北大路さん、あれは…?」
「格好からするに…ダンサーかな?」
 さつきのその推察は当たっていた。
 後半戦のちなみの衣装は、前半のそれよりも全体がグレーめで首周りは薄緑のスカーフリボン。袖は手元ほど広くなっており、スカートはタイトに、衣装全体にあしらわれたファスナーが特徴的だ。髪はポニーテールにしていた。
 後ろに居る女性二人もややそれより地味だが、同様の衣装だった。
 曲が始まった。が、それまでは割とアルバム収録のものに忠実にしてイントロから分かる曲を多くしていたが、今回はその場に居た誰もが未聴のメロディである。メロディだけではなくアレンジもだ。
 そのメロディに合わせて徐々にちなみとバックの女性も踊りだした。やはりバックダンサーだと誰もが理解した。
 その頃には、曲もようやく皆が知っているメロディに移っていた。ただ、アレンジはやはり皆が知っているものではない。それどころか、歌詞は皆が知っているものではない。
「金魚すくい?って言った?」
「浴衣とも言ってましたね、センパイ。」
 知っている曲だが何処か違う、懐かしさの漂う素朴な沖縄風のアレンジ。
 歌い終えて拍手を浴びると、ちなみは軽いMCに入った。
「ええ〜…チョットね、『Lovely Wind』、皆も知ってるとは思ってるケド、ま、卒業のシーズンも終わって、夏ももう近いって事で、アルバムの“graduation ver.”じゃなくてね、大分変えて、“夏祭版”で送ってみましたぁ。どうカナ?」
 会場中から「Yeah!」という歓声と「よかったぁ〜!」という賞賛が返ってくる。
「ここからはもう、最後までもう全開でイっちゃうんでー…、ハァッ…イっちゃってイイですかぁ〜?!」
『Yeah!!!』
「OK!!」
 そう叫ぶと次に流れたきたのはアルバム新録の「GOING!GOING!」。
 90年台前半に流行したユーロビートの流れを汲む、まさにライブ向けで全開という言葉が相応しい一曲。先ほどの「Lovely Wind-natsumaturi ver.-」では、やや曲調に合わせたテンポの優しいダンスだったが、今度は一転。目まぐるしくレーザーライトが会場中を入り乱れる。曲に合わせてダンスをするアーティストは多いが、彼ら彼女ら顔負けの完璧な振り付けをこなした。
 ただ、曲自体はおよそ3分30秒とあまり長くはない。立て続けに送られる次の曲がちなみにとって最大の山場だった。
(この日の為にここらが一番苦労してたからなぁ…端本。だが、ここからが本番…。)
 感慨深くヒロシが見つめていた。
 「GOING!GOING!」から間髪は入れない。ライブ用での曲は演奏を考えて通常、フェードアウトが出来ず、大概は演奏をヴォーカリストがタイミングを取り、一斉にやめる様にアレンジする。しかし、ここは途切れる事すらしないで、演奏を止める事無く次の曲に移行した。
 その瞬間流れたメロディに、観客はさらに沸き返す。
 「Non-Stop OVER DRIVE」、アルバムタイトルが入った7分弱の大作。この長さで激しいダンスを要求される、このライブ最大の山場だった。
(長いからといっても、歌詞とダンスパートがずっと続くからつらい訳じゃない。Satolがかなりノリに任せて作ったからなぁ…歌唱の無い部分をその間をどうするか…?)
 だが、ちなみはそこも確りクリアした。ステージ前方へ向かい、右へ左へ最前列の客にタッチしてゆく。あるいは、「盛り上がってるかぁ〜?!」と1階席後方、2階席へと振る。
 もはやこの会場の熱気は狂乱と言っても良いほどの熱さで満たされていた。
 最後に「access to OVER DRIVE!!」とサビを叫ぶと、一気に会場が真っ白な光に包まれ、無音に包まれる。
 一瞬の静寂を雄叫びにも近い絶賛の歓声が包むと、12曲目となる「Revolution Kiss」が流れた。
 ちなみも声優として参加してこの時放映中のアニメ『りりむキッス』の主題歌にもなって既に曲も流れているが、シングル発売を目前にしての披露だった。アニメタイアップを意識しつつ、アーティストイメージと見事に融合させる作詞家・雨宮夏未の腕にはAKANE時代から定評があり、3rdシングルに相応しい王道のポップソングだ。
「Woo...Kiss me in the revolution ダイタンに アマく トキメク 夢の中でKiss♪」
 この曲ではダンサーも居るものの、ちなみと共に決まり決まった振り付けをするのではなく、自在に動けない制限上ドラムとシンセサイザーを除く、ギターとベースも含め、ステージ上に居る全員で観客に感謝の念を込めて大いに絡み、歌い終えた後は、感無量とばかりに手を振り、投げキッスをしながら退出した。
 明るさに満ち満ちた照明も降りた。

