Top > Writing > 「夢の続き 明日の風」




■SCENE-20:『I WANNA GO』


「ふぅ〜ん……。」
 プリントアウトされた紙を見てしみじみとSatolが口に出した。傍らのテーブルの端にはいつもの様にコーヒーと、ミキシング・コンソールの上にはその紙が入っていたであろう封筒が置いてある。
 その封筒には「東城綾」の名が記されていた。
「どんなモン?」
 軽くヒロシが尋ねた。
「んー…さすがは直林賞作家だけあるな。ストーリー性がある詞というのが本職だけあって作家らしい。多少字合わせはさせて貰ったけど、言葉の選び方やニュアンスが文句の付け様が無い程適切。」
「送られてきた全部を採用するのか?」
「…いや、やはりまだ彼女自身の色が強く出ているものもあるし……。」
 ヒロシとSatolはこの日、〆切りまで目前に迫った4thシングルのc/w曲を何にするかを決めていた。
 90年代前半に流行し、日本で定着したダンス系ミュージックのユーロビート、エレクトロニカ、テクノポップ、デジタルロック、そういったSatolならではのシンセサウンドを、どちらかといえばアップテンポもので攻めていった判断は正しく、端本ちなみのキャラクターと実に合っていた事は既に売上が証明している。
 1stアルバムも発売でき、一つの区切りを着けられたとなれば、次に浮かんでくるのは新しい方向(みち)だ。
 それは、そろそろちなみにも“聴かせる歌”を――
 ちなみ自身とヒロシの思いつきに近かった、彼らの友人たる東城綾の作詞家起用は、そんなSatolの音楽プロデューサーとしての意識とも符合し、驚くほど上手く事が運んでいた。
「ま、今回使うのは使わせて貰うのはこれかな。他は保留。」
 Satolが差し出した綾の歌詞をヒロシは受け取りながらまじまじと見ていた。
「幼馴染の男女が久々に海で再会するストーリー…この二人のなんとも微妙な距離感の表し方が東城らしいな。」
「ある意味、ちなみちゃんに合うかどうかとか、コンセプトを強く意識する必要がないと思う詞だと思う。素直に言葉のままに、アレンジも爽やかにくどくなく…って感じかな。こう、淡々としたグルーヴの中にしみじみと浸透する様に光るストーリーっていうかな。」
「そーいや、Aメロとサビだけで随分シンプルな構成の曲だよな。」
「いくつかデモを渡したけど、まさかこの曲がこんなに味のある作品になるとは思わなかったよ(まだ完成じゃないけど)。他人の着眼点は違うね。あ、ところでさ、ヒロシ。」
「?」
 思い出したかの様にSatolがヒロシに質問した。
「結局、彼女の名義はどうなるんだ?俺としちゃフツーに彼女の本名でもある筆名でいいんだけど。」
「んー…俺も(コレ)の事考えるとどっちかっていったらそっちなんだけどねー。まぁ覆面でやってもらった方が互いに都合よさそうでな。」
「ん、じゃあ何に?」
「えーっとなぁ……無い。」
 ヒロシは渡された紙を眺めるが、必要な情報は入ってこなかった。
「あっ。……“いいの思いつかないから変なのじゃなければお任せします”だって。」
「いいのか?」
東城(アイツ)もあー見えてアバウトなトコもあるからなぁ。それに、もの書くのは得意な割にタイトル決めるの苦手だって言ってたな。映研の作品も割と俺か真中が中心に話し合って決めてたし。なんかいいのない?」
「そーだなぁ…。『ayu』ってのは?」
「……またあんまりパッとしねぇえらくベタな名前だな。大体それだったらayaでいいんじゃねぇの?」
「そーかなぁ…?『東風』って漢字から取ったんだけどなー。大昔の呼び名だよ。」
「へぇー“こち”って読むのは知ってるけど。」
「彼女の名字と、この作品から感じられる雰囲気から、パッとその漢字が浮かんだ。ただ、漢字じゃギョッてなりそーだから。」
「んー…ちょっち聞いてみるか。」
 ヒロシは携帯電話を取り出し、綾に繋いだ。
「んーあー、俺だよーん。今ダイジョブか?おお、あのな、名義の事だけどさ……、うん…、ああ、漢字では東の風と書くらしくて……、おお、へぇー、さすがよくご存知で。あ、それでいい?うーん、じゃあまたしばらく考えてみるか。んじゃそーゆー訳でー。え?曲?あーそっちはまだ。決まったら真っ先に教えるって。あと、久々に写真…はい、すいません。ごめんなさい。この間会いました(アイツ言うよーになったなぁ…)。はい、じゃ。おつかれー。」
「どうだった?」
「素敵って言ってたけどやっぱり考えたいって。というか今更だけどさすが小説家だな。“東の風”って言ったら、一発で分かったよ。東風(あゆのかぜ)いたく吹くらし…ナントカカントカ。なんか万葉集にもそんな和歌があるそーで。」
「じゃあ、あとはこの作品のタイトルと音入れだけど……。」
「まぁそれはちなみも含めて明日また。」
 結局、綾の覆面ペンネームの件は後ほどという事で、彼女が参加したこの曲のタイトルについては、『BLUE SKY BLUE』と『夏色グラフィティ』の2つが案として出され、スタッフを含めた協議の結果、後者に決まった。
「それで今日はちなみちゃんは?」
「小宮山同行でグラビア撮影。」
「……で、なんでお前はここに居るんだよ?」
「ん?暇だから。」
「社長がそれでいいのかよ…。」
「アタマは動かないでただ乗ってるだけがいーんだよ。」
 少しいぶかしむかの様にSatolが言った。
「そういうもんかね。」
「オレのバアイね。」
「こらこら、歌詞書いた紙、ヒコーキにすんじゃないよ。」
 浴びせられるツッコミなど耳に入れもしない様に、飄々と悩みなど無い様な態度を取りながらヒロシは思った。
(ま、ウチの真中(リーダー)は、そんな柄じゃなかったが……。)


