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■SCENE-21:『keep yourself alive』


(ああ涼しい……。)
 泉坂市内のあるコンビニエンスストアに、いつもの様に髪を後ろで結っている静香が入ってきた。
 夏真っ盛り。
 空調の利き過ぎた店内に入ったその瞬間は、例えようのないほどの心地よさである。
 時刻は昼下がりの14時。
 締切り目前でいよいよ佳境、という綾は自室で頭脳をフルスロットル状態にしている。夢中が麻痺させる食欲中枢の刺激、つまり空腹にようやく気付いたはいいが、買い物に行くのも面倒だし時間が惜しい。妥協はできない、最後の最後の最後まで!
 その為、静香が買い物に出てきたという訳である。これも一月に何度かある光景だ。
(んーと……どうしようかなぁ…?暑いしやっぱり小分け蕎麦ね。それと…、栄養ドリンクなんかは飲まないし、チョコにでもしよっかな。あとはデザートにアイスかな。)
 静香が店内を回り終え購入物を揃えてレジに向かう。「ありがとうございましたー」という、取るに足らない店員の挨拶を後に自動ドアをくぐると、むわっと真夏の風と太陽が迎えていた。
「はっつぅ……。早く帰らないと溶けちゃいそうね。」
 眩しげに右手を額に当てて太陽の光を避けると、静香は気持ち早足で綾の自宅兼仕事場へ帰る。

 社長令嬢だけあって、東城綾は生誕以来ずっと住んでいる自宅はそれなりに大きく、まして今や日本有数の天才若手女性作家となっては一般にはかなり近付き難い、天から二物も三物も与えられた、天才肌の深層の令嬢と受取られるかもしれない。
 しかしながら、その素顔は決して堅苦しい浮世離れした環境に置かれて育った訳ではない。放課後に買い食いもすれば、雑誌を立読みしたりもしてきた至ってごく普通の一人の少女であり、今日の様に食事がコンビニ弁当にもなる。

「買ってきましたよ。」
「……………。」
「買ってきましたよーーーー。」
「え?あ、ああ。ごめんなさい。」

 また、「天才」というのも誤解である。そもそも、天から与えられた才、などというものはおそらく存在しない。大概の「天才」は常に自らと戦っている。生まれ持った「環境」が与えてくれる事の影響は勿論大きいが、それを選択する権利もない(それは「運」と呼ぶしかない)。そして、神様が才能を与えてくれるだろうか?自らを研鑽する事は誰かの手に委ねられるものではない。努力をしないで成り得る「天才」など何処にも存在しない。それを最前線で常に実行してきた者の力の底を量り切れない者が尊敬、畏怖、あるいは嫉妬…そういった感情を込めて「天才」と呼んでいるに過ぎない。だから、差し迫った締め切りを前にギリギリまで頭を絞り続ける綾の食事はコンビニ弁当にもなる。