 しかし、これで終わりではない。
 感無量なのはちなみやサポートメンバーだけではない。観客達もだ。いや、感無量どころか、『物足りない』。
 すぐさま、「ちなみーん!」といった叫び声がそこかしこから聞こえ、拍手が増えていく。そしてそれは次第にテンポも一つ合わさって、まとまりを持ち始め、「ちーなーみん!ちーなーみん!」というコールと共により増大して収束してゆく。
 アンコールだ。
 およそ3,4分の後、照明がフッと再び明るくなった。その途端聞こえたのは「ワー!」「キャー!」といった歓声。
 そして舞台の袖から、再びサポートメンバーとちなみが手を振りながら登場した。歓声は勿論更に上がる。
 戻ってきたちなみは、白のシャツにネクタイと、黒のミニスカートとニーソックス姿と、ライブ本編の衣装からは随分ラフな格好だった。綾、さつきらがよく見ていた内巻きの髪も特に括ったりする事なくそのままにしており、サポートメンバーもシャツとズボンなどといった格好だ。
 中央に立ってマイクを持つと、ちなみが腕組みをしながら言った。
「ええっと…もう終わりだし、ちなみ帰りたいんだけどなぁ…?もう曲ないヨー?」
 悪戯っぽくそう言うと、「えええ〜!?」といったブーイングが一斉に飛ぶ。中には「やだー!」「もっと聴きたい!」というものも。
 しかし、それでもちなみは不機嫌な表情を作り、手と首を振りながら「ダメダメ」のサインをする。
「そんなんじゃだめぇ〜!」
 腕を組みながらまだ観客を挑発するちなみに、観客のブーイングも再び飛ぶ。
「ちょっとそこのキミ!ちなみのコト、どー思う?!」
 おもむろに指した相手は左竹だった。
「あ?…えと……。」
「んん〜?」
 ガチガチに緊張した左竹が叫んだ。
「か、かわいい!!」
 その評を聞くと、ちなみはウンウンと頷いて、今度は同様の質問を男女問わずそこかしこの観客を指して聞く。
「じゃあそこの女の子は?」「そこのお兄さんは!」「はい、そこ!」。
 いずれも返ってくる回答は「かわいい!」だ。
 最後にちなみが指す。
「じゃあ、最後に…マニアが好みそうな、そこの真ん中に居る三つ編みで眼鏡ッコの女性!」
 指されたのは綾だった。
 だが、事前準備をしないでのこういう場面は彼女には苦手だった。もしかして自分の事?と思いつつも、違っていて欲しいという願望が、一瞬間を作る。
「センパイのコトですよ!」
「え?」
「なんか返さなきゃ!」
 ヒソヒソと美鈴とさつきが呼びかける。
「ちなみのコト、どー?(なんで東城さんあのカッコなんだろ…?)」
 改めて繰り返す質問に、綾は戸惑いながらこう答えた。
「す…素晴らしかったわ!凄かった!本当に!!」
 熱っぽく語る綾にちなみは少しドキリとしながらも、その回答は違う、とすぐさまからかいながら言った。
「…え〜?そこは“カワイイ”じゃないのぉ〜?」
 ハッ!
 しまった、と綾は赤面してすぐに回答しなおした。
「か、かわいい!すごくかわいい!!」
「ふふ、ありがとー!(アリガトうね…先輩達。)」
 「かわいい」という評をあけすけに求めるメインヒロイン。会場中の観客が少し可笑しな、しかし一体となった空気を醸し出す。ここでは幾人かの指名された観客の「かわいい」という返答は、綾が語った本音と同じ意味を持っていた。
「じゃあ、皆にも一度聴いてみようかなっ。ちなみのコトどー思う?」
 今度は一斉に返ってきた。
『かわいいー!!』
「まだまだぁ〜!聞こえナーイ!」
『かわいいーー!!!』
「もっと声出せるでしょーーー!!!?」
『か!わ!い!いーーーー!!!!』
「ダレがぁ〜!?」
『ちなみーーーーーん!!!!!』
「よぉーしっ!!!」
 このやりとりは最初のMCと同じだった。
「じゃあ…ちなみ、ゴキゲンになったからぁ〜、もうちょっとダケ歌っちゃおうカナァ〜?」
 小さな女王様がそう言うと、会場中が待ってました!とばかりに声を挙げる。脇からスタッフが登場して、手に持っていたマイクスタンドが再び用意され、ちなみが持っていたマイクをそれに装着する。サポートメンバーも準備は完了した。
「じゃあ、ええと…実は昨日出来たばっかりの新曲なんだケド…、」
『おおおお〜〜〜!!』
「今日のライブに来てくれた皆にぃ、発売前に特別にお届けしようと思いまーっす!…『Zinc White』。」
 タイトルを言い終えると拍手が浴びせられ、同時に曲が流れる。
 何処か浮遊感の漂うイントロだったが、聞き心地の良いミドルテンポのメロディアスなナンバーだった。
「二人して観た映画は “見た目だけの期待ハズレ” 頷くボクが見てるのは キミの横顔ばかりで」
「忘れないで ずっとキミに恋してる♪」
 その場で行進している様に軽やかにテンポを取ると、衣装を脱いで楽な格好になったにも関わらず、カワイらしい曲と実に相まっていた。男の子が主人公のストーリー性のある曲が、歌手・端本ちなみの次のステップを予感させる新鮮さをもたらしていた。
 歌い終えるとシャララララ…というキラキラした音と共に、英国の執事の様な右手をくるくるとさせて左の腰脇に沿えてお辞儀をした。
 パチパチパチと何度目かも分からない拍手喝采の後、続けて流れてきたのはまたまたちなみらしい高速テンポのテクノポップナンバー「あの娘のPlatonic Scandal」。
 イントロの間はちなみとダンサーが拍子を取って皆で頭上で両手を叩く。歌いだしに入るとモニタースピーカーに脚を乗せたり、空中をキックしたりしながら、マイクスタンドにしがみつく様なスタイルで、余裕でステージングする。
 発表済みの曲の中でも、メロディこそ分かりやすいが特に音色が多く見せ場が多い。
「甘くて切ない夢でなら 今にもあの娘とKISS!」
 この、サビ前の部分で自分に指をさしてウィンクをして投げキッスをする振り付けはダンサーやコリオグラファーではなく、ちなみのアイデアだった。
 ラストのサビの前では更にその間に無音状態が入り、アルバムに収録されている台詞の「あたし」を自分の一人称にして口にする。
「“ちなみのコト、どー思う?”」
 観客の体制は万全だった。
『カワイイ〜〜!!』
 ここまでのMCの一部はここまでの伏線でもあり、一斉に叫ばれる賞賛の叫びの後、ドラムが勢いよく再び叩き始めると、ラストに向けて一気に加速する。
 歌唱部分が終わっても、アルバム収録分より長めの演奏が続き、客を煽り続ける。
「せぇーのッ!!」
 その叫び声と共にジャンプすると、一斉にバン!と曲が終わった。
 ちなみは勿論、サポートメンバー、観客、全員が第2ラウンドを全力で愉しんだ。皆が皆、汗だくになり、笑顔になっている。
 満足そうな客席を見つめると、「ありがとう〜!」と言いながら再びちなみとメンバーは退出した。
 だが、観客の一度高揚した感情を沈めるにはまだ不足だった。
『ちーなーみん!ちーなーみん!!』
 定着しきった彼女のニックネームを叫びながら、リズムを合わせて拍手が続く。合間に目立つように「もう一回!」といった叫び声やあわせているリズムとは違う「ちなみーん!」という叫び声が止まない。

 ステージを見守り続けていた力也とSatolに、コップに汲まれたスポーツドリンクを飲むちなみと、2階席から降りてきたヒロシが舞台裏で会場の様子を窺っていた。傍にはサポートメンバーもいる。
「ひえ…すげぇなぁ……。」
 ヒロシが呟いた。
「こりゃ、やっぱりあと1曲演らなきゃ収まらないんじゃないですか?」
 ギタリストが切り出した。
「でしょー?三郎さん。」
「Wアンコールか。俺達は大丈夫ですよ?武蔵、な?」 「ウガッ!」
「ケータリング食って返事するな。言えてないぞ。」
 ベース担当がドラム担当に振ったが、彼は頬にスナック菓子を詰めていたので思わずツッコミを入れた。
「ダンサーの二人はどう?」
 Satolが残りの二人に尋ねた。プロデューサーとして全員の意思を統一させなければならないと思い、何より彼やヒロシらは舞台監督と速やかに相談する必要がある。ライブステージを支えているのは並大抵の人数ではないのだ。
「アンコールみたいなラクな感じとかアドリブで合わせるなら私は大丈夫ですし出たいですけど…つぐみは?」
「私もOKよ。楓。」
「よし、決まりかな。小宮山君、大至急舞台監督に『Wアンコール』って言ってくれる?」
「おうよ!」
「やったぁ〜!!」
 喜ぶちなみに、力也が全速力で駆ける。アンコールは最初から予定に入れるのが当たり前だが、Wアンコールとなると、その場で判断が分かれる。観客にとってもアンコールは当たり前でも、Wアンコールはその場のテンションが決めるやはり想定外の延長戦。すぐに演れる体制は整えているといえど、無いと判断して会場を後にする観客が出るよりも前に再び出ないと失礼になる。
「しかし、この熱狂ぶりだとあなたも体が疼くのでは?仕事はありがたいが、ご自分でステージに立っても良かったものを。」
 シンセ担当がSatolに言った。
「まぁ、正直なところね。でもあまり僕が出張るよりも彼女一人の方が画になるしね。蓮也に任せて裏方に徹しとくよ。」
「ねぇ?言ったでしょ?絶対こーなるって。」
 ちなみがヒロシに言った。
「…約束忘れてませんよネ?賭けに負けたんだから聞いてもらいますよぉ?」
「…………わぁったわぁったよ。もうちょっと待ってろよ。」
「ふふふ〜やったぁ〜!」
 ヒロシは彼にしては珍しく少し複雑な不機嫌そうな表情をしていた。
(むふふふふ〜♪)
 逆にご機嫌のちなみを見てダンサーの二人が話していた。
「ちなみん、ご機嫌ね。」
「そりゃこれだけ盛り上がればね。…はい?呼びました?」