「ここでいいよ。」
「んなこたねーだろ。ギリギリまで行ってやっから。重いぞ。」
「これくらいどってことないよ、ヨッと!」
「おおっ!」
「ね?唯、けっこー力持ちっしょ?」
 確かに重そうなバッグだが、いとも簡単に唯はそれを持ち上げる。少し見誤ればバッグの方が唯を持っているかの様にも見えるが、足取りもまた確かだった。唯は成田空港に居た。時間の合間を縫ってなんとか淳平も見送りに来れたのだ。
「さすが海外生活長いだけあるな…。」
「何言ってんの、自分だって海外飛びまわってたくせに。」
「でも最近はもう海外旅行なんて夢のまた夢だからな。」
「まぁでもその内仕事で海外行ったりもするんじゃない?」
「そりゃ当分ねぇな…。日本の映画業界は資金力が海外より全然低いからな。」
 作れるだけでも立派なものだよ、と唯は思ったが口にしなかった。自身が見て来た環境は淳平には関係がない。彼には壮大な夢がある事を知っている。自分には分からないが、創作者とはそうでなくては務まらない。
「……その分アイデア勝負なんだよね。」
「ん?ああ、まぁそんなトコだな。しかし規模も然る事ながらやっぱり日本語で喋って字幕でというのでは色々と制約も…、って何してんだよ、そろそろ手続きだろ?」
 気付けばつい映画談義に走りそうになる。
「あっ、いけない。んじゃ行ってくるね!」
「頑張って来いよ。」
「おうっ!唯にまかしとけー。…じゅんぺー。」
「うん?」
「Thanks. See you!」
「…See you again!」
 こうして再び唯は旅立った。
 思えば、高校から親元を離れ、ある時は家出をした彼女を連れに疲労困憊の体に鞭打って探しに向かった事もあった。もしかしたら唯にはある種の放浪癖が元々備わっていたのかもしれない。あの小さな体に、この日本は窮屈らしい。
「さぁ〜って…と!俺も帰るか。」
 淳平は大きく伸びをしながら、帰路についた。勿論、この日も夜の撮影だった。