「うーーーーーん…、これでいっかなっ!はぁ〜終わったぁ!」
「お疲れ様。」
「これで、プリントアウト…と。」
「お腹空いたでしょ?」
「んー…もう2時半かぁ。」

 綾も静香も、つるりと喉ごし爽やかに蕎麦が食道を通過させる。
『ん〜〜〜〜っ…!』
 コンビニの小分け蕎麦を手に取りながら感嘆の声を挙げる二人の姿は、見た目だけ取れば気品溢れる美人であるゆえ、およそ似合わない俗っぽさ溢れる画だろうか。
「ああ〜っ…美味しい。」
「原稿も上がったし、美味しさも一塩ね。」
「ある意味この瞬間の為にお昼我慢してる様なものかも。」
 一盛り食べた所で綾は静香の艶やかな黒髪が頬に張り付いているのに気がついた。
「はい、タオル。」
「え?ああ、ごめんなさい。」
「それにしても……ズズッ……そんなに外暑いの?…ズルッ…。」
「ズズズッ…もう、ちょっと出ただけですぐ汗出ちゃうよ。ズズッ。」
「ズッズズ……ああ〜こういう時だけは…ズルッ…自宅れれ(でで)きる仕事にして良かったって思うか()ぁ。」
「でもそれって…ズルル……相当自己管理ができ()いと……無理な…ズルッ……話よ?」
「自己管理なら…ズル、ズルルッ…静香さんがいつも居てくれるからね。ズズッ…管理せざるを得ないって感じ。」
「ズズズズ…チュルッ……手綱は手放しませんよ?」
 ニヤリと訴えかける静香の目は美しくこそあるが笑ってはいない。作家にとって映る編集者の顔とはこの様なものと相場が決まっている。
「それは、頼もしいかな。ごちそう様でした。」
 冗句と真実とを入り混じらせた綾の返答だった。
「それにしても本当暑そう。」
「外出てみればいいじゃない。本当に暑いから。」
「んー…静香さんも髪を切ってみればいいのに。後ろにまとめてもその長さじゃ見ているだけで暑そうだよ。」
 何気ない指摘に、首の後ろでその長い髪を静香を右手で束ねてみる。
「じゃあ、この夏は二人で思い切って、切ってみる?」
「え?それはちょっと……。」
「別に長い髪で居て欲しいなんて言う男もいないでしょ?」
「え?!い、いや、それは……うん…そだね、でも…あたしも肩より上で切った事もないし……。」
「じゃあ切ってみよっか!」
「そうしようっか?!」
 他愛の無い会話にこの日は珍しく予定が追加されたようである。尤も、口だけで終わってまた二人とも〆切りに追われる事の方が多いので、綾も静香も互いに「どこまで本気なのだろう?」という意識ではある。大体毎年夏頃になるとこの話題は出て、結局二人とも髪型をどう変えたという訳でもないのだ。
「それじゃあ、お疲れ様。ゆっくりお休みね。」
「はい、お疲れ様です。」
 いつもの様に静香がいそいそと綾の部屋を出る。
「ふぅ〜っ……。」
 自分一人の空間になって、息を吐く。
 気を抜けば瞼は簡単に降りてくるのが分かる。頭をひねるのは毎日の事だが、頭をひねるという事は身体を使うという事である。頭脳労働は精神的なタフさばかり求められる様に思われがちだが、実はそれより先に体力的なタフさを求められる。
 〆切りを守るのは当たり前、〆切りが待ってくれないのは当たり前。質を高める前にまず求められるだけの数をこなさなくてはならない。その時点で耐えられない者が少なくないのだ。
(今回はもう一つだったかなぁ……。ああ!あそこの表現もっと良い言い回しあったのになぁ……。)
 〆切りを過ぎても一度動かした頭脳はなかなか休んでくれない。終わった後になって色々とアイデアが出る事などもざらである。
(ま、しょうがないかなぁ……。)
 頭の中を切り替えようとする綾。
 ひとまず愛用のノートパソコンを閉じると、やや離れたベッドに腰から上半身を預けた。横になるのは仮眠の3時間を挟んでから18時間ぶりだった。
「ああ〜疲れたぁ……。」
 ベッドというものは恐ろしいものだ。つい先ほどまで回転していた頭も途端に休む事を思い出す効果を強く持つ。枕に顔を埋める……なんと幸せな事だろうか。
(…………。)
 身体を横にすると目の前に映ったのは…プリントアウトした原稿や資料など、綾にしては珍しく散らかった自室の光景。
 ムクリと身体を再び起こすと、綾はその場を片付け始める。
(眠い………ん?)
 眠た気な眼差しで書類を中心にまとめると、ポロリと紙とはまるで感触の異なる物が出てきた。
「…何だろ……?………あっ!!!」
 それは、半年ほど前に淳平から受取っていたDVDであった。
「そういえばずっと観られてなかったなぁ…。」
 さすがに半年も放ったらかしはバツが悪かった。(この事を伝え聞いた淳平も、後にさすがに「おいっ!」とツッコんだと言う。)
 綾はつい先ほど閉じたノートパソコンを開き、手作りのDVDをカシャリと入れた。
「眠いけど…、予定変更!こっち全部見よ。」
 デスクトップが開いたフォルダには3つの映像ファイルが入っていた。意外と少ない印象を受けた綾だったが、DVDのタイトルは彼が受賞したという映像コンクールの名前だった。
(……これは一部という事、ね。)
 一つは、既に彼女や他の映像研究部員も配信で見たであろう、その受賞作品。
(他に『Read Me』とかのテキストは無し…。)
 実際に淳平が出品した作品のDVDには、応募に必要な情報が記されたファイルもちゃんと封入されていた。常識的に考えればこの様な配慮は当然の事である。が、それすら全く無いというのは、淳平は最初から彼女にこのDVDを渡す用意をしていたのかもしれない。
 そして、受賞作品を除いた2つの作品のタイトル、綾はそのうちの一つ「meme crack」というタイトルに惹かれた。
意伝子の瓦解(meme crack)…?」
 クリックして展開した映像は確かに進化していた淳平の映像に見えた。そこからは映像作家としての彼の個性が見える。彼女が、最もよく識る――
(……………えっ…?)
 だが、それは最初の3分間ほどで思わぬ方向を向いていた。
 綾は思わずガタッと椅子を後ろに立ち上がりながら映像を凝視していた。
 その瞳に映るのは「脅威」だった。途中からは身震いさえ覚えていた。
(これを…真中君がやったというの…!?)
 これまでの彼が持つ個性や方向性とは全く違う、圧倒的な力。
 淳平が込めた“意伝子の瓦解”を意味する「meme crack」というタイトルは、彼が目にしてきた世界各地のありのままの姿をそう名づけたものだった。美しい街並、神々しいほどの自然、笑顔に満ちた少女、飛び交う銃弾、血に染まる少年、希望と絶望とが入り乱れるその様には、直視すら厳しくなる程の映像すらあった。
 「人がその営みを送る事が、まさに巨大な意思が具現化させている様だとすれば、その“意伝子”は何処へ向かっているというのだろうか?何千億の命を乗せて――」、彼自らがナレーションとして発する言葉が鈍く響く。
 東城綾の存在があったとはいえ、映像研究部で彼が撮ろうとしていた作品は全て作り物のエンターテイメントを意識しようとしたもの。彼は決してドキュメンタリーやノンフィクション作品を撮ろうとはしなかった。
 だが、この作品はどちらかといえばそれに近いものがある。近いものがありながら、彼の持ち味も殺す事なく、一つの作り物の作品としても成立していた。それも、強烈なメッセージを放ちながら。
 真中淳平は繊細な映像を映し出す演出力には随分長けていた。
 だが、それだけだった。
 彼一人が作ったシナリオも、高校時代は稚拙極まりない。
 そして、彼には映画監督はおろか映像作家としてすら致命傷といえる弱点があった。