 会場の裏方全員の準備が整うまで時間はかからなかった。というよりも、撤収指示が無いのも然る事ながら、この冷めやらぬ熱狂振りを見てそのまま終わる、と思う方が筋違い。末端のスタッフまでもがそう思っていた。
『ちーなーみん!!ちーなーみん!!ちー…わぁああああ〜〜!!!』
 呼びかけ続ける声に、ちなみとサポートメンバーが再び手を振りながらステージに帰ってきた。
「?」
「あれなんだ?」
 会場が少しざわつき始める。サポートダンサーの楓がその腕に謎のボックスを抱えていたからだ。手が塞がっていた彼女以外のサポートメンバーが観客を扇動しながら一緒に拍手をして、場を盛り上げる。
 ちなみは少しタオルで拭いた程度の汗だくの体で、会場中の様々な方向の観客を確認するように手を振っていた。幾ら盛り上がっているにせよ、これが正真正銘、最後の舞台だからだ。誰よりもちなみ自身が手ごたえを感じ、最高に楽しめた今回の初ライブ。その臨時の延長戦の機会まで与えてくれたお客さんに、彼女も感謝の念が強く溢れていた。一人では決してこの様な体験は得られはしなかった。
「…ほんっと!みんな、ありがとー!!ちなみ、ほんっとに歌始めて良かったと思っていますっ!」
『ワァアアア!!!』
「でぇー、もうね、今度こそ、最後の一曲になっちゃうんで、ちょっと感謝の気持ちも込めてー、特別にですね、3人ほどお客さんにも舞台に上がって…」
『うぉおおおおお!!!』
「一緒に盛り上げてもらおうカナ?っと…!でも、おイタはダメだからね!!」
 憧れのアイドルを、一番近くで観れて共にライブの最後を楽しめる。こんな事があろうか!ここまでのブレイクを予想しないままに取ったこの泉坂ホールでの規模だからこそ出来る事で、より密度の濃いステージを仕上げるに相応しいファンサービスだった。
 その様子をステージの影でヒロシ、力也、Satolが見守っている。
「心配か?ヒロシ。」
「んー…。」
「『Wアンコールがかかったらお客さんをステージに上げる』。ちなみちゃんとの賭けだったから、しょーがないね。まぁ万全の警備だし大丈夫だろう…いざとなった時のために小宮山君にもスタンバって貰ってるし。」
「おう、任せろ!」
「んー…まぁ心配ってのはそれもそうなんだが…。」
「?」
 ちなみは説明を続ける。
「えーと、皆さんがお持ちのチケットに整理番号とは別に番号が振ってあると思います。それがこの箱のくじで引いた番号と合った人に来てもらいまーす!」
 盛り上がる会場に、ただ一人嫌な予感を感じる女性が一人…。
「ひゃ〜スッゴいサービスね〜。」
「北大路さん、ライブってこういうのもよくやるの?」
 綾が尋ねた。
「んー…稀〜に聞くけど…。」
 つまり、“在るのが当たり前ではない”という事だ。
「?美鈴ちゃん、どうしたの?」
 さつきの隣の美鈴が怪訝な表情で会場を見つめている事に綾も気付いた。
「…いえ、なんでも。」
「それじゃ、早速くじを引いちゃいまーす!!」
『うぉおおおおお!!!』
 再び、雄叫びともつかぬボルテージの会場。チケットを握り締め祈り奉る者が途端に現れる。
「…まずは、………238番の方!」
 当たったと思しき男性の周りでざわめき、会場中の視線が集まる。
「あ、当たってる…!」
「お前、当たってんじゃん!」
「うそ、凄ーい!」
 内心狂喜乱舞だが、こういう時、意外にも大きな声は挙げられないものである。
 スタッフに誘導されて、20代前半と思しき少し気の弱そうな男性がステージに挙げられる。
「は〜い、どもども〜!(チッ…野郎かよ!)」
 ステージの上でスタッフの説明を聞いて一度男性は待機した。
「次は…、309番の方!309番の方!」
「…ねぇ、そ…こちゃん当たって…い?」
「えぇ?!え?ああ、あそこに?で、でも今日あたし…下…着け忘れ…な…!」
「んん〜そこのカワイイ女の子かなぁ?(おお〜今度は女の子!しかもや〜んカワイイ!中学生かな?高校生かな?)」
「いいにゃ〜…ねぇ?…ゆみちゃん。」
「やったね!ちなみちゃんのライブでステージに上げてもらえるんだもんねっ、凄いよねー?…宵ちゃん。」
「ホラ、突入ーー!!」
「ひゃあああっ!!だ、だめっだめだめだめーっ…。」
 同様に、今度は少し若い10代と思しき学生の少女がやってきた。慌てる仕草が少し妙に感じた係員だが、彼に誘導されてステージに上がるその少女。随分と紅潮していた。
「んん〜?赤くなってるのは緊張してるのかなぁ…?まぁ気を楽にしてねっ。じゃあ…次!最後の一人…。」
 最後だけあって少し間を空けて気を持たせながら、ボックスから紙を引き出す。
(んふふふふ……この二人はカムフラージュ…、事前に番号は決めて上手くやってもらってるの…!)
 ちなみのこの邪悪なオーラを、会場内でただ一人彼女だけが察知していた。
 そして、ちなみは引き出した番号とは全く違う番号を声に出す。
「最後は……、78番!78番の方〜!!」
 会場中の誰もがざわざわと確認しだすが、前二人と違ってなかなか出てこない。
「あれ〜?居ませんか〜?78番の方〜!!(さぁ…上がってもらっちゃうんだから……!)」
「唯ちゃん、もしかして違う?」
「違いますねー。」
「アタシも違うわ。」
「……………(あ……、あんの女ァ………!!)」
 美鈴が憤懣やるせない静かな怒りを黙って携えながら、ボーッとチケットを握り締めていた。
「美鈴、アンタは…あっアンタじゃないの!ホラ、早く……あっ!」
 つい美鈴のチケットを見て声に出したものの、さつきはこれが何らかの作為だとすぐに気付いた。
「シーッ!先輩のバカッ!」
 だが、時既に遅し。
 その声に会場中が彼女らに注目し、美鈴が78番のチケットを握っているのはもはや明白だった。それどころか誰よりも早くちなみ自身が素早くリアクションした。
「ん?そこねぇーッ?!そこのヘアピンの美しい女性でしょ!?さぁ、早く早くぅ〜!」
 事情を知らず、指示の通りに係員が美鈴を連れていく。
(な、何させる気よ端本〜〜〜…………!!!)
 3/1000の確率で選ばれた(実際には2/999が2人と、100%が1人)ラッキーな観客3人(1名除く)が、ステージ向かって左側に並べられる。ここからはスタッフに代わり、ダンサーの二人が傍に居て3人を落ち着かせる役目を果たした。
「外村さんが当たるとは…ビックリですねー東城さん。」
「ちょ、ちょっと他の一般のお客さんに申し訳ない気もするね。」
 情報の不足から事態を飲み込められない唯と、天然の性格から事態を飲み込めない綾に、さつきがつっこむ。
「ばかっ!あんなのヤラセに決まってるじゃない!ああ〜あたしとした事が〜…!」
「ヤ、ヤラセ?」
「あっ…!」