「綾さぁん、これねぇ…どうせなら思い切ってラノベで出してみない?」
「ライトノベルで?」
「あたしはこれどちらかというと若い子向けにいけるかなって思うの。今までで一番読みやすいし、こんな元気な女の子が主人公でハチャメチャなのも今までとガラっとイメージが違うし、それなら新しい所から出すのもいいかなって。蒼睡社(かいしゃ)もせっかくレーベル持ってるんだしね。この分野は最近は人気過熱で競争が加速しているし、社としても何とかいいコンテンツはないかって探してるの。」
「という事はブルーワン文庫からって事になるのかな?」
「ですね。」
「うん、いいけど…でも、今まで出した事ないし、あたしでいいのかな?」
「何を言ってるの。綾さんはウチの稼ぎ頭といってもいいんだから。いい加減に自信を持って欲しいわ。」
 呆れながら、それでもいつもの事と笑いながら、静香は薦めた。
「しかし、本当に珍しいわ…こういうタイプの小説。どちらかというと泣かせるのが多いじゃない?こんなのも書けるなんて思いもしなかったわ。どういう風の吹き回しかしら?」
「どうと言われても…そういう気分、…かな?」
「そういう言い方する時は大抵なんか隠してるのよね。さて、タイトルはどうしましょう?」
「あたしの中ではもう決めてあるんだけど。」
「あら、珍しい。どんなの?」
 静香が興味を示すと、綾はメモ用紙に一筆入れて前に出した。やや弱めの筆圧の薄い字は……。
「……“GATE II”?ゲート…、扉…、そんなのよく出たかしら?それに“II”から始まる…どういう意味?」
「や、やっぱり変かな?」
「変とは言わないけど、意味がよく…。」
「GATEは文字通り扉なんだけど、IIから始まるのはカウントダウンしていくから。」
「という事はこの小説の続編があと2作あって0で完結する、という事?」
「ううん、どうなるのかそれはわからない。ごめんなさい、これはどちらかというと、あたしにとっての“扉”を意識して作った作品なの。今までとは全く違うタイプの小説を書く、っていう扉を一つ開ける。それをこのタイトルに込めたつもりなの。扉の先は何があるのか、何が見えるのか、あたしにも正直分からない。ただ言えるのは開ける度に違う事をしていくつもり。」
 普段の綾の笑顔である。だが、静香にはいつも談笑しながら真面目に語る彼女とは違う、意味深な態度に見えた。
「…最後の扉を開けた先には、何があるの?」
 そう訊ねる静香に綾は軽くはにかんだ。
 その先に見据えるものは、来るべき黎明の時、果たすべき約束の為に――
 彼女自身が定めた、開くべき扉の1つ目は、“それまでのスタイルを壊すこと”。その完成形が今まさに話し合っているこの一冊だった。
 キャラクターも、表現も、とにかく雰囲気は軽妙なこの新作。ヒントとなったのは紛れもなく、端本ちなみと彼女のライブの参加だった。灯台下暗し。身近な存在でありながら、自分自身とは対極の才能を持つ彼女をモデルにした少女が主人公のポップな恋愛小説だった。恋愛小説というよりもはやラブコメと呼んだ方が相応しいかもしれない。
「…綾さんがそこまでタイトルに拘るのも珍しい訳だし、それだけの強い意志を込めているのなら、これにしましょう!ただ、副題は付けさせてもらうわ。」
「作品を分かりやすく表わすタイトルでないのは確かだから、そこはワガママ言わない。」
「…となると、イラストを担当する作家を選ばなきゃいけないな。誰かリクエストあったりする?」
「え?うーん、ラノベで出すって考えてた訳じゃないし……。」
「あ、それもそうか。んー…あたしとしては、『other side A girl』の藤井先生とか……、ま、今すぐ決めなきゃいけないことでもないか。」
「じゃ、お茶にしよっか。」
 この日は広い家に自分と静香しかいなかったため、いつもは母が淹れる紅茶を自分で用意しなければならない。台所に辿り着いた綾だが、よく使うダージリンが見つからない。
「んと…何っ処っか、な…っと。あ、この上ね。…よっ、もう、もうちょっと…キャアアッ!!」
「綾さん、また(●●)!?」
 身長159cmの背には少々辛い位置にあった目的の物を取ろうとして、いつもの様にこけたのあった。
 頭、胸元、スカートの上、……茶葉まみれ。
 そして、いくら毎日の様に顔を合わすのが当たり前とはいえ、家の中で家族の様に静香に「また」と言われる事に落ち込むのだった。


 それぞれがそれぞれの日々をこなす。沈んだ太陽が子午線を越える度に、誰しもに訪れる。だが、それが自らが満足する毎日とは限らない。
 いや、むしろ納得し切れず、割り切れず。そんな日々を過ごす時間の方が増えていくと感じる人の方が多いだろう。
 逆に言えば、満たされないからこそ渇望する。それが人が築いてきた歴史なのかもしれない。
 淳平も、綾も、唯も、ヒロシも、誰もが心の中には大小さまざまな満足と不満、喜びと哀しみとを抱いている。
 だが、一際満たされぬ日々、空っぽの毎日を送る者が一人――

