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■SCENE-22:『同床異夢』


 あの雪の日の夜、何を一番に思っていたのだろう?

 それが彼女の認めたものであると、もはやつかさでなくとも瞬時に理解したであろう。
(こんなの……あたし、知らない………。)
 訪れてくる感情に、ただただ空虚に心を預けるかのごとく、つかさは茫然とその両手に数学と書かれたノートを手にしたまま動かなかった。
(また彼女の事、考えなきゃいけないなんて……。)
 咄嗟に浮かんだ言葉につかさは思わず頭を振る。
(ダメだ…やっぱりあたし………成長してない。)
 否が応にも、全てが思い起こされてゆく。
(解ってる、解ってるんだ……。)


「ええ〜?つかさまた告られたの?ま、どうせフったんでしょうけど。」
「もー放っといてよ。」

 自分の顔が可愛い部類に入るもの、と客観的な自覚にまで高められたのはやはりそういう事を気にしだす年頃の中学生になってからだろうか。
 とはいえ、何度も重ねる何処の誰ともつかない男子学生からの告白に、「YES」などという返事は出来るはずもなく、“校内で注目のアイドル並の美少女”、表立って感情を見せる訳ではないが、その評にもいい加減面倒くさくなっていた。
 しかし、息苦しさを覚える学生生活、それを感じなくてはいけない義務も何処にもない。“あたしはあたしのまま”、周りの評判なんかどうでもいいとばかりに、容赦なく告白も断ってきた。振舞いも結構自由だったのではないかと思える。

「応援してっから走りきれー!」
「そーだそーだ、女の子に興味持って何が悪いんだチクショー!」

「ふぅん、真中っていうんだ…、がんばれ!がんばれ真中!あと46周!!!」


 気に留まる存在でもなかった筈が、いつからか存在を覚え、時を経てのあの日。

「好きだああああっ、西野つかさちゃん!!お…っ、俺とつきあってくださ…っっっ」


 “この人は何がしたいの?”
 最初の印象はそれに尽きた。本当は断る気だった。何度だって経験してきた事。少しばかり頭の片隅に在ったからって、特に何が違うとも思えなかった。

「ぷっ。あーはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!い、いいよキミとなら、あはははは!」

 ただ、そんな気も失せた。少なくともインパクトだけは100点。
 “なんとなくいいか”、本当はそんな軽い気持ちから始まった筈の付き合い。
 色々あった。
 感じられないキミの想い、それはやがて樹海の上のコンパスの様に、何処へ向かうとも分からず、彷徨うがまま。
 それでも密やかに時を重ね、想い出を重ね、あの瞬間に、確信した。

「あっ、まっ、真中さん――あっ、わっ、きゃっ。」
「だ、大丈夫?こずえちゃん…」

「あっ映画の編集……ですか?んー…まあそ、そんなとこかな…。頑張るから文化祭楽しみにしててよ!」
「あ、ありがとうございます!じゃあ……。」

「だーれ?あのコどこの学校のコ?」

 頭も良くない、体力も秀でてはいない、顔はそこそこ、客観的に見ればそんな彼が何故だか同じ年頃の女子を惹き付けてゆく。
 たまたま現れたあの娘が何者か、わからなかった。
 それでも思った。“嫌だな”と――
(あたし、嫉妬してる…?)
 自分の中でその感情を認めた瞬間に、確信した。

「あたしは、あたしが欲しいのは――」

 それまでも、その行動が齎す影響を考えなかった訳がない。
 自分の想いが実らないのならば、それはそれで自分が傷つくだけで済む。
 だけどもしも実ったならば……?
(東城さんや北大路さんが彼を好きでいるのなら、彼女達を傷つけることになる。そうすればあたしは彼女達とは……。)
 自分よりも共に過ごしている時間が長いはずの彼女達は、それが全て傷になる。思い出すのが辛くなる思い出で、高校時代を埋めさせることになる。
 そうなれば、二度と彼女達とは会えないだろう。会わないほうがいい。
 いや、彼女達だけではない。彼や彼女達が設立した映像研究部の他の誰とも。
(……考えられない訳がないじゃない。)
 だから、その場で取った自分の行動が衝動的だったとは、思った。