「外村美鈴さん、ですね?」
「はい、そうですが。」
「失礼しました。チケットはこちらになります。」
「はぁ。」
「何だったの?」
「さぁ…何でしょう?」

 さすがの綾も事情を察した。
「で、でも、さすがに無茶な事は…もしかしたら本当に偶然かもしれないし。」
「そ、そうよねっ!う、うん、無茶な事は…。」
 二人は努めて楽観的に考えようと言った。
 しかし、“そう考えよう”などというものは“そう考えられない”からこそ行う嘘の自己暗示に過ぎない。二人は冷や汗混じりでステージを見つめる。
「はぁ〜い、どもども〜お3方ようこそステージへ〜!、え〜ちょっと窺ってみましょうかね。じゃあそこの女の子、中学生かな?高校生かな?お名前は?」
 ちなみが緊張で一杯なのか挙動不審な女子に話しかける。
「あ、あ…、あんど…」
(アンド)?」
「あ、安藤です…。」
「安藤さん。ここまでちなみんのライブ愉しんでくれました?」
「そっ、そあ、そ、それはもちろん…。」
「ありがとう〜!ステージの上はどうかな?」
「ちょ、ちょっと恥ずかしいです……。」
「大丈夫だから!ちなみが呼んだんだから気にしないで緊張しないでね。はぁ〜い、じゃあ次はそこのお兄さん。お名前は?」
 ちなみは20代前半と思しき男性に声をかけた。
「ぼ、ぼうまーです。」
「ボマーさん?」
「房間です。」
「あ、すみません。じゃあ一曲よろしくお願いしますね!じゃあ次…。」
「…え?そ、それだけ…?」
 そして、ちなみは最後に美鈴に声をかけた。若干他の二人より距離が近い。
「じゃあ最後になりますが、わぁ〜凄いクールそうな美人さん!ちなみと同い年位でしょうかねぇ?でも俯かれてますねぇ…さっきの女の子と同じで恥ずかしいのかな?お名前は?」
 ヒソヒソ声で話す二人。
(美鈴ちゃん、逢いたかったぁ〜!!)
(は、端本…何させる気よ!)
(フフフ…美鈴ちゃんは流れに任せておけばいーの。大声でバラしたらステージが台無しになる事位、分かるよねぇ…?)
(ほ、本当にステージ盛り上げればいいだけでしょうね…?)
(モッチロン!)
 だが、ちなみの笑顔は何かを企む“悪い顔”のままだった。
(不安だわ……。)
「お名前は?」
 素早く密談を済ませたものの、一呼吸置いてちなみが尋ねなおした。
「そ、外村、です…。」
 ちなみの差し向けたマイクを通して美鈴の声が会場に響き渡る。
「はい、外村さん。緊張しないでネ!」
 務めて他人を装ってちなみが言った。
 脇ではスタッフが3人にタンバリンを持たせ、場のノリで、テンポに合わせて頂いて結構なので、叩いてください、と指示を与えていた。
「さぁ…じゃあWアンコールにお応えして、え〜…最後の曲の前に、うっかりね、ちなみ、メンバー紹介、まだのままさっき帰っちゃったので、ここで紹介したいと思います。」
 そう言うと、次々とメンバーの名前を叫んだ。
「ギター、三郎!」
「ベース、時雨!」
「ドラムス、武蔵!」
「キーボード、蓮也!」
 まずは男性陣の紹介。4人ともちなみより年上で、サポートの経験は既に多くこなしてきた、最も脂の乗っているミュージシャンだ。
 コールされる度に、四者四様にそれぞれの愛器でパフォーマンスする。その度に会場からは歓声が飛んだ。
「そして、ダンサー!つぐみ!」
 どちらかといえば、「カッコイイ」と形容する方が似合う、髪の長いスタイリッシュな女性がその場で軽く踊って会場に手を振る。
「同じく、楓!」
 こちらはどちらかといえば、「カワイイ」と形容する方が似合う短髪の女性がお辞儀をする。かと思えば、なんと舞台を横に助走を付け、バック転を2回した後、最後にバック宙で着地して、会場に手を振った。
 彼女の体が回って中を舞う度に、他とは違う、「おお、おお、おお〜!」という、うねるように驚嘆の声が響く。
「…そして!会場代表の、安藤さん、ボマーさん、外村さん!」
 舞台に上げられた3人には、サポート全員からBGMで囃し立ての歓迎をされ、会場からも惜しみない拍手と歓声が浴びせられる。恥ずかしそうにしながらも高揚した気分に3人も幾分慣れてきた。
「そして最後に… … …?」
 客席に向けてマイクを掲げ、聞き耳を立てるポーズを取るちなみ。
 ダンサーの二人が手でメガホンを作って「せーの!」を音に出さずに口にしてタイミングを取ると、客席が一体となる。
『ちなみーん!!!』
「Yeah―――!!!」
 負けじとちなみが左手を掲げて叫んだ。続く言葉は、さらに観客を完全燃焼させるために。
「それじゃ最後イっちゃっていいですかぁ〜?!」
『おおおおお!!』
「そんなんで燃え尽きれるぅー?!もーっと!!」
『おおおおおおお!!!』
「まだまだぁ〜!もっと!もっと!出るデショー!?」
『やああああああああああ!!!!』
「最後にもう一回質問するぞぉー!!ちなみんのコト、どー思うっ!!?」
『カワイイイイイィィィィイイイ!!!!!』
「オッケェェエエーイ!!」
 絶叫の渦が響き渡る。客席の誰もが嗄れるほどの大音声で最後に備える。
「それじゃ最後の一曲ぅうう!!『Feel your full color』、みんなーー!!歌うぞぉおお!!?」
『Yeah――!!!!』
 最後の宴が始まった。
 終わりを惜しまないように。客席にマイクを向け、コールをし、レスポンスを愉しむ。
 観客との嗄れるほどの絶唱の応酬、眩しく光り、廻り続けるレーザーライト、全てが唯一無二のこの空間を形作っていた。その中央に居るちなみは今、アイドルだけではなく、歌手・ヴォーカリストとして一つの完成形を得たと言っていいだろう。
(なんだかんだ言って、やっぱ凄いわね……。)
 タンバリンを叩いてちなみを見つめる美鈴にも、笑みが零れた。
 2番が終わり、最後の間奏が始まった。
 ライブ用にサポートメンバーのギター、ベースのソロパートが順に追加されており、その場ではそれぞれと肩に手を回し、呼吸を確かめながら体はビートを刻み、フリではあるが、頭にキスをする。
 ソロパートが終わると、今度は舞台に上げられた3人の方へちなみが寄っていった。
(ン…?端本、こっちとも絡むの?)
 サポートメンバーと同様に、まずは女子学生に抱きつく。
「ひゃあああうあっ!!!?」
 少しスカートを押えながら大いに動揺する彼女に、ちなみはギューッと右手で腰を抱き寄せ、顔を近づけ一緒にヘッドバンキングする。
 間奏は終わりに近づき、もうすぐ最後のサビに入ろうとしていた。
「ひゃっ!」
 美鈴の声が漏れた。
 ちなみは、美鈴に近づき、同じ様に肩に手を伸ばし、上半身は前傾姿勢を取りながらひそひそ声でこう言った。
「この次、最後のサビ前のBメロ、このまま一緒に歌ってね…!」
「う、うん…。」
 彼女がよく知るちなみらしからぬ真剣な顔つきに、美鈴も気が引き締まる。素人といえど、一応は舞台に立って盛り上げなければ、という彼女の真面目な使命感が働いた。
「抱きしめて 失くしても 扉開ける 勇気をあげるから 信じて♪」
 唄い終えた、その直後だった――
(!?んっ……!!)

チュッ♡

『○△△×$○□×◇××ーーーーーーーーーー!!!!!!!??』
 会場はとても表現できない様な阿鼻叫喚に近い声が鳴り響いた。
 それもそのはずだ。
 端本ちなみが舞台に呼び上げた素人の女性にキスをしたのだから。それも頬や額に、ではない。唇にだ。
「……やっちゃったわね。」
 呆れるさつき。
「……………。」
 赤面しながらも目は釘付けの綾。
「ひょえー…。」
 予想外の展開に茫然自失といった唯。
 一方、3秒ほどですぐにちなみは唇を離す。舞台に戻らなければならないからだ。
「ウフッ、美鈴ちゃん紅くなってるネ♡」
「なっ………何すん…!」
 しかし、美鈴の抗議は響かない。
「ち、ちなみ〜ん、ぼ、僕も…!あ、あれぇーっ!!」
 脇に居た男性がたまらず催促するが、ちなみは笑顔で足蹴にしてステージの中央に戻る。
 会場の驚きの反応はまだ尾を引いていたが、サビ直前でちなみが叫び、会場を率いる。
「最後、イックぞーーーーーッ!!!」

 全身全霊をかける。それは観客も同じだった。
 ちなみの口元からマイクが離れ、最後の一音が途切れるまで、全員が見守り、最後の拍手を、歓声を割れんばかりに送った。
 全てが終わり、スタッフによって舞台に上げられた3人が会場に戻り、サポートメンバーとちなみは満面の笑みと振り切れんばかりに手を振り、舞台を後にした。
 日本で、いや世界で一番最高に熱い夜――
 この場に居た者なら誰もがそう思ってしまう、激しいライブは、こうして幕を閉じた。