「これちゃんと観客意識して作ってる?」

 即ち、「テーマ」、「メッセージ」といったもの。
 “何を伝えたいのか”“何処へ向けたものなのか”、作品の根幹をなすべき軸がぐらついている、宙に浮いた、どこかで見た様な作品ばかりだった。それを埋めていたのは結局の所、今この作品を見ている東城綾の力が大きかったのだ。
 ところがその綾の全く見知らぬこの4年の彼の旅は、深く恐ろしい程のメッセージを以て映像作品を手がけさせていた。
(まるであたしの知ってる真中君の作品じゃない………。それに、これではあの様なコンクールで受賞しないのもうなづける。)
 困惑や寂しさ、彷徨える表情などは浮かばない。だが、そこにはさながら大きな使命を抱える者の様な、覚悟を帯びた目をしている綾がいた。
 机にもたれて息をつくと、綾は宙を仰ぐ。
(………この4年間に、何を見てきたというの…?)
 その答えこそ、今、綾が見た作品(もの)だ。テキストファイルもなく、一つとしてメッセージなどは入れていない。直接答えはしない。  かつて彼女が彼にそうしたように。
 伝えたい意志を言葉に乗せるように、伝えたい意志を映像に乗せて――


「あれ?おい真中!おまえ、さっき違うところに机運んでたじゃねーかっ!!」
「え?これで合ってますでしょ?…あ、すみません、携帯鳴っちゃってます。…はい!はい!スミマセン!もうちょ〜っと!!もうちょっとだけ待っててくださいっ!!!はい!本当スミマセン!!………はぁ〜。」
「『早くしろ』ってか?真中。」
「あ、ハイ!角倉さんから。『遅い』って。」
「『そう思うならテメーが手伝いに来い!』って言っとけ!!」
 髪を明るい茶髪に染めた、30歳前後と思しき男性が淳平に言った。
「………俺、そんな事言ったら殺されますよ。」
 恐れ戦きながら淳平が返答すると、また彼と同い年か一つ上くらいと思しき、三角巾を被った女性が言った。
「かずちゃん、無茶言わないの。」
「よっちゃんも少しは怒れよ…ったく、準備は全ー部俺らにやらせといて『遅ぇ』はねーだろ。なぁ淳平。」
「仕方ないっスよ、岡本さん。この世界、縦の関係絶対ッスからね。」
「イマドキそんな風通し悪い体育会系なんて芸能界かじぇーたいくらいだっつの。大体だな、事務所の新年会が出来なかったからって8月にやるか?フツーよ。」
「ははは…忙しいのはいい事ッスよ。ねぇ?白井さん。」
「そうそう、淳平君の言う通り。愚痴るくらいなら、さっさと終わらせて楽しんじゃいましょう。」
『賛成ーっす。』
 淳平は先輩に当たるこの2人と、事務所の大会議室飾り付け作業に勤しんでいた。
 映画監督を始めとした、若手の映像製作集団とも言うべきこの事務所では、所属する者が共同し一チームとして映像製作に携わるのはもちろんのこと、それ以外でもそれぞれの仕事に借り出される毎日であり、仕事と関係なく顔を合わせ、落ち着いて杯を交わすなども一苦労だった。
 それはこの岡本和臣が言う「新年会が8月」という言葉に凝縮されていると言っていいだろう。
 無論、そんなに多忙を極めるメンバーならば、早々に予定日を設けて絶対死守すればよい、という考えもあるだろう。
 だが、業界でも異例とも言える平均年齢の低さを誇る彼ら彼女は今この時こそがチャンスなのである。精鋭の若手が集う、と評判が上がっている追い風が吹いている中、それを逃す様なマネができるはずもない。…となると、遥か前に予定を決めた日でも、仕事が舞い込んできたのならば積極的に受けるのが道理なのだ。
 そんな針の穴を縫う様にセッティングされた「8月の新年会」、何とか予定に余裕があった淳平らの飾りつけ、食事の用意もなんとか済ませる事ができた。
「うーっし!これでバッチリだろう。」
「お疲れっ。」
「これからもっと疲れるッスよ…。」
 見渡せば、そんな8月にまでずれ込みギリギリのラインで組んだ新年会にも関わらず、会場はやたらと飾りつけが豪華である。普段の仕事でさすがに疲れとストレスがたまっているのか、それともこういう処でまで拘りを持ってこそクリエイターか。
(…あれ?角倉さんの着信の他にもなんか一件…メールも……?って西野か。)
 何だろう?と単純に抱く疑問。ただ、着信の件はメールで済むような事だったようだ。