 それでも。
(誰かを傷つける事になるとしても、譲れない想いなら、私にもあるから……!)
 嫉妬は、強い想いの裏返し。醜い独占欲もまた、この(うち)に在るのだと。
 欲望も希望も、同じ価値。
 その感情を認めた瞬間に、確信した。
 何も伝えないままじゃ、実る想いも、嫉妬する資格すらも、無い。伝えなくちゃいけない――

「いろんなことあったけどずっとずっとキミのことが好き!!もう一度あたしを淳平くんの彼女にしてください……っ!!」

 「君が好きです」と――

 そもそも自分は学校という箱庭、同じ環境を共にしていない彼女達とは、距離がある。
 彼女達と顔を会わす必要だって無いのは都合いい。
 他の誰かの事なんて、考えられない。
 抱き締めてきた熱を伝える相手は一人でいい。
 あたしだけが、あたしこそが、彼の特別な存在でいたい。

「…ううん、もっと甘えてよ淳平くん。」

 彼が何に落ち込んでいたのかは知らない。知らなくたって構わない。
 何気なく発したその一言、ただ、好きな人を癒したいだけ。
 それは――

「俺も西野のことが好きだ!!だからもう一回その…つっ、つきあってください…!」

 彼の言葉は、自らの望みが叶うと同時に、稚拙で怠惰な関係の始まり…そして最後に待ち受ける、逃れようの無い後悔のハジマリでもあった…。

「あたし、欲張りかな…言葉だけじゃ信用できないみたい。」
「…隣座って…そして…もう一回して…。」

 “言葉では足りない”と望む、唇。

「でもあなたが好き。あなたの事がずっとずっと好き…!」
「あたし、淳平くんが好き。ずっとずっと大好きだから…!!」

 縋る様に繋ぎとめようとする、映画の中の“彼女の言葉”。
 同じ言葉は告白した時にも言った言葉、“あたしの言葉は映画(フィクション)じゃない”、と塗り替える様に。

「もう寝てることになってるから。…電気消して……。」

 言葉よりも熱く、深い処で互いを確かめる瞳の光と、肌と汗を交差させても。
 消せない存在(もの)、一つ――

「話があるんだ、東城…!」
「え…っ。」


(どうして…!目の前に“あたし”がいるのに……!?)
 “結局、そうなんだ。”。
 頭の中に残るのは、それしかなくて。
 彼は“彼女”と何を話したのだろう?と、微かに気にはなったが、もうどうでもよかった。
 あの雪の日の夜、もう何も思う事も、望むものもなかった。
 覚悟は、決めていた。

「何も言わなくてもいいよ。一応覚悟はできてるつもりなんだ。」

「きっかけは、東城が書いた小説。東城じゃなくて小説の方なんだ。」

「…小…説…?」

(……………。………何よ、ソレ……?)
 彼の言葉は、醜い安堵と逃れようのない後悔を与えた。
 彼は、「自分は彼女に恋愛感情を持ってはいない」というつもりで言ったのだろうし、そう受取る事も間違いじゃない。
 それでも“別れる”……?そんな事、望んでいない。
(その行動は誰のせいなの……?つい昨日、その前は一ヶ月、まるで別人の様な君のその行動を、どう捉えればいいというの?)
 彼の言葉通り、あくまで彼女の「小説が優秀だから」?それに触発されて?
 その言葉通りに受け止められるはずなんてない。
 「優秀な小説」なんか彼女のものでなくても一杯あるはずだし、それが偶々彼女の小説だというの?…真逆!
 第一、君こそがずっと前から彼女の才能をよく識っていたはずじゃないの?それが今更――
(君が「白紙に戻したい」と言うのは、彼女の「小説が優秀だから」じゃない。それが「彼女の小説だから」でしょ……間違いなく彼女の存在が、君を変えていた。)
 あの雪の日、二人に何が起こったのか分からない。訊けもしなかった。それなのに、諦めて気にする事もなくなったものが、今更に心をざわめかせる。
 ただ解るのは、彼の行動に火を点けたのは、あたしであるべきはずだったのに、“彼女”だった――