 サプライズにも程がある演出(?)もあり、会場を去る観客達の反応は終演後も大きい。
「凄かったねー!」
「めっちゃ楽しかった!」
「遠くから来た甲斐あったぜ!」
「生ちなみん可愛かったー!」
 口々に感想が漏れ、いくつかの取材陣が観客に感想を聞いている。
 綾、さつきらも会場を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
 体感的にはあっという間だったはずなのに、しっかり時間は経っていた事を思い知らされる。
 しかし、彼女らは他の観客達と少し違っていた。
「……美鈴、あれ、マジだったわよね…。」
「…でしょうね。」
「え?あの…何?…まさか、えーと、ちなみちゃんって、そ、そーゆーコト…なワケ?」
 戸惑いながら事態を把握しようとする唯にさつきが答えた。
「うん、まぁ…ね…。あそこまでアカラサマなのは初めてだけど。」
「あ、あたしはノーマルですから!!そ、そこんとこ誤解しないで!!!」
「あ、う、うん…。」
 会話に入っていない綾に美鈴が気付いた。
「……………。」
「ちょ、ちょっと先輩!赤くならないで下さい!早く忘れたいのに!あたしが恥ずかしくなりますってー!」
「え?あ、そ、そか。ごめんね。」
 ポーッと惚けている綾にさつきが思った。
(純情すぎるわ、このコは…。)
 ライブ自体は最高に盛り上がった。自分達も十二分に愉しんだ。それは揺るぎない事だ。
 だが、あのキス一発で全てを持っていかれた様な4人だった。
「うーっす、おつかれさーん。」
 待ち合わせ場所だったホール外の広場に居ると、舞が右手を縦にしながらこう呼びかけてきた。後ろにはこずえ、右島、左竹の3人も居る。
「端本さん、スゴかったねー!」
「さっすがちなみんってカンジだったな。俺の見込んだアイドルだけあるぜ!」
「ま、楽しかったぜ。いいストレス発散になったぜ。」
 4人とも例外なく大いに愉しんでくれた様だった。
「…で、早速本題で申し訳ないんだけど、外村さんだっけ?」
「はい。」
「アタシらも明日はまた4人で集まる予定入れてるからいいんだけど、結局今夜はこれからどうするんか決められんし、無理やったら無理でどっか飯でも食って帰るつもりだから。今、聞いてくれる?」
「あ、そうですよね。」
 時刻は既に20時半を回っている。
 恐らくちなみは終演後にも接触可能な美鈴を除く、他の取材陣の質問に応えている所だろう。
 兄・ヒロシは一緒に居るかもしれないが、別に記者会見などではない。遠慮なく電話をかける。
「…あ、兄貴?おつかれー。」
「おっつー。どーした?」
「実は… … … … … という事で、東城先輩の知り合いを連れてきていいか?ってコトなんだけど。」
「………んー、オマエらは別に構わねーからいーし、元々東城には来て貰いたい所だから。」
「え?そーなの?」
「ん?ああ、ちょっと仕事でな。ただ、“知り合い”だからって無闇やたらと入れるのもなー。誰?何人?」
「ああ、先輩の塾の知り合いで4人よ。向井先輩なら兄貴も知ってるでしょ?」
 その名を口に出した途端、ヒロシの反応が明らかに変わった。
「……向井って、向井こずえちゃんか?」
「そーだけど。あと浦沢さんって方と、左竹さん、右島さんって…。」
「是非来てもらいなさい!」
 呆れつつも、“いつもの事”と哀しくなりながら流した。
「………要するに、連れてきていいってコトね?(このエロ兄貴…。)」
「ああ!もちろんだ!是非写真を…じゃなくて、あー打ち上げの場所と時間は教えてあった通りだけど分かるよな?」
「うん、それはダイジョブ。取材もうちょっとかかる?」
「そだなー。まぁ打ち上げには間に合うから、どっかでしばらくヒマ潰ししといてくれっか?何なら先行っておいて貰っても構わねーし。」
「りょーかい。…あ、それから兄貴。」
「…ん?なんだ?」
「……端本のあの行動については、あとでた〜っぷりくわし〜く聞かせてもらおうかしら〜?」
「ん?な、何の事かな〜?(ヒ、ヒィイイイ〜〜〜!!)」
 プツッ。
(あ、切りやがった。)
 電話を切ったところを見計らって、舞が尋ねた。
「どうだった?」
「“是非連れて来い”…との事です。」
「……それ、なんかヨコシマな目的が見え隠れするんだけど。」
 さつきが顔を落として言った。
「……まぁいずれにしてもオッケーって事で…、」
「ヒャッホー!ありがとう!ありがとう!!ありがとう!!!」
「あ、いえ…。」
 ガン!!
「痛ッ!!」
「オメーはいい加減にしろっつの!!何度やったら気が済むんだ!?」
 美鈴の両手を掴んでぶんぶんと泣きながら喜ぶ左竹に、また鉄拳が振舞われた。
「無理言うてスマンね。」
「いえ、楽しんでいって下さい。東城先輩ともじっくりお話できるでしょうから。それじゃみなさーん、ひとまず先に打ち上げ会場に向かいますねー。」


 美鈴の先導で8人はホールから駅前へと、夜の泉坂市の町を歩く。
 高校は異なれど、そして今や離れるものもいれども、8人にとって例外なくこの街は青春時代を過ごした舞台であった。
 地球温暖化なる言葉が叫ばれて久しいとはいえまだ5月。昼は暑さを感じても、夜になるとまだ涼やかな風が心地よい。
 こずえは右島と一緒に歩きながらも、時々何故か綾の方にちらちらと視線を移していた。一方、さつきと舞は何処かウマが合うのか、ケラケラと笑いながら歩いている。待ちきれない左竹はまだちなみらが居るのは自分達が後にした泉坂ホールだというのに、美鈴の前を歩いてしまっている。唯はその美鈴にぴたりとくっついていった。様々な場所へ赴く彼女は、迷う事の無い様に歩く癖が染み付いているのだ。
「ここです。」
 美鈴が言った。
 ほどなくして駅前に入り、辿り着いた先は一軒の割と大型のカラオケボックスだった。
「…ここ?」
 舞が尋ねた。
「ええ。」
「あれ?なんだ、ここ?意外と庶民的。」
「いや〜こんなモンですよ。居酒屋借り切ってやるとかいう人は結構多いです。ファミレス借りるなんてのもありますよ。」
 唯の質問に美鈴が答えると、さつきが思っていた疑問を口にした。
「ねぇ、美鈴。ここってさ…。」
 少々冷や汗気味にさつきがカラオケボックスの建物を指差す。
 しかしさつきに質問には答える間もなく、建物から一人の健脚な老人が従業員を従えて飛び出してきた。
「ヤァヤァヤァ〜!よく来てくれたね〜〜!」
『あ、やっぱり…。』
 やけにファンキーな老人を見て、さつき、唯、綾の全員が口を揃えて言った。
 老人は名を「豊三郎」と言った。見かけこそ背も縮んでいるが、齢八十近くとは思えない元気さである。どの様に元気かと言うと……。
「うひょ〜!!久しぶりだねぇ…よぉく覚えとるよ!みんな、淳平のヤツの知り合いだったかのう!」
 豊三郎はさつき、綾の周りをベタベタとまとわりついた。このアリサマである。
 ちなみに、この場にいない淳平の名が出てきたが、豊三郎はこの前の3月に淳平が(ついでに)挨拶に向かおうとした映画館の館長であり、そのまま“館長”の名でも親しまれていた老人であった。今は息子夫婦の援助もあって、淳平やここで案内している美鈴が足繁く通った映画館を経営してきた実業家としての顔も持つ。勿論このカラオケボックス“TOYOX”の経営もその一つだ。
 豊三郎もまた若い頃は淳平と同じく自主制作映画に没頭した青春時代を送り、それ故、淳平・美鈴には自身の姿を映していたのかもしれない。しかし…。
「また、チェルシーエンジェルのコスプレとかしてくれるのかの!?できればナースも…。」
 今は単なるエロジジイである。
「するかっつーの!!」
 さつきの鉄拳が豊三郎に見舞われる。
「セ、センパイ…一応館長80近くなんだから。」
「そ、そうじゃぞい…年寄りを苛めるんじゃないわい。」
「フン!心配しなくてもこんなんで死ぬよーなキャラじゃないでしょ。」
「キャラって…。」
 唯がはたから突っ込むと、続いてこずえが言った。
「あ、あの〜…中、入ってくね。」
「あ、ああ、スミマセン!ホラ館長、案内案内。」
「はぁ〜賑やかなやっちゃね。」
 半ば呆れたように舞が呟くと、残りのメンバーも中へ入っていった。


「へぇ〜…、それじゃあ、大学も一緒で…。」
「えへへ…そうなの。」
「それがきっかけでデキたって訳でさぁー。それで右島なんてもう4年付き合ってんのに未だに向井の事、名字で呼ぶんだぜ。ケッサクでしょー?」
「う、うるせぇ!名前で呼ぶよーなそんな軟弱なマネ、男が…!」
 それは軟弱な事なのだろうか、と考える間もなく舞が片手であしらいながら言った。
「あーいいのいいの。硬派ぶってるけど、こいつただ単に恥ずかしがってるだけだから。」
「んじゃあさ、じゃあさ、アタシの事はさつきって呼んでみなよ。っつーかアタシ小さい頃から大概の男子にもそう呼ばれてたしさー。」
「なんでだよ!」
 ケラケラとからかう舞に、さつきが笑いながら同調した。
 綾もまた笑いながら見つめ、こずえは恥ずかしがりながらも同様に笑っていた。
「あ、来たみたいですね。」
 美鈴が立ち上がって扉を開くと、ライブ終わりの疲れは何処へやら、元気一杯にちなみが乗り込んできた。
「お疲れ様でーっす!!」
『おつかれー!!』
「わっ!!?」
 乗り込んできたちなみにパンパン!という小気味良い炸裂音が鳴り響く。瞬きの後に自身を見つめると、紙吹雪と紙テープに彩られているのが分かった。先に乗り込んでいた美鈴ら8人が祝号のクラッカーをちなみに向けたのだ。
「わっ!えっ?ど、どうもありがとー!!」
「最高だったよ!!」
「お疲れ様!」
「わっ…ほ、本当に生ちなみんだ…!」
「凄かったですー!」
 口々に賞賛と労いの言葉が今日のメインヒロインに捧げられる。ただ、当のちなみはまだ若干事態が飲み込めない。
「えっと…美鈴ちゃんが来るのは知ってるケド、北大路先輩も、それにえーと向井さん?」
「お、お久しぶり…です。な、なんか今日は…」
「特別に来てもらったんだよ。ま、みーんな身内ってトコだ。」
 後ろからやってきたヒロシがこずえの言葉に続いて解説を入れた。
「兄…外村社長。」
「おいおい、生真面目だなぁ。今身内ばっかって言ったのに何仕事モードなんだよ、さぁいつもみたいに“大好きなお兄ちゃん”と…。」
「言うか!」
 ボスッと美鈴のパンチがヒロシの顔に入る。
 ヒロシの後ろにはさらに、力也ほかサポートメンバーの面々やその他、外村プロダクションのスタッフら等が続々と入ってきた。
「いてて…そんじゃあ今日は皆パーッとやってくれ!!お代はウチの会社持ち!!!」
『おおお〜〜っ!!!』
 諸手を挙げて大判振舞いな発言をするヒロシに、その場に居た全員が唸る様に讃えながら拍手を送った。
「既に準備万端じゃぞい!」
 カラオケボックス「TOYOX」最大のスペースを誇るこの部屋。端の扉から豊三郎がスタッフを引きつれてご馳走を乗せたカートを見せ付けた。一番上には、大仕事を終えた者達と、日ごろの戦いから解放されて彼らからエナジーを頂いた者達へ捧げるに相応しい、生ビールがこれでもかというくらい乗っている。
「北大路センパイ、ジョッキかコップかどっちにします?」
「あーアタシはジョッキでいいわよ。東城さんは?」
「あ、あたしはそんなに飲めないし飲んだら…。唯ちゃんと向井さん達は…?」
「あたしもコップでいーです。」
「あ、あたし達もコップで。関係者でもないし…。」
「そんなの気にする必要ないですよ、向井先輩。ウチのバカ兄が来てくれっつってんだし…いーっくら飲み食いしていいですから。浦沢先輩達も勿論遠慮なんかいらないんで。」
 笑顔ながら美鈴の語気にはその兄への苛立ちが少し滲んでいた。
「そーそー。騒げる時にはパーッと騒ごうよ!」
 お祭り好きの血が騒ぐのか、さつきが勧める。
「で、でもあたしはコップで…。」
「んーじゃあジョッキで頂こっかね。」
「お、俺もいい?!」
「…じゃあ、俺もジョッキで頼む。」