「ちょっと暇だから部屋掃除しといてあげる。感謝しろよっ(^-^)」

(うぉっ…!そりゃありがて……、うーんでもちょっと待てよ?見せられないヤバイものもあるしなぁ…。)
 淳平とて年頃の男。女性には見せられないものもあって当然である。
 とはいえ、ろくに片付けや掃除など出来ないまま何ヶ月も経っている始末では、これほどありがたい申し出もなかった。
(「感謝します、西野様m(_ _)m ※明らかなゴミ以外は一応勝手に捨てないでくれよな。」…と。これでいっか。)
「誰にメール打ってるの?」
 白井が興味深そうに顔を覗きこんできた。
「!あ、いや…知り合いです。すみません、私事で。」
「どーせコレだろ?」
「ちょ…岡本さん…!」
「あー仕事中なのにカノジョぉ〜?」
「ですから、私事ですみませんって言ってるじゃな…あっ!角倉さん!!」
「お、できてるな〜。」
 淳平にとっては思わぬ助け舟、ようやく角倉周ら他の面子もやってきた。
「お疲れ様です!」
「お、今年はすげーじゃん。」
「や〜っと着いたぁ…セッティングお疲れ様です、先輩。」
 映画監督、脚本家、美術、大道具、小道具、音響、スクリプター…ぞろぞろと一斉にやってくる事務所の映画の作り手達…、そして第一線から退いて彼らを支える映画製作関係者(つまるところ、オエライさん)も幾人か、他にもフリーランスのスタッフも少なくない。
 これでも数名まだ遅刻組が居たが、大方の人間が揃ったところで、幹部も兼任している角倉周が挨拶から新年会(?)が始まった。
「え〜、どうも皆さん、今回は新年…これ、新年会ですか?」
 どっと沸きあがる声。
 すかさず「新年会!」「あけましておめでとう!」といった小ボケが返ってくる。
「そんな訳で、正直新年なんか関係ないこの業界ですが、皆さんいつもお疲れ様です!今日はいっぱい飲んで、いっぱい語って、いっぱい遊んで、また頑張っていきましょう!!それでは、あけましておめでとうございます!!」
『おめでとうございまーす!!』
 基本、芸能界とは華やかな様で古く堅い体質である。先ほどの岡本和臣の愚痴にもある様に厳しい縦の関係に見られるしきたり、若手なら酷使・低賃金、労基無視など当たり前。狭く強固な絆で結ばれた苛烈な環境、それは“俺はこうしたいんだ!”という強い目的意識がなければ生き残れない世界である。
「おっ、長老(ジジイ)共に愛想振りまき終わったか?」
 残るのは最後の一杯くらいかという瓶ビールを片手に持つ淳平に、角倉周がヘラヘラとした紅い顔をして話しかけた。
「…なんつー言い草ッスか。」
 言いながら淳平は残りの生ビールを周のコップに注ぎ切った。それを飲み干すと周は淳平を横に座らせ、別の瓶を身を乗り出して手に取った。
「ありがとうございます。」
 正座して注がれるビールを両手で持つコップで受け止め、飲み干した。
「もうウチへ来て1年は経ったか?」
「そッスね。もー3年くらいは居る位な感覚ですけど。」
「それじゃまだまだだな。ウチに来てる奴に聞いた時の平均は“1年で10年居るよーな感覚”だからな。もっと働けって事だ。」
「いやいや、これくらいじゃ俺にはまだ3年位って意味ですよ?」
「お、巧い事言うね。」
 切り返しに軽く感心すると、周と淳平は語らいだした。
「しかし…どう?仕事。」
「どう?…ってほぼパシリですよ。大体角倉さんもいー様に使ってるじゃないですか。」
「ははっ……違いないや。…だが、ただ誰かに言われて何かをしてるだけの1年じゃないだろう?」
「勿論ですよ。ブルドッ●ソースより濃厚な毎日ですね。」
「僕があの時言ってた意味、分かった?」
「どう…ッスかね……上手く言えないですけど、カラダで覚えるっつーか染み込んでしまうっつーか。」
「“上手く言えない”ってのは0点な。表現者として。」
「すみません。」
「ま、言いたい事は分かるけどね。こういう“職人”の世界、それも使えねーのに育つまでお金貰ってるんじゃ、ひたすら現場にしがみついて他人のやる事を見て真似しなきゃいけない。まさしく“見習い”だな。だが、まぁそれでも最近は少しずつお前も助監督としてクレジットされるようになってきたじゃない。」
「え?あ、あーそういえばそっすね。」
 淳平は思ったままに口にした。言われてみてようやく「そういえばそういう事になるのか」と気付いたからだ。無論、自分が携わった作品の完成版を見ていない訳ではないから、自らの名が載っているエンドクレジットを見ていない訳はない。ただ、気付く程の事でもないという事だろう。
 その、実に自然な忘れていた反応に、少し満足そうな笑みを浮かべて周は言った。