「……また来たのか。」
「………。」
 数ヶ月前、淳平が座っていた椅子に、つかさが腰掛ける。目の前に居る人間は変わらない。日暮龍一だ。
 “また”という言葉は、淳平が来た時以来にも彼女が何度か来ていた事を意味しているのだろう。
「……ケーキを用意すればいいのか?」
「…いえ、結構です。」
「……美味しくはないだろうからな。」
「そ、そんな!日暮さんのケーキは一流だ…。」
「そんな表情(かお)じゃ誰のケーキを食ったって美味くはないだろう。」
「………。」
 龍一の言葉から逃れる様に、貯めていた話題を使い果たす。
「…あの…、ツルさんは……?」
「無理してカスタード満タンのボウルを持ってギックリ腰。で、入院中。普段元気すぎるくらいだから少しは休めって向こうでジィさんが言ってんだろな。」
「それじゃ……?」
「当分俺が全部仕切っている。もしかしたらこのまま継ぐ事になるかもな。」
「フランスへは……?」
「行く予定も無い。」
 ぶっきらぼうに言い放つ龍一の瞳は、どこか哀しみを湛えている様に見えた。
“この人に後悔させてしまった”――
 それが嫌が応にも思い起こさせる。
 誰かが言ってくれた。
 誰もが言ってくれた。
“オマエノセイジャナインダカラ”、“時ガ経テバ何トカナルサ”と。
 聴く度に、首を振りたくなる。
 聴く度に、“私ニハ何モデキナイ”と言われている様で、申し訳なさしか浮かんでこない。
 そして誰かに委ねたくても、誰にも委ねられない。
「…何故だ?どうしてそこまで菓子職人(パティシエ)にこだわる?」
 龍一は非情が入り混じる声で訊ねた。
「捨てきれない…諦めたくない……夢だからです。」
 搾り出す声は、本当に夢を見る者のそれとは程遠かった。
菓子職人(パティシエ)になる事が、か?」
「はい。」
「……それだけか?」
「…あたしはずっと…それだけを考えて4年間過ごしてきました!日本を離れて…家族や友達とも離れて…、好きな人とも……。なれなきゃ、これまでやってきた事何にも意味がないじゃないですか!!」
「……そうだな。だが、そんなモン(●●●●)、追うんじゃない。辿り着けない方向(みち)へ行ってどうする?」
「でも、あたしは…!」
「誰の為だ?あのボウズに応えるためか?……それなら尚更言っておく。夢なんて人生賭ける博打じゃないだろ。腕壊して代わりに夢実らせて、誰が喜ぶ?それであのボウズや両親は喜ぶのか?」
「…………!」
「つかさ、お前には本当にすまない事をしたと思っている。」
「いいえ、日暮さんのせいじゃ…。」
「だが!」
「…!?」
「お前の気持ちに応える訳にはいかない。ケーキを作らせる訳にもいかないし、雇うだけの余裕も無い。仮に今のお前がケーキを作ってもお客様には響かん。ウチに来てもどう見ても今のお前の生活の方がいいだろう。」
 それどころか、辿り着けない場所がその瞳には映るという現実――
「……ごめんなさい。お邪魔しました。」
 何度目なのだろう?自分でも分かる。
 “ラシクナイヨ”って告げてくるムカシの自分が居る。
 帰る方向(さき)は、何処にも行けず、変わらず留まる、繰り返す残酷な優しさの中なのか。
 龍一はいちごジャムの仕込み作業を止めて、扉を開けて、コック帽を脱ぎ、裏口から去ろうとするつかさに声をかけた。
「つかさ!…“自分を見つめ直せ”。ここへ来た時のお前は輝いていた。だから、その時の気持ちで自分を見つめなおせ。今の俺が言えるのは、それだけだ。」
 その言葉に、つかさはただ軽く会釈をして帰っていった。それをどう捉えたのか龍一には分からなかった。  ただ言えるのは、夢を見るなら、自分の足元を見つめる事から始めなければならない。そうしないと、先ず何をすべきか正しく理解できないという事。
(……お前ならそれが出来るはずだ。お前の夢は、ただ菓子職人になる事(●●●●●●●●)ではなかったはず。 お前がここへ来た時に俺に言った言葉を忘れていなければ、必ずお前はまた走り出せるはず。)


(やっぱり、どう見つめ直しても、ダメなモンはダメなんだよね……。)
 心の中でそう、軽やかに呟いた。
(結局何も変わりはしない。あの時…自分で出した答えでよかったんだ。)

(……いや、キレイさっぱり忘れちゃえばいい事だ。)