「それじゃあ、皆行き渡りましたでしょーか?」
 ヒロシがその場に居る全員にビールが行き渡ったか確認すると、さすがの彼も社長らしく挨拶から始めた。
「ええ、本日はウチの端本ちなみのライブツアーも、無事初日を終わる事が出来まして、社長としては十分な手応えを感じております。お客様は勿論、これというのも関わっていただいたメンバー及びスタッフ皆様のお陰と……。」
 その様子を陰でニヤニヤとさつきが眺めている。
「ププッ…何あれ、似合わないの。」
「一応あの兄でも社長ですから。…ってあんま笑わないで下さいよ!」
「いやだってさ、東城さんも笑ってるよ。」
「!」
 ン!?と振り向くと確かに綾は笑っていた。堪えようとして口元に手を当てても抑え切れない、という具合だ。
「あ、ごめん。でも本当おかしくて…ふっ…あははっ…。」
「せ、先輩ぃ〜〜…。」
 見かねたさつきが乗り出して言った。
「おーい、似合わないわよー!!」
 その声に賛同したのは彼女らヒロシの旧友だけではなかったらしく、その場に居たスタッフ全員がドッと笑った。
 せっかく人が真面目に一生懸命挨拶しているのに…。ヒロシの胸中はそんなところだろう。だが、確かに自分のキャラと合わないのも確かで、一通りこなせこそするがこういった改まった挨拶が好きな訳ではない。考えを切り替えて場を盛り上げようと締め括った。
「…という声もありますので、じゃあ乾杯の音頭を、今日のメインヒロインに。」
「え?あたし?じゃあ皆さん、カンパーイ!!!」
「え?まだ…」
『乾杯!!』
 ちなみの即座の乾杯にヒロシ以外の全員が応え、拍手が零れだした。
「ちょ、お前少しは挨拶とか…。」
「えー?社長の挨拶が長いからいーでショー?皆さん、今日はちなみの為にありがとっ!!今夜はパーッとやるぞー!!」
 その声に、また会場全体がノリよく合わせる。スタッフと友人ばかりの身内を前だとしても、アイドルのちなみの方が盛り上げ上手だった。
「それじゃここは皆さんパーッとやっちゃって下さい!(俺もこずえちゃん撮影したいし)。今夜は無礼講で!!」
「イェーイ!じゃあちなみがカラオケ一番手唄っちゃいまーすっ!!」
 社長直々のお墨も付いた事で、さながらステージの様に再びちなみが唄いだし、打ち上げは始まった。

「今日は本当に演ってて熱いライブだったな。」
「ああ、武蔵はどうだ?」
「フガ?ウガウガ、ウゴモゴー!」
「…またお前は飯詰め込んで…。」
「だが三郎、お前楓ちゃんが入ってきてからちらほらしながらずっと見てたろう?お前好みなのか?」
「へ?い、いや、そんなお前…聞いてみたら一回り近く離れてるらしいし、十も離れた幼な妻ってのも…。」
「誰がいきなり結婚の話をしとるか!一箇所音飛びそうになってたトコもあったの俺は知ってるぞ。」
「ゲッ!」

「…あれで聞こえてないつもりなのかしら?ねぇ楓。」
「三郎さんはなんか世話好きなカンジではあるけど…。」
「連也さんなんかは?」
「絶対イヤ!!大体、あたしにはユースケが居るっての!」
「あれ?彼氏居たっけ?」
「彼氏なんかじゃないわ、婚約者よ!」
「えええ?!」

「お、俺自宅が工場経営しててこの間社長になって、デビュー当初からずっとちなみんのファンで、ファンクラブの会員番号も3番なんスよ!!!」
「ありがと〜!ええ〜?社長?ホントにぃ〜?すごーい!」
「今日はこんな機会まで巡り合えてもう感激で死んでもいーっす!!!よ、よろしければサインと握手なんか…」
「ああ、そんなのいっくらでもいーよー。「左竹さんへ」でいーのね?」
「は、はい!」
「握手だけでいーの?」
「へ?いやもうワタクシみたいな一ファンにはもうそれだけで!勿体無い…あっ!」
「やーんごめんなさい、ビール零れちゃったね。」
「のぁあああああ!!(そ、そんなトコロをふ、拭き拭き…!)」
「お、おいちなみちゃん、それはさすがに…。」
「ち、ちなみちゃん、ワ、ワシも…!」
「やーん、館長ったらダメですよぉ〜?小宮山さんも。今は左竹さんにファンサービス。」
「……お、俺もう死んでもいいっス………。」
「だぁからぁ〜これからもちなみんのコトず〜っとず〜っと応援してて下さいね!」
「はい!!!モチのロンっす!!!」