「大した事じゃないってか。」
「い、いえ!ありがたいことです。」
「いや、それでいいんだ。」
「……?」
「所詮、クレジットなんて肩書きのリストに過ぎないからな。載った所で手前が満足する仕事出来てなきゃ、監督やプロデューサーであってもむしろ載る事が不名誉と捉える可能性すらある。君だって最近覚えがあるだろ?去年のコンクールの受賞、あれ本命の作品じゃなかったろ?」
「……あ、やっぱりそう思います?」
「わかるさ。作った人間の想いなんて見る人間に全て伝わっちまうもんだよ。…最初にあった頃の君は高校生としてはそれなりに映像製作の腕はあったと言っていい。だが、圧倒的に経験値が足りなかった。」
「それはつまり…映像製作以外で、という事ですか?」
「そういう事。“満たされた環境では真の芸術家は育たない”、これが僕の自論でね。当時の君は、ただ映画監督というものがどういう職業かも分からず、それを生業として生きる事の意味も分からず、ただ形だけを追っている姿勢しか見られなかった。作った作品も観客を意識するという視点に欠ける、かといってそんなのを吹き飛ばすほどの力強い主張もない。一言で言えばこう、一本の芯が真ん中に通っていない、宙に浮いた作品だ。」
 それを聞いて、当時の自分がいかに浮つき彷徨うままだったのかが思い起こされた。一本の芯…夢はおろか、恋にも、そんなものはなかった。自分すら偽って見失い、ただ誰かの温もりに抱かれて目隠ししてきた現実の代償。
「……ですね。自分には何も無い、そう考えた時、ようやく踏み出せたんじゃないかって思ってます。」
「失うものが無い奴は強い…って事かな。」
 それを支払うには独りになるしかなかった。独りになれば目隠しを外さないと前へ歩けない。独りにならなければきっと掴めなかった現在(いま)
 鮮やかな色彩を見せない、灰色の未来しか見えなかったあの高校最後の数ヶ月。皮肉にも綾を失う痛みと、つかさを失ってでも手に入れたいと願う飢餓感、目隠しを外して最初にそれを確かめた時、ずっと付き纏っていた焦燥と不安は、ようやく消えていった。
「…ま、それで海外へ行くってのも突拍子もない話だとは思うがな。」
「…角倉さん、それは禁句でお願いします。」
「だが、いずれにしても構わない。この業界、門戸が狭い反面、肩書きだけの学歴なんかまるで意味をなさないからな。“如何にブレずに己の信念を貫けるか”って事。ただでさえスポンサーやら大御所役者様、大手事務所やら、あれやってくれこれやってくれ、あれはダメだこれはダメだって注文ばかり迫られるんだ。ま、人間持ちつ持たれつだから言い過ぎもよくないけど、ただでさえしがらみだらけのこの世界、少し迷えば否応なしに飲まれて流されてしまう。そんなものがない環境(アマチュア)の中ですら自分の世界を表現できない者に、プロの映画監督なんか務まるはずもないだろう?」
「…確かに。」
「自分の世界の無い奴は大概誰かに言われるがまま従順に『ハイ、ハイ』と頷いて分かった様な気になってるけど、そんな奴は便利屋として重宝されても誰も頼りなんかしない。良い悪いを頭で理解して分かった気になってるだけヤツの漕ぐ舟なんかいつか沈む。必ずね。」
 いつの間にかコップを片手に独り言の様に遠くを見つめて語る周の目を真っ直ぐ向いて、淳平は言った。
「………角倉さん、俺は…ちゃんと成長できているのでしょうか?」
 ややあって、周はこう答えた。
「それは自分で決めてくれ。事務所としては未だ何の名声も得てないんじゃ、給料ドロボーの若造でしかないだろ。だが、それで終わる奴に支払う金なんかビタ一文ない。先行投資ってヤツ?まぁ事務所は会社だからお金で測るけど、でも君自身がどうありたいかは僕にも何も言えない事だろ?ただまぁ…」
「………?」
「成長の先に何を成したいか、何の為に成長したいのか、そこに確信を持って答えられるだけのものを君は視ている様に見える。今はそれだけで十分。昔のままじゃ僕だって推薦したりしないさ。」
「………。」
 はぐらかされたようでありながら、どこか安心できる答えに、淳平は真実を感じられた。
「すみませーん、遅れました!」
 ガラリと開けて入ってきたのは小柄な童顔の青年だった。
「あ、小島さん、お疲れ様です。」
「わわっ、気が早いよ。真中くん。」
 一回り体躯の大きい淳平に注がれる一杯を、鞄を下ろしながらその小島と呼ばれた青年は手に取った。
「でも、今度の秋に監督デビューでしょ?多分今日は俺以外にも一杯飲まされますよ〜。」
「え〜?帰ったら水戸黄門見たいんだけどなぁ。」
 この小島の発言に淳平は勿論のこと、周りの全員がツッコんだ。
『そりゃ無理だろっ!!』