 悲嘆にくれていてもどうにもならないものはどうにもならない。
(それでいい。少なくともあたしには……――)
 失いたくない、繋ぎとめておきたいものなら、他にある。
 極めてフラットな気分のままにそう思えた。無理にじゃない、素直に…そう素直に、吹っ切れる様に。
 その感情の波と同じリズムで、真夏を奏でつつある風が樹々を揺らす。
 すこぶる気持ちよかった。その風が止む頃に右に振り向くと、彼が歩いてくるのが視えた。思わず自分でも口元が綻んでいるのが分かった。
 大丈夫みたいだ。自分はもう笑顔に疲れる事もない。
「あれ?淳平君、今日は早いじゃない。」
「“早い”って、待ち合わせの時間通りだろ。」
「あっれ〜?大概、撮影が延びて遅刻してくんのは何処の誰だっけかなー?」
「それ分かってんならたまにゃ褒めてほしいね。今だから言うけどな、去年4年越しに会った時だって撮影明けだったんだぜ?今日だってもう24…5時間…いや、30…もーわかんね!とにかく全然寝てねぇ!ふぁああ〜あ…。」
 淳平の顔をくしゃっとさせて目尻から涙が出ている。眠気から思考が壊れかけ、ナチュラルハイの様子。そろそろ板についてきたが、何処か安心できる温もりは、ずっと昔から変わらない。久々でも何でも構わない、会うだけで安心できる存在。
「じゃあリクエストにお応えして…“エラい”!」
 去年の事を持ち出す淳平に、つかさはその時放った言葉を返しながら、今度はいきなり抱きついた。
「わっ…!と。どーしたんだよ急に、まったく…。」
「目ぇ覚めた?」
「ま、まぁな……。」
 見上げるつかさを見て、いかに慢性的疲労困憊であろうとも、目が覚めて当然だろ…、と淳平は思った。未だに時々その状況が不可思議に感じる事さえある程に、彼の恋人はそれは目が覚める様な綺麗な顔立ちなのだから。
「ん?それ何カバンに挟んでんだ?」
「え?ああ…これはなんでもないっ!」
「フーン。…なんか今日は随分元気だな。声弾んじゃって、この間のが嘘みたいじゃん。」
 珍しく淳平がからかうように言った。
「この間?あたし、昨日のコトは忘れちゃう主義なんでー。」
 何処がだよ、と言いそうになったが、あまり他人の事をとやかく言えない自分を省みると声には出せなかった。
「はいはい、さいですか。じゃ、時間も勿体無い事だし、で、どこ行く?」
「んーそれじゃあ…館長さんの映画館で映画!」
「……24時間映画の事ばっかなのに息抜きでも映画なワケ?」
「今映画観に行かないんなら24時間映画の事ばっかじゃないんじゃない?」
「なんだよその理屈っぽいツッコミは(…こんなの言うタイプだっけ?)。まー好きだからいいけどよ。」
 そう言いながら手にしたカバンを肩にかけ直して淳平は歩き始めた。
「あ、よく考えたら帰ってきて一度も館長に挨拶してない。」
「じゃ丁度いいじゃない。」
「そだな。」
「これも全ー部、淳平君の為になるワケなんだから。」
「…言っとくけど、そんなトコで気ぃ遣う必要なんか何処にもないぜ?」
「…いいんだ。」
「へっ?」
「今んとこ、それが一番したい事だから。“君が1日でも早く映画監督になれるよーに”ってね!」
 久々に見たようなつかさの満面の笑みが、眼差しが、淳平を惑わせる。
「………?どしたー?おーい、また人の話聞かないクセが出たかー?」
 そう言うつかさもまた、お馴染みの男性口調が出ている。
「……ん?いや、聞いてるって。」
「いつも思うけど、ホントかなー?」
「いや…うん、そだよな。もっともっと貪欲にいかないと!」
 鼻息荒く両手の拳を握る彼を見て、つかさが励ますように言った。淳平を、あるいは自分へも……。
「そうそう!その意気!」
 考え方一つ変えればイイ事だ。
 今まで偽りと作ってきた笑顔すらも、自分次第で真実(ほんとう)になる。現実になる。
(そう、ダメなものはダメなんだから。だから、いつもボロボロの君の力になれますように……。君といれば、それだけでいい。)

「こんにちはー。」
「ちわーっす。」
「うひょーっ久しぶりじゃのつかさちゃん!それになんじゃ淳平!今頃挨拶に来おって!!お前なんか水責めの刑じゃい!」
「…すんません…。」
「フフッ!」

 君が往く処なら何処でも…何処でもイイから。何処でも往きたい。
 君が辿り着く、
 夢の方向(ばしょ)まで――



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