「はぁ〜何やってんだか。」
 美鈴がちなみと彼女を取り囲む左竹、力也、豊三郎らの様子を遠くから眺めながら呆れる様に言った。
 各々盛り上がるスペースに自ら酒を注いで挨拶を重ねるヒロシがようやく解放されたかの様に美鈴、綾、さつき、唯ら馴染みの顔の居るスペースに辿り着く。
「いやぁ〜お疲れお疲れ!」
「ほんとお疲れさーん!」
「ここまで本当大変だったでしょう?」
 さつきに続いて綾が労いの言葉をかけるとヒロシがようやくドカっと椅子に座り、落ち着いた。
「いやぁ〜そーりゃ大変は大変よ。だけど楽しみの方が遥かに上回ってたな。おっと、仕事の話の前に久々に一発!」
 そう言うと、ヒロシは懐からデジタルカメラを取り出してきた。異論を挟む間もなく向けられるレンズに、さつきが綾と唯の肩を片手で抱き寄せピースサインを取ってカメラに映る。
「お、いいねぇさすが我らが映研ヒロインズ!」
「唯、違いますけど。」
「いーのいーの。かわいいんだから。」
「外村、アンタ社長になってもまだカメラやってんの?」
「いい加減やめてよね、兄貴。」
「お前ら相変わらず辛辣だな…。でもいいモンだぜ?絵では出来ないものが映し出せる。フィルターを通して今見た景色も、その場で出会った大切な人の笑顔も、さらには心に描いた夢を見ている姿も。その瞬間を映し出して、それが誰かの胸に響けば俺はいいと思うんだよね。」
「とかなんとか言って、結局女の子の写真撮りたいだけでしょ?響くのは誰かのじゃなくてアンタの胸。」
 さつきのつっこみをよそに、彼女が手にしていたカメラを横から綾が取り出す。データフォルダを見ていると、懐かしい画像が出てきた。
「あ、これ1年の合宿で撮った写真。」
「おー懐かしっ!っていうかアタシ若いなー。」
 脇からこずえが興味津々といった具合に乗り出してきた。
「あたしにも見せて…あ、浴衣着てる。あたしと塾で会った時は2年の終わりだから…。」
「これは1年の時だから、入学して半年も経ってない…かな。」
「こずえちゃんも撮ってるのなかったかな?あ、ほら。」
 ヒロシは中に収められたフォルダから一枚の写真を引っ張り出して表示した。その写真を見て舞が言った。
「おや、珍しく髪下ろしてるヤツじゃん。…これなんだっけ?」
「確か真中さんに映画に連れてってもらった日の…。」
「あー向井の男性恐怖症克服(リハビリ)に協力してもらいがてらデートしたヤツなー。…ん?ちょっと待て。なんでアンタがそん時の写真なんか持ってんだ!?」
「え?えーと……。」
 明らかに誤魔化す様に違う話題に持っていこうとするヒロシ。
「あ、ほら!3年の合宿の写真もあるぜ、ほら!こずえちゃんも美鈴も居るし。」
「…え?どれど…え…あ……。」
「こ、これは……。」
 固まるこずえと綾の一方で、美鈴とさつきが抗議の声を挙げる。
「…お兄ちゃん!」
「そ、外村ぁ〜!水着の写真なんかずっと入れっぱにしないでよバカ!!」
「ひげッ…!痛ってぇなぁ〜。オマエあん頃は『アタシも撮ってくれないかな』とかノリノリだったくせに…。」
「5年も経ってちゃ恥ずかしいわよ!」
「いや、でもさすが!さつき、グラビアアイドルかっていうくらいスタイルいーやん。東城さんもかわいいじゃん。お、ちなみんもいるね。」
 彼女自身がそう呼んでくれと言っていた事もあり、彼女自身と性格的にも近いものを感じたのか、舞はさつきを名前で呼んだ。
「うー…でも今は着物ばっか着てるから胸も若干しぼんだしねー…。」
「まだまだいけるんちゃう?向井もいい胸してんなー。」
「…………おい。」
「ン?どしたん?右し…ウワッ!」
 振り返ると、一部始終を見ていた“硬派男”右島が腕を組みながらただならぬオーラを漂わせていた。怒りだ。それも、本気だ。シャレにならない…一同全員をそう思わせる威圧感。
「向井の水着とか今すぐ消せ!女子の肌なんて他人に簡単に見せるモンじゃねぇー!!!」
「グェッ!!?」
 右島はそう言うとヒロシにスリーパーホールドをかけ始めた。
「ちょ…ちょっと右島君落ち着いて〜!あたしは全然構わないから〜〜〜!!」
「右島!アンタね〜向井だけが映ってる訳じゃないんだし、向井もそう言ってるんだから自重しなさいよ。」
「ムッ…。」
 二人の声を聞き入れ、技を解いた右島を見て舞が謝った。
「スマンねー突然。」
「いいえっ!兄にはこれくらい言ってもらう位が丁度いいんです!」
 美鈴の意見にごもっともなのか、さつきも大きく、綾も小さくうなづいている。
「でもこういうトコロが頼もしいよね。」
 唯が語りかけると、こずえがのろけ始めた。
「えへへ〜そうなの!なんていうか本当右島君って不器用なんだけど、こんな風にあたしの事すっごく大切にしてくれてるの!あーでももうちょっと大胆に攻められてもいっかな?みたいな。なんていうか例えば今日のちなみちゃんが外村さんにしてたみたいに、ステージ上で皆に見つめられる中でく、唇を…なーんて、ああそんな!いけないわっいけないわっ右島君…!」
 会話の途中でブッと噴く美鈴に気付きもせず、その他のポカーンと自分を見つめる無反応に気付きもせず、こずえが両手を頬に当てながら妄想を繰り広げる。まるで少女漫画の主人公の様なドリーミィな妄想癖が彼女にはあった。
「おーい、こずえちゃーん…。ってなんか合宿の時もこんな事あったよーな…。」
 さつきがトリップ中のこずえを呼び戻そうと声をかけると、「やーん」と赤面しながら頬に当てた両手を顔前面に移動させ、こずえはうずくまった。自業自得とも言えるのだが……。
「随分愛されてるじゃないの、ダ・ン・ナ!」
「うるさい。」
 後ろからからかう様に絡むさつきに右島は不器用にプイっとしながら小さく言った。
 一方、美鈴は思い出した様に兄・ヒロシに詰め寄る。
「ア・ニ・キィ〜!あの“演出”はどういう事ォ〜〜?!!」
「アギギギ…!勘弁美鈴…アイツがどうしてもステージでお前呼ぶとか言うから!止めたんだけど止まるよーなヤツじゃないのはオマエも分かってんだろ?」
 相手が右島から妹に代わっただけで、スリーパーホールドをかけられる状況には変化なし。
 そこへさらに「ちなみちゃん、待って〜!」と叫ぶ力也、左竹、豊三郎(コブ3つ)付きでその張本人が突撃してくる。
「アーッ!!美鈴ちゃん今ちなみの話してたでしょ〜!?」
「ちょ…くっつくな!髪さわんな!もーっ!!」
「ン〜〜〜っ美鈴ちゃん大スキーっ!!!」
 もう既にその場にいたほとんどが出来上がっていた。
 客として参加した綾やこずえらはもちろん、スタッフ関係の人間も仕事から解放され、緊張の糸から紐解かれた様に騒ぐ。誰もが今日という日のライブを大成功に収められた事を祝っている。それは宴を盛り上げる事で表現されるのだ。
「あーあ全く…相変わらずコレだ。成長しないわねー。」
 そう言うさつきを少し意外そうに綾が見つめる。彼女じゃなくても意外と言っていいだろう。少し前なら、さつきはそういったお騒ぎに率先して参加するタイプだ。その少し落ち着いた様子は将来の料亭の女将という道を選んだ影響もあるのだろうか。彼女を笑い上戸で見つめる綾にさつきも気付いた。
「んー?どったの?東城さん。」
「いやぁ…ね、小さい頃の私からしたらこんな所に居てるなんて、夢にも思わなかっただろなぁって。そう思うとなんか不思議な感じがして、でもなんか心地よくて……。」
「……まーそりゃね。アタシが言うのもナンだけど、ウチの部は我が強い奴だらけだよねー。アイドルになりたいっつーてなってる奴、美少女撮影が趣味で芸能事務所立ち上げる奴、映画監督になりたいっつーてなろうとしてる奴。……小説家になるってのも十分すぎると思うけどね。」
 ニヤリと笑いかけるさつきに、綾が照れながら頷くと、瞳を閉じてしみじみと言葉を紡いだ。
「みんなに出会わなきゃ、きっとこんな楽しい事無かったろうなぁ…。」
「アイツらもそーだけど、アタシもアンタに出会わなきゃこんな経験なかったわよ。」
「ウチらも〜今日は東城さんに久々に会えてその上こんなんまで参加させてくれたし、ホント感謝してるよー!」
「唯もでーっす!」
「あったしもですー!!」
「わっ!?」
 酔っ払いの舞と唯、こずえがなだれ込んできた。
「アレぇー?飲んでないん?東城さぁん。」
「そうそう、コップ一杯じゃ足んないでしょ!飲め飲めー!!」
「え、ええっ!?(だ、大丈夫かなぁ……。)」
 ベタベタとくっつきながらビールを注いでくるさつきと舞に似たようなものを感じながら、ふと横を見ると右島がこちらを見つめ、そして視線をそらした。
 辺りを見渡すと、ちなみは美鈴に引っ付こうとし、美鈴はそれを振り解こうとし、それをヒロシがデジタルカメラに収めようとし、左竹と力也が視線を集中させている。遠くではサポートメンバーやスタッフが互いに今日の健闘を讃えて談笑している。
 あの頃と少し違う空間。しかし、相変わらず居心地の良い空間。互いに己が道を行く者達が、色々な偶然の出逢いを重ねて今ここに居る。そしてその中に自分が居る。四半世紀と生きていない自分が言うのもナンではあるが、人生とは不思議――
 そんな事に想いを馳せながら、注がれた一杯を飲み干した綾だった。