 カンカンカン…という鉄板を打ち付ける音が夕暮れ時に響く。
「あーあ、『掃除してあげる』なんて言うんじゃなかったかなー。結〜っ局、こんな時間になっちゃった。」
 夏の陽はまだ明るかったが、つかさが取り出す携帯電話が示す時刻は17時を過ぎていた。
“感謝します、西野様m(_ _)m”
 手元の画面を見てクスリと「しょうがないか」と微笑むと、預かっている鍵で玄関を開けようとする。
 が、その動作が一瞬止まった。以前よりも酷い、想像以上のゴミ屋敷と化していたらどうだろう?何が居るか分かったものではない。
 “何”は言うまでもない。昨今“G”と略される、よりにもよって何故お前が!と誰もが言いたくなる、ありがたくもない生きた化石、つかさがこの世で最も怖れる生物である。たとえそれでなくても食べ残しのカップラーメン、ジュースやパンもそのままで、開けた途端にカビの胞子がぶあ〜〜っと…という可能性だってある。
 三食きちっと摂っているかも怪しい、ロクな食生活ではない事は知っている。春頃に促された作った食事の後、一体どれほどまともに食事を作った事があるだろうか。
(…って、別に外でもちゃんとした食事は摂る事あるよね。)
 まるで自分の作った食事以外は、ほとんど毎日ジャンクフード(あるいは食事抜き)、と言わんばかりのシケりにシケった淳平の想像図を描いてしまい、つかさは軽く反省した。
「おっ…前よりは片付いて……でも、それでも汚いか。」
 恐る恐る開けるつかさ。
 どうやらゴミ袋が山の様に積まれていて、怖れる様なのが当たり前、とまではいかずホッとしているものの、やはり散らかりっぷりは独身男性のそれである。それでも今まで見た中ではまだ一番マシな部類だったと言っていいだろう。
 整理とは、纏まりを無くした状態から形状、用途、その他一定の基準によって纏まりを取戻す事から始まる。
 一通り見渡して、まずは即・ゴミ決定のお弁当のガラやペットボトルなどを片し、次に最もまとまりの無い布団の周りに散らかっているDVDやビデオ、小説、漫画…etcを、つかさは片してゆく。
(それにしても、本当に映画作りが好きなんだな……。)
 以前に比べればまだ整理はされていた。それでもなお、片付けが必要なほど散らかるものというのは、それだけ利用頻度が高い事を意味している。ついうっかり定位置に戻す事が忘れる、あるいは面倒になる、手元に置いておく方が好都合といった理由で。そういった創作物が散らかっているという事は、すなわちそれらが一番頻繁に使われているという事である。
「これだけ勉強して努力して、本当凄いな…。」
 独り言を言いながら、つかさは少し淳平への尊敬の念に満たされていた。
 好きな人を誇りに思える、きっとそれは幸せな事。
「ええと…これはレンタルの類だからここに置いておいていいかな。じゃあ残りは棚に並べていこっか。」
 一つ確認をした後、まとめたDVDやビデオ、書籍を順に本棚に並べていく。
 黙々と作業を進めるつかさ。狭い部屋の中でもそれなりに時間が要する事に、ますます淳平の強い情熱が感じられる。
「それにしても…よっぽど何か録りたい作品でもあるのかな?」