「だからさ!一緒に頑張っていこうよ。辛い時もお互い慰めあって励ましあって…。」
「…西野のそーゆーとこ、その…すごくいいなって思う。けど、西野に甘えっぱなしじゃやっぱ夢は叶わないと思うし。」

(まして、あたしが“優しく”してきたからな訳ではない。)
 そればかりか、彼はそれを内に否定していた。それは「自分の責任だから」と否定しながら。
 でも、よそよそしくてそれこそまるで心を預けられていない証拠にも思えた。
 優しさは心を繋げているようで、縛っているだけ。それって恋人って言えるの?
(……結局、あたしは淳平君の事何にも分かっていなかったんだ。)

「どうしてあの映画観せたいって思えるの?」

「あのねぇ!一日勉強サボってバカになるよーな頭なら大学なんてもともと受かるわけないの!」

 時に勝手に振る舞い、自分が抱く嫉妬が思慕の裏返しであるように、彼が抱く不安と焦燥が、本気で抱く夢でからこそ、ということに解っていなかったばかりか、紡げたのは優しさや甘えという名の怠惰な絆。
“人の気持ちは変わる”
 だからこそ、彼と思い合えた。だからこそ不安になった。
 その不安に駆られ、見ていなかった。
 “あたしだけ”を見て欲しい、と望みながら、“あたしだけ”を見る彼を見てはいない。

 “あの雪の日の夜、もう何も思う事も、望むものもなかった。”……?
 “覚悟は、決めていた。”……?!


 ……疵付きたくないから、最悪の展開(シナリオ)に心を備えればそれで良い?
(………サイテーだ…!そんな打算めいた感情しか持ちえてなかったというの?あたしは……!)
 自分を赦せなかったのは、彼だけではなく、あたしも同じ。
 ただでさえ距離が離れるものを、関係すらも放棄する2度目の別離に同意したのは、彼の“固い意思を尊重したから”でも、彼の“自分への気持ちが確かだと信じられたから”でもない。
 そんな綺麗なものじゃ決してなかった。

 文字通り、「白紙」。
 優しさと云う檻の中で互いを慰めあう、そんな怠惰な関係のまま付き合いたくなかったから。

 それに、人の気持ちは変わっても、過去は変えられない。
 覚悟を決めて動き出したはずの行動――彼女達だけではなく、彼女達と過ごした彼の高校時代もまた、灰色のまま曇らせて残すという事にも気付かなかった。
 疵付く事だけじゃなく、疵付ける事の痛みも、全て押し付けて。
 にも関わらず、自分だけを見てと望みながら、彼の中に在る自分への気持ちを見てはいない事。
 例えこの先彼の恋愛感情が彼女に向かう事はないと分かっても、それでも尚残る彼の中の“彼女”、その存在ごと君を愛せるのかと自問すると、先立つのは苛立ちばかりで、持ち得る答えはなかった。
(“好き”と言われれば、全てはっきり心が晴れると思ったのに――)

「そして次に会う時は、もっとあたしのことワクワクさせてくれる淳平君になっててね!」

 これは、彼だけじゃない、あたしへの“罰”だ――
 心の中でそう思いながらも言葉で明かす事はなく、笑顔を作って旅立った。
 それもこれで最後にしよう、と。
 この、嘘吐きの笑顔を、最後の嘘に。


(それなのに……。)
 それでもまだ、向かうべき道の先が見えない。霧がかる鏡に、今の自分はどう映っている?
 分かっているのに、先へ進めない。
 あの頃と同じ…いや、もしかしたらあの頃よりも。
 彼は変わっているというのに、あの頃のまま足踏みをしているのは、自分。
 今また彼女の名が記されたこのノートを見て、酷く動揺している、怯えている自分がいる。