「ありがとうございましたー!」
「お世話になりました。」
「いやいや、こちらこそじゃの。ちなみんのサインはウチの家宝にさせてもらうよ!またカワイイ子連れて来ておくれよ!!」
「ええ、勿論!またこっち来た時は、お安くお願いしますよ〜!」
(スケベジジイ……。)
 そんな女性陣の蔑視線をよそに、店舗前でヒロシが気前よく営業挨拶をしている。
 時刻も深夜になり、ようやく打ち上げは終了となった。
 絡み付く夜の風が少しずつ熱気を帯びている。もうすぐ夏もやってくる。
「はーい、それじゃ皆さーん。そのままそのまま!」
 おもむろに力也が全員を纏め上げようとする横で、ヒロシが豊三郎にデジカメを渡している。
「じゃ、これ頼みます。」
「おっけー、まかしとけ。」
「じゃこれから写真撮りまーす!」
 力也の号令で全員が「おっ!?」とそろぞろと並び固まり始める。こずえが小声でちなみに「いいの?」と伺うと、「当たり前じゃない!」という声が返ってきた。一緒にいるサポートメンバーの三郎が「ファン代表だよ!」とも言ってくれた。
 ヒロシと力也も戻ってきた様子を見て、豊三郎は撮影準備を始めた。
「んじゃ行くぞーい!」
 そう言うと、なんと豊三郎はデジカメを傍にいる女性従業員に預け、見かけによらない健脚ぶりで集合に一番前にピースサインをしながら混じった。
 ウィーン、カシャ!
 こんな所でまで!最後までこれか!
 その場に居た誰もがどっと笑って、ようやく解散となった。

「今日はいい経験させてもらったよ!…ほら、向こうで左竹はまだちなみんに撫でられてるし。」
 舞が改めて綾に挨拶すると、こずえも同じ様に喋りかけてきた。
「久々に会えて嬉しかったぁ〜!」
「あたしも。皆も元気そうでよかった。」
「今度またこっちで会う時間あったら会おうよ。」
「わー!それ素敵ですっ。」
 綾の横に居るさつきが言うと、こずえも人懐こい笑顔を見せた。
「んじゃ携帯とメアド交換やね。」
「んっ!」
 一通りの作業が済んで、さつきが楽しそうに言った。
「へっへー、これでこずえちゃんともまた会えるね。京都にお越しの際は是非ウチへー!」
「営業かよ〜!」
 舞がからかうと笑いが起きた。
「んじゃ、また!頑張ってね!」
「うん!」
 別れの挨拶を済まそうとするこずえに、舞が一人少しそっぽを向いている右島に囁いた。
「ほら、今の内だよ!」
「…るせっ…いいっつーの……男たるものなぁ…。」
「忙しいんだからなかなかこんな機会ないっつーの!ホレっ!」
「わっ、と、何すんだよ。」
 舞が背中を押すと右島は綾の目の前に立った。「?」という文字を頭上に浮かべながら笑顔でいる綾を前に、右島は提げていた鞄から一冊の本を取り出した。
 それは他ならぬ綾の小説だった。
「…塾生ん時ゃそれどころじゃなかったけどよぉ、アンタの小説読んでファンになっちまった。だ、だから良かったらサイン書いてくれねぇか?」
「…い、いいよ。」
 大柄で強面な外見に似合わない、たどたどしい説明に内心少しクスリとしながら綾はサインに応じた。なるほど、確かにこずえの言う通り不器用だ。そのことがどこかこずえ本人とも、自分とも通じている様にも思う。
 ライブ前にサインを書いていたのは想定外ではあったが、アイデアをメモる為に、ノートとペンを持って歩くのは彼女の小説家としての一つの職業病であった。表現を生業にする者ならば誰もが行って当然の行動である。
「…はい、どうぞ。」
「…う、あ、ありがとう。…あ、あんた確かに美人だな。」
「あ、ありがとう…。」
 書き終えてマジマジと見つめられて口にされた褒め言葉に思わず赤面する。困ったことにこういう状況で言われる不器用な男のふとした発言なのだから、嘘がないのだ。
(ムッ……!)
 しかしその様子を見てカチンとくる者が一人。彼女はムッとした表情で右島の足を「エイッ」と踏む。
「痛てっ!何すんだよ、向井!…あ、ありがとうな。これからももっといい小説書いてくれ。じゃあな。」
「うん、頑張る。ありがとう。」
 握手をすると、ご機嫌斜めでその場を離れる彼女を追いかける右島。
「やれやれ…。あー見えて尻に敷かれるね、ありゃ。」
 世話役の舞がそう括って去ろうとする。
「ほら、左竹、いい加減行くよ!じゃあ東城さん、ちなみん、皆ありがとうね!」
「またね〜!」
 綾がそう叫ぶと、こずえら全員が手を振りながら、こずえが「またねー」と返してきて、惜しみながら別れた。

 スタッフやサポートメンバーも去り、こずえらも去って、ヒロシが綾に話しかけてきた。
「今頃になっちまったが、どーだったよ今日は?」
「凄く刺激になった。端本さんも外村君も頑張ってるね。」
「いいモンだろ?」
「うん、ちょっと病みつきになりそう。」
「じゃあ作詞の件は…?」
「喜んで受けるね。凄く面白そう。まぁちょっと小説みたいに上手く行けるかわからないけど。」
「その辺りSatolと軽く詰めてみたかった所なんだけど、こういうトコ苦手だって先帰っちまったしそんな話も出来ない様な盛り上がりだったからな。無理もないけど、まぁまた後日な。」
 早々に仕事の話を終えると、他の者が去った後を振り返ってこう言った。
「さて、残ったのは俺達映研メンバーと唯ちゃんだけか。」
「先生はともかくとして、真中さえいりゃオールメンバーだったんだな。」
 力也がそれとなく口にすると唯がその理由を説明する。
「今日は仕事でどうしても無理っつってたからね。」
「ねーねー居ないのはしょうがないし、折角揃ってるんだしさ、皆で高校でも廻ってから解散しない?」
 さつきが提案した。ちょっとした冒険心を擽られる提案に、この久々の再会をもうちょっと長く味わいたいという想いが込められ、皆が等しくそれを感じていた。
「わぁー唯何気に一度も泉坂高校寄った事ないんですよねー。ちょっと覗いてみたい。」
「よっし、んじゃあ夜の散歩と洒落込みますか!」
『おおーっ!!』
 高校での同じ時間を共有した仲は、今ではそれぞれが己の道を歩んでなかなか一緒に会う事も叶わない。せめて今夜は目一杯5年前に戻り、そしてそこにこの日の経験と想い出を足して、気持ち良い気分で枕に眠ろう。
 彼らは勿論、このライブに参加した誰もが充実した瞬間を共有し、またそれぞれの明日を生きていくのだろう。そしてその中で新たな出会いと偶然が重なり合い、“次”が生まれようとしていた。


「お疲れ様。」
「お疲れ様です。あっ…と。静香さんには言っておかないと。」
 仕事を終え、またいつもの様に綾の部屋を出ようとする静香を綾が引き止める。
「?どうしたの?」
「今度の新作、用意してたプロット全部廃棄の方向でお願いします。」
「ええっ?!〆切りまで時間ないのよ!?いくらちゃんと〆切り守ってくれてるからってそれはちょっと…。」
「大丈夫。ちょっと新しい方向の主人公を描いてみたくなったの。力任せにこうグイーッとひたすら攻めるタイプの。」
「……ま、綾さんがたまに熱っぽく語る時は大抵いいカンジの時だから信じましょう。なんだか私に黙ってやりたい仕事もあるみたいだし?」
 ギクッ!ちらりと覗かせる視線は確かにちなみに関する、詞を作成する為の参考資料だった。
「でも、締め切りは延ばしませんからねー。それじゃあよろしくお願い、ね。」
 そう微笑みながらも釘を刺す静香の目は笑っていなかった。
(ばれていた…。)
 しかし、このライブの刺激は綾の作家活動に影響を与えたものは少なくない。何処に答えがあるかは分からないものだ。すぐ傍に何か新しい道を見つけるきっかけがある。ちなみの活動を改めて見てそう思えた。

 そして、今回のライブでさらなる充実を得た者も居れば……、
「わーい、また左竹さんから贈り物ね!あ、凄い!おっきなテディベア!やーんかわいいー!!(フッフッフ…社長と聞いたらカモにしない手はないわよね。)」
「何だあれ?外村。また贈り物?」
「ああ、こないだ会った東城の塾の友達からだとさ。」

「ああ〜ちなみ〜ん、最高だよ〜♪」
「ああっ、若社長!ちなみん好きなのは分かりましたから、ビデオなんか見てないで仕事してくださいっ!!」
 逆にその充実の為に搾取される者も居たという……。



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