「それじゃカンヌで待ってる!!」
「カ、カンヌ!?何十年後の話だよ!!って無理だから!無理!!」

 不意に思い出したのは、旅立つ前に淳平にかけた自らの言葉。
「まぁー流石に、まさかね……。」
 笑いながら残りをテキパキと収納していく。
 すると、もう少しで全てが上手く収まろうかという状態で、棚はそのスペースを全て埋めてしまった。
「ああっ、惜しいなぁ…あとはこの本2冊だけなのに……。」
 収まりの悪さに、あとこれだけ…!”という、なんとかしたいむずがゆい気持ち悪さに苛まれていると、ふと見直すと残りのスペースである、棚の一番下の段の端には封筒が置いてある事に気がついた。
「うーん、丁度入りそうだし、これは分かりやすい他の場所に置いておこうかな。」
 つかさの言う通り、その封筒をどけて右手の書籍2冊を入れると、淳平が収集した創作物はすっきり全て納まった。とても何気ない事だが、これは気持ちいい。
「…で、代わりにこれは何処に置……これ何だろう?」
 ふと気がつくと、手に持っていた封筒は実に古ぼけていて皺くちゃでボロボロだった。
 その状態で机の中に保管されているのならまだしも、棚に置いているのではさほど大切なものでもないのだろう。
 つかさはそう思って何気なく中身を取り出した。
(……ノートが数冊??昔のアイデア帳とかかな?)
 するすると取り出したるノートは、これまたボロボロで実に使い古された状態だった。
(“数学”?なんでそんなのずっと置いて…………… … … ……えっ…?)
 つかさの表情が、途端に凍りつく。
 実家でもないのに学生時代の教科ノートをわざわざ持ってくる理由など、無い。
 理由のないものをわざわざ持ってくるはずなど、無い。
 では、その理由は――

“数学 3−4 東城綾”

「これは…、何……?」
 バッ!と手にした封筒を表に裏返すと、飛び込んできた文字を視る。

“真中くんへ”

 間違いない――
 茫然とした表情で見つめるつかさの頭に、微かに浮かんでいた言葉は、先ほど発した自らの言葉、先ほど思い出した自らの言葉だった。

“よっぽど何か録りたい作品でもあるのかな?”

“それじゃカンヌで待ってる!!”



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