 ――ドウシテ 彼ハ コンナモノ ヲ 大事ニ 取ッテイル?――

 これだけじゃない。
(ねぇ…気付いてる?君はあの日以来…、一度だってあたしの前で彼女の名を口にしていないことを。)
 答えは見えない。
 そう、別れる時に残したまま、一つだけ確かめていない、確かめられなかった事。
 それは…確かめたい事?確かめたくない事?
(確かめたいと思うのは、エゴだ……。)
 一瞬だって彼女を、見て欲しくない。
 あたしだけを、見て欲しい。
 縋る様に、自分にも言い聞かせる様に、その醜さは想いの裏返しと確かめる様に。
 安心すれば引っ込めて、不安になればまた覗かせる……?
(どこまで勝手でワガママなんだろうね……。)
 譲れない想いがあるから、疵付ける覚悟だって出来ていた。
 彼にだって、彼女にだって、それぞれに重ねてきた季節が、灰色の想い出として残っている。
 過去は消せない。
 その扉を開ける権利なんか何処にも無い事くらい、分かっている。
(それでも……確かめたい……。これがあればあるいはもしかしたら、彼に聞かずとも……。)
 あの日、何が起こったのか、
 彼女は君に何を託したのか、そして――


 ――真中淳平(キミ) ニ トッテ 東城綾(カノジョ) ハ 如何(イカ)ナル 存在(ソンザイ) ナノカ?――


 熱病に浮かされて蕩けそうな面持ちで、つかさはそっと扉を開いた。
 それは彼女の心層とは対照的に、容易くパラリと紐解かれて。
(お願い……。)

 ――君ノ 深海(ヤミ)ニ 触レサセテ――



「……うぇっぷ。真っ昼間から宴会とかするもんじゃねーな。まだ20時なのに…ウェッ……出来上がりすぎてるっつーの!ま、明日まで久々にぐっすり眠れっからいいか…。………?」
 吐き気と眠気に襲われながら、淳平は自宅へ向かおうとするが、自室の部屋が、明るい。
「……あ!そうか、西うぇっ、野に掃除してもらうぇっ…あーっいけね…部屋入るまでの辛抱……!」
 文字通り腹の中から出てくるものをこらえながら必死に手摺にもたれかかりながら部屋へと辿り着く。
(っていうか、3時間以上掃除かけちまうほど散らかってたか……。こりゃあ入ったら怒声が飛んでくるかもな。)
 ガチャリ、と音を立てて玄関を開けると、ありがたくもつかさの手によって3時間しっかり掃除されているはずの部屋なのに、時間から考えると半分程度の成果しか見受けられなかった。
(あれ?あんまり……それより西野に…いや、それよりトイレに……。……?)
「ありがとう、ごめんー…うぇ…。」
 座り込むつかさの後姿を確認して一声かけて、すぐさま用を足すつもりだったが、彼女からの反応が無い事に、淳平は気付いた。
 様子のおかしさに、思わず固唾を呑んで、立ち竦む様に彼女の方向へ視線を向けると、すんすんと鼻をすする音が、静寂に響いた。
(……泣いているのか?)
 いつもなら飛びつく勢いで「どうした?」と尋ねるはずなのに、何故かその時の淳平にはその足取りが重く、そっと、そっとつかさへと近附いた。
 ようやく淳平の存在に気付いたつかさが、彼の顔を見上げる。
「……淳平くん…。」
「西…えっ……?」
 つかさの手にあるものを見て、淳平の顔が凍りつく様に強張った。
 以前見た時以上に泣き腫らしたつかさの顔が、辛うじてそちらへ視線へ動かしてくれた。
(これどうして…。俺は……。)
 二人はただ互いを見つめるだけで、しばらく何も出来なかった